fragmented memory
チェコ人に貰った風邪薬
確か青色の紙パケでマグカップに紫色の液体が書かれてた
封を切ったら真紫のバスクリンみたいな見た目だったような記憶がある
粉末はお湯に溶かして飲むといいと言われた
風邪薬を溶かして飲む習慣がなかったのと
見た目のパンチ力から正直飲みたくないなって思った気がする
味はあんまり覚えていないけど、甘かったと思う
貰った分は結構経ってからサーモスに入れて飲んだ
ぼんやりと流してくれてたテレビからは
ネトフリには流氷の映像がずっと流れてた
ディスカバリーチャンネルだったのかもしれない
断片的に覚えているけど殆ど覚えてない
いつ頃の事だったかも曖昧で
何の話をしたのかも覚えてなくて
確か一人で家に帰ったはず
記憶を頑張って掘り返しても
風邪薬をくれた人そのものの、目の色や髪の色、体躯
全てが思い出せない
どうしてそもそも家に行ったんだ
全部が夢だったのかもしれない
いきなり前の記憶が立ち戻ってくる感覚ってなんなんだろうね
匂いや景色でノスタルジーな気持ちになる事はある
けど、脈略もなくこんな感じになると
何かの前触れなのかなって邪推してしまう
チェコ、風邪薬で調べたらColdRexと出てきた
全部が夢ではなかったみたい
でも人の顔は思い出せないまま思い出すのをやめた
割と記憶力はあるつもりでいるけど
覚えている、って事象そのものが夢みたいにぼんやりしてきて
いつかゆっくりぼんやり混ざっていくんじゃないかなって
たまに不安になる
どんなに大事にしても抗えないのかも
とか思うとじんわり哀しくなるような気もする
でもその時大事に出来てるかが大事だったりもするよね
皆はどうしてるんだろう
忘れないように何かに残してるのかな
携帯のカメラに撮った写真って全然自分じゃ見返さないし
日記もつけることはしない
その代わりその時を大事にしたくてすごくしっかり、
強く記憶に残るように
一生懸命目に焼き付けようとするけど
ちょっと失敗したかもしれないなって思うようになった
今回のみたいに記憶の本体から切り離されて溶けてく記憶だってあると思うの
祖父はよく家族の写真を撮る人だった
父も漏れなくそうなった、帰ると同じ動きをしている
気持ち悪いなと思う、態々聞く事も無いけど
当人もそう思ってるんじゃないかきっと
ウチの制作室のドライボックスにも一眼がある
ライブの写真を良く撮っていた時もあった
そろそろ出してみようかなって思う
何を撮ろうね
先ずは使える遺影から。が過った
割と悪くない選択だと思う
アー写を飾られるのは何だか最期までピエロみたい
それもそれでいいのかもしれないけどさ
何より誰かに看取って貰えるかもしれない事を
漠然と思ってる自分に少し笑えた日
おはようおやすみお元気で