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わたしは、選挙に行きますよ。あなたも行ってみませんか?な話。

先日、衆議院選挙の期日前投票に行ってきた。
行きますよじゃなくて、行きました、だった。
まだ被災地に住民票は置いたまま。

今住んでいる自治体でも投票は可能だけど、
手続きが面倒なので、行ける日に期日前で投票へ行った。

田舎に住むまで選挙なんぞほぼ行かなかった。
それまでは鬼のように忙しく、
時間にも余裕なんてなく、
(いや、作ればあった)
選挙のことなんて微塵も考えていなかった。
いや、考えてはいた。
だってお客さんに
『ぜひどこそこに〇〇〇』みたいな感じで言われるし、
(あー選挙だな。)
くらいには思っている。
前後に全く休みがないわけではない。
ただ期日前になんてことも考えていなかったし、
仕事をして、
(ああ、今回も行かなかったな。)
くらいのことだった。

しかし、田舎は違う。
投票に行けば投票場所に必ず知っている顔の人がいる。
行かなければ
『あの人来てないね。』
なのだ。
そんなプレッシャーからわたしは大人の義務を果たすようになる。
義務を果たす習慣が身に付いたわたしは、毎回選挙に行くことになる。
いつの間にか行くことが当たり前になったのだ。

昔何度か人に言われて行った選挙では、
言われた人の名前を書いて帰ってきていた。

しかし今は、投票したい人がいればするし、
支持したい政党があれば、その党に投票する。
そして、支持したいところがなくても選んで投票する。
支持しない政党、あるいは人がいるから投票する。

それが重要だと思うようになったからだ。
(これだけは嫌だな。)
(この人だけは嫌だ。)
そう思ったときに、他に投票する必要がある。
いわゆる『NO』の票。
まさにわたしは、
この理由で選挙に行っている。
(あいつを避けるには、わたしの力が必要だ!!!!!!!!!)
と思って行く。
時に、あの人は応援したいという気持ちもある。

わたしは、
独身だし、子どもは育てないし、老人ではない。
その今のわたしにとってどこがよいのか、
もしくは自分の家族にとって、
とか、そういうことでいいのだと思う。

全くもって何を選べばいいのかわからない人も、
例えば各政党の公約をみて、
これは自分にとっていいなと思うものを選んで
投票するだけでもよいんじゃないかと思う。

毎日、モノを選んで買うことも投票だと思う。
そんな感覚でもよい。
でないと、ご老人の意見しか反映されませんよ。
もしくは、わたしのような中年の意見しか反映されませんよ。

自分より若い方が、
ちょっと軽めの気持ちでも、
投票に行ってみたらいいなーと思う。
この先すごく素敵な未来が待っているとは到底思わないけど
だからこそ、
少しでも若い方にとっていい未来になるように
『これだけは無理。』ってもの以外を
良ければ選びに行ってみてください。

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