湯たんぽ

最初に目についた湯たんぽはオレンジだった。
ポリエステルで小判型。蓋は白。
やかんから母がお湯を入れ、タオルで巻かれていたように思う。
冷たい布団の中足を温めたあと、抱きしめて眠るのは今も変わっていない。

盆、正月と祖父の家に行けば、湯たんぽから電気毛布に。
目盛りを「切」から「弱」に変える。オレンジ色でぼんやり光っていた。

父がランプ灯りを灯し本を読む中、
母が「明るいからもう寝なよ」、とこぼす。
あまり追求すると怒号が飛んでくるのでやめてほしいと思った。
だいいち、先に眠られたら眠られたで鼾が大きすぎて眠れない。

家族4人で川の字で眠る。
眼前右手には嵐のなか進む船のポスター。
父の趣味だったんだろうか。当たり前に考えればきっとそうなんだろうか。
ただそもそも祖父の家が建った時には父はもう一緒に住んでいない筈。
ということはまた別の誰かが張ったんだろうか。

豆電球に照らされてオレンジがかかった帆船を見ながら
何処に行くんだろう、とか。書いてる英語は何なんだろうだとか
ずっと考えていたような気がする。答えは忘れた。

父もモノづくりが好きだったようだ、自ら書いたらしい絵もあった。
楽器もあった気がする。受け継いだが仲間にあげてしまった。
今思えば勿体なかったかも。でも本当にいろんなものがあった
弟と一緒にいろんなものを掘り返しては怒られた。
楽しい家だった

祖父がコロナで世間が変わる少し前に死んだ
祖母はずいぶん前に他界している。
親戚家族が集まっていた家だが、守る人がとうとう居なくなった。
とはいえケアホームに晩年は入っていたし、
何年も前から空き家みたいなものになって居た訳なんだけれど。

食器も随分あったし、父の幼少期の名残も探せば出てきた。
僕が本州に向かう際に置いて行った楽器から、果ては高校の教科書まで段ボールに入ったまま眠っている筈だ。

いつか帰った時には既にモノだけが取り残されていたような状況で
一瞬の懐かしさから反転した。

ジュースを取りに行った台所横も
親戚の子供たちみんなで駆け上がった階段も
あんなに秘密基地みたいで楽しかった二階の奥も。
全部が他人事みたいに見えてしまって
変に恐怖心みたいなものが生まれてたのを強く覚えている。

楽しい家だったはずなのに、知らない家みたいだった。

人が住まなくなった家は急速に老巧化して行くというが
それをただ目の当たりにしただけだったのか、それとも。

転勤族で転々と住居を変えてきた父と母の終の棲家は
そこになるんだそうで、荷物は殆ど処分したと聞いた。

コロナ過のなか、未だ帰れていない
最期祖父がどうなったかも知らない
最後に見た祖父はケアハウスのベッドの上で、
雄の目で母を見て、知らない人の言葉で喋る人間で止まっている。

次に見る新しい「実家」は、どう見えるんだろう



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