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エンターテイン

「ここは生のニュアンスでなければ。」

そりゃそうだ、実演で上手に出来ればいいに決まってる
だがしかし自分には竿以外に於ける生演奏のスキルはない
即習熟が出来、即座弾く事を誰もが出来れば既に専門家は息をするのを止めている
いつかまで当たり前に存在したテープカッターの様に

そしてそもそも
視聴して戴いたファツィオリは生のファツィオリではない
サンプルを重ねて作られた「ファツィオリのようなもの」だ

その事実ではないけど事実に聞こえるソレを使い
手練手管を用いて傀儡子のような真似事をする

触り続けると癖が見える
見えた所で自分なりの解釈を繰り返すうち
打点が少しずつ見えるようになってきて
そうこうしているうちにデータが出来た
演奏とは言わない、データ作成

そこには実際の楽器も演奏者も存在しない

操る糸を手繰って構造を知り
どこまでが可動域で
どこまでが一般的に出る音域で
どこまでが楽器としてのソレを保つ限界なのか
楽器一つに対してあれこれ思案を巡らせて出来たもの

生とは何か
聞けば聞くだけ遠い気持ちになる

ただ、こちらも全てドットで打ち込むだけでなく
実際に時間軸に対してリアルタイムに演奏するとどうか

9割の真実に1割の嘘を入れると、
その嘘は本当になる事もあるように
嘘がどこか分からないそれは真実とも言える
なんだ?それは騙しているという事になるのか?
勿論そんな気持ちでは行っていない

演奏難度に対し真実の割合を落としていく
7割の演奏に3割の打ち込み
更に純度を落とす事もままある

6割の演奏に4割の打ち込み

4割の演奏に4割の打ち込み、2割の装飾
装飾には演奏タイミングの揺れ、打鍵の強さ
出来る補正は何でもする、全ては質の担保のため

そうして生まれた継ぎ接ぎに
カバーメイクを施し、テクスチャを綺麗に
脳内で産出されている「生感」に近い
質感の残響を織り交ぜて
塊になったデータを渡すと

「これで良い」となった

おつかれさまでした

実際生演奏であれキメラのようにデータは作られる
一昔前は一発の演奏でOKが取れる事が必然だったらしい
今そんな事が出来る演者はほぼ知らない
いるのかもしれない、だがポップスジャンルにおいて
エディットは確実にされる
切り刻まれるドラムのエディットデータを見て
叩く意味とは?と疑問に思う事もなくもない
ショットサンプルも全てサンプリングされているから

そういう意味ではオペレーターも
演奏者とも言えるように思うが
大概はそこで反感を買うのも確か
理不尽だねえ

感情を入れてリアルタイムに弾くことと
感情を作ってそのデータシートを質感に合わせ
整え流していくこと

どちらも触るようになって随分経ったけれど
そこに優劣があるとするなら何になるんだろう

質の高さの本質とはなんだろうか
答えは人の数だけあるように思う

今となってはエンタメの嘘加減が好きだ
仮に化けの皮がちら見えしたとして
そこをわざわざ突くような事はしない
ハリボテが見える所も含めエンタメだと思っている
見えない筈の色が見える事だってある

そういえば昼過ぎ位に
自分の好みを伝えた際
「これはゴミだ、価値はない」と
一蹴する初めましての人がいた

それでは何が最高なのか言うのかと思えば
特に代案を出してくる事もなく
最終的にその人の身の上話の相談で話は終わった
あれはあれで酷いエンタメだったが面白かった

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