対蓮ノ空実抗委員会 手記 241231


党首様の幸せを心より願っております。

ところでこの手記って1年続いたんですね。びっくりしてます。
今年はなんだかんだたくさんアウトプットができた気がしてて個人的には満足しています。遅筆だし接続詞間違えまくりなので、もうちょっと丁寧な文章心がけたいなって思います。

個人的には年明けに投稿した眩耀夜行とスリブの歌詞の幻覚記事が異様に読まれてしまって恥ずかしい限りです。

でも個人的に辻褄は合わせた(?)つもりですし、瞬間性に力点を置いているところや時間の連続性の議論を年始めの時点でできていたのは、この一年過ごす上でだいぶ助けになっていました。特に吟子回の味が格別なものになったので。

あとは春夏秋冬、季節の一巡りを金沢で体験できたことが個人的にはすごく嬉しかったですね。春と秋の期間がだんだんと短くなってきている昨今ですが、僅かな春秋を金沢という地で拾えたのは良かったです。そちらは以下で触れています。

大都会の街並みでは四季を感じることが難しくなっていますからね。そういう意味では地方都市は良いものです。

さて、今回の手記では1年以上逃げ続けてきた"推し"についてお話しようかなって思います。しっかり1年ほど結論先送りにした上にまだ言葉が定まってないので書き散らすことになると思いますけど、1度現段階でまとめることに意味があると信じてます。

『推し』についての個人的なスタンスは昨年とあまり変わってません。簡単にまとめると、

☝『推し』と『好き』は好意のベクトルとして同ベクトル。
✌『好き』から『推し』への変化には『リスペクト』が起因している。
👌『☝』と『✌』をハートに入れてよーくかき混ぜます👏👏

『推し』は他人へのおすすめポイントと読み替えることができますが、個人的には推しへの昇華のポイントとしてリスペクトの有無を軸にしています。リスペクトがあった方が他人にも勧めやすいですし。

で、弊推しの話に移ります。
蓮ノ空と向き合ってからそろそろ2年ですが、最近その中でも専ら立ち向かってるのは、藤島慈さん、そして月音こなさんです。藤島慈さんについては散々言及した感があるのと、一年放置した自分課題は月音こなさんの方なのでそちらの話ししたいと思います。

そもそもいつから明確に推すようになったのか?という話もありますが、ツイート(現ポスト)を遡ると昨年の11月前後でした。おそらく僕自身が蓮ノ空のストーリーに追いついて、まともにキャストに目を向けられるようになった時期と1stライブの後というと解像度が上がるかもしれません。
初速としては、みらくらぱーく!好きだ!!!くらいの粒度だったと思うんですけど、なんでこんな大きめの塊になってしまったんですかね……。わからん。

3つターニングポイントがあるとするれば、1つは『藤島慈』。もう1つのターニングポイントは『Apollo Bay Presents Reading Live「WHITE SWAN next」』。そしてもう1つ、皆さんご存知ボイスサンプルです。

聞いていただきたいのは3つめのボイスサンプルです。これ本当にすごいことしてます。特に藤島慈から入った方に取っては寝耳にバケツ水くらい衝撃を受けます。とんでもないです。

ちょっとダウナー目なショタっぽいお声が得意/目標なんですかね……。これ藤島慈さんを経由してから来るとなかなか嬉しい発見ですよね。でも、普段の声質から考えると確かに声高めの青年っぽい声の出し方が似合うのかもしれない。え、でも、こなちが声の震源なの!?みたいな遅効性の毒みたいなものが全身をぬるりと進行して名もつかぬエクスタシー(?)を感じますよね(??)うれしい〜。
ということを考えていたのが今年の1月です。その後、2月スワネクで"本物"を食らうことになるわけです。

スワネクでの月音こなさんの立ち位置は新人声優ことねちゃん、今回はストーリーテラーとして物語をサポートをします。ことねちゃんもなかなか控えめに我を感じる良いキャラクターでした。声質はややダウナーよりで先輩の背中を追いかけつつ、株さん演じる大先輩へは盗める技術はないか、ひたむきに質問をしているキャラクターでした。最初はボイたまプロジェクトに対しても消極的なスタンスでしたが、徐々に打ち解け、円陣の手の高さがはじまりとおわりで明確に違うなどお気に入りポイントの多い子でした。

元気ハツラツなキャラを演じると勝手に思い込んでスワネクに挑んだので、予想外の方面からいい意味で透かされた感じと月音こなさんの引き出しは実のところ多いのでは?というワクワク感がすごく良かったです。そのあたりから、"役者月音こな"が気になり出しました。

少し脱線ですが、よくよく考えると、実は藤島慈の方が特異な気がしていて、佐藤聡美さんで言う、代表作のけいおん!田井中律の声質が異質なのと同じなのかなと最近思い始めています。普段の声のトーンを考えるなど状況証拠は揃っていましたがあまり深くは考えていなかったです。またTiktokで素の歌声を聴くことができますが、おたおめで披露された歌声も、藤島慈のイメージからすると低めで、藤島慈の声は所謂キャラ声なんだろうなって感じています。
そうなってくると、キャラ声を維持しつつ演技ひいては歌って踊ってるって考えると、ちゃんと一目置いたほうが良い気がしてきます。

で、敬意を持って月音こなさんの所作に着目していると、1点ずば抜けて秀でたものがあると感じました。それはキャラクターとの向き合い方です。

キャラクターと寄り添っている。多くの声の演じ手の方々に見られる姿勢です。すごくありがたいし、視聴者としてうれしい姿勢です。しかし、月音こなさんはちょっと違う寄り添い方をしていると感じています。端的に言うとキャラと排他的な独立をしているんですよね。よくわからないですね。噛み砕くと、『キャラクターに対して一個人として接している』という話です。特に象徴的だったのは先日行われた蓮ノ空ファンミーティングです。その日は藤島慈さんの誕生日の2日後ということもあり、みんな藤島慈さんのお祝いムードでした。そんな中みんなでペンライトをろうそくに見立てて月音こなさんが吹き消すという件がありました。その時月音こなさんはさらりと『めぐちゃんの代わりに私が吹き消します。』と言ってのけました。これすごいことで、キャラクターと自身の独立性を保っていないと、そういう思考ができるよう日頃からチューニングしていないと当意即妙に発言することはできません。これは私の解釈ですが「みんなは月音こなではなく、藤島慈というエンターテイナーを観に来ている、応援してきている。あくまで私はそのフィルター、窓口、インターフェースなんだ。」そういう考えが根底にあるのではないかと感じました。ゆみ先生から、「アバターではなく生身で踊ることの意味を考えなさい。」と言われてるそうですが、キャラとの独立性を保つというのは1つの解だと思います。重ねていいますがこれは私の特段と偏見から生まれた解釈です。しかし、過大解釈するにはやはりベースとなる出力、所作がないとこちらも感じようがありません。それを意識的か無意識かはわかりませんが、発信できていることに改めて敬意を感じています。

独立性があるとなにがうれしいか?という議論もしなければなりませんね。キャラクターとの重ね合わせではなく独立性を保つことによってなにが起こるのか、個人的には「比較による分析とリスペクトの発生」だと思います。リスペクトは自己分析だけでなく、他者との比較によって生じます。それは自分と向き合うことから生じる苦痛と降伏を生みますが、「このキャラクターのここは自分にはない、取り入れるべきだ」と素直に自分のものに変換する大きな力を手にできます。この変換プロセスが結果的にキャラクターへの解像度の向上と自己研鑽に繋がると(勝手に)感じています。

一息で書いてしまいましたが、私の中では「藤島慈さんに対する独立事象的な精神が月音こなさんの中にあると感じ、それが"推せる"と感じた。」という話です。

あともう1つ。月音こなさんにはどこか利他的な精神を感じるというというのがあります。利己的で利他的な二律背反な精神です。これは昨年の実抗委員会の中で藤島慈さんの推しポイントを語るときに書きましたが、藤島慈さんに閉じず、月音こなさんからも感じることができるなと感じました。
"月音こな"という自分の存在は藤島慈さんというエンドポイントに向かうあくまで通過点、ひいては蓮ノ空が盛り上がるなら自分という存在は通過点で良いというスタンスです。
それって非常に利他的な行為であると感じています。このある種の奉仕の精神ってよほど全体が見えていないとできない行為だと思います。(当人が本当に見ているのかわかりませんが……。)

だらだら書いてしまいましたが、月音こなさんの個人的なリスペクトポイントは3点。

  • 演技の潜在性

  • キャラクターとの向き合い方

  • 利他的な精神(審議)

以上から月音こなさんは"推せる"と個人的に思っています。

この1年間真面目に向き合ってみましたが、好きをちゃんと噛み砕く行為はなかなか骨が折れました。ただ、自分の中で1個ロジック持てたのは良かったかもしれません。案外考えるのは楽しかったです。

さて、来年はいよいよ蓮ノ空の真髄を見れる年だとわくわくしているのと、年始めにはラブライブ!決勝が控えています。そして、月音こなさんの新たなコンテンツ供給も決まっています。

お仕事に真摯なのは美しいです。
月音こなさんの今後のご発展を願いつつ、来年も飛躍の年にしていただけたらなと思います。

自分もお仕事も推し事もがんばるぞ!チェストー!

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