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bite mark

「おにぎりは何処から食べてもおいしいから好き」

なるほど考えた事がない
それを聞くまでおにぎりは正直どうでもいいご飯で
特段何か味を考えて決めるわけでもなく
三角だろうが丸だろうが、喉を通せばもうお終い
手間を考えれば丸の方がいい

脳内でのさばたくブームも手伝ってか
今はどんなおにぎりを食べようか、みたいな事が頭に浮かぶ
小さな楽しみが出来た
確かに三角の海苔が分離しているタイプは
ぱりぱりしておいしい
冷えたご飯も今となっては不思議とおいしい
郷土的には絶対的に温め派閥に居たはずなのに

卓上で何かを考えている時の食事程どうでもいいものはなく
食事はソレが終わった後のコミュニケーションツールとして使う
立ち位置それぞれ、それなりなご飯が並ぶ
解散した後、何となく公園でおにぎりを食べたくなる

酒を飲む事が減った
そもそも飲み場に意味もなく行かなくなった
自分が店に立つ様になったからか?と思う事もあったけど
そういう事じゃない、意識的にセーブしてるのが自分で解る
会話を残しておきたいと前より強く思っている
残したいと思う、やっぱりすべての記憶はとっておけないから
風化するのは仕方がない、上書きもしたらいい
でもなるべくは覚えていたい、小さな事でも

そんな事を考えるうち
刹那的な感情がどんどん減った
最近飲みすぎて飛んだ知人の事を他人事に思えないと
思ったのは思ったけど改めて考えると
そもそもそんな事になるシチュエーションがない
瓶ダで競う遊びももうすっかりご無沙汰している
前は生き方がそうなんだからしゃーないとすら
今はそのギアはどっかにいった
何処に行った?持ってったんかな

でもそれは少し、不安な気持ちが付き纏う
飛んでる位の生活じゃないといけない、と
理由もなく焦るような気持ちもあって

家に居るだけじゃ何も生まれないのは確か、でも
前に戻るのは如何なものかとも思う要素も大きくて
変化が生まれてきた

擦りながらの生活は派手に見えそうだけど
前触れもなく朝が来ると虚無感が来たり
涙が出たりする事もあって
まだ今日が終わってもいないのに
明日が押し寄せる絶望感も
周りの表情や会話の全てが嘘なのか本当なのか
自分も騙しながら笑顔を被るのも
今はない

一番ギチギチにやってる頃の写真を見つけた
笑おうとしていた
全く笑えていなくて面白かった

そういう意味ではだいぶ穏やかになれたのかも、と思った矢先に
今日も何でか箍が外れたみたいな音が出る

配分してやっている筈なのに
身体が安全装置を外すみたいな状態になっていくのは最高に気持ちがいい
ただ音と言葉にフォーカスしていける幸せを感じられるたのしさ

どーんと吐き出して
アホになった自分の頭を寝かせながら
どこから齧っても美味しい奴に少し
なれそうな気がした

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