工事現場
いつも通っている通りで工事が行われていた。いつも通っている通りなのに、工事が始まってしまうとなにが建っていたか全く思い出せない。
壊されると気になってしまうけれど、それまで気にもとめずに通っていたということか。
渋谷駅の再開発が始まって久しい。どっかしら大きな工事をしていて、少し経つともう迷路状態になっている。
ランドマーク的な建物も、どんどんなくなり工事が進む。
雑然としていた渋谷をいいと思ったことはないけれど、こんなにも変わってしまうと、雑然としていた渋谷も案外よかったんじゃないかなんて思ってしまう。
古きを重んじ、新しきを軽んじているわけではなくて、変化した方がいいとは思う。もちろんいい方に変わっているなら。
ただ、毎度毎度迷路みたいな渋谷を通るたびにこれは良い方に変わっているのかなぁと思ったりもする。
海外の人は、いつも携帯を片手に迷っているように感じるし、祖母もわかりにくくて迷ってしまうから渋谷に行くのは億劫だと言っていた。
職人という生き方に憧れている。何かに没頭し、それに夢中になり、人生をかけている姿がかっこいいと思う。
なんだか、私が書くと「かっこいい」という言葉が上滑りしている気もしないではないけれど、 でもやっぱりかっこいいしか言えないのよね。
刀鍛冶の方のドキュメンタリーを観た。「必要ないんだもんね。」と刀が現代の必需品でないことをおちゃめに言いながら、毎日10時間以上刀に向き合って、その他合間を縫って海外に刀を広めていらっしゃった。
刀の写真を、頭に叩きこんで寸分違わず作ってしまうところとか。これはもう刀に心酔していないとできないと思う。
そんな生き方をしてみたい。
恋愛だとか、結婚適齢期とか、親孝行とか、キャリアとか、お金とか、周りからの評価とかそうゆうものは二の次三の次で、誰にも喜んでもらえなくても、喜んでもらうために、全力を尽くす。
一日を積み重ねていって、いつの間にか景色が違っていた。
そうゆうものに出会いたい。
さっき書いた刀鍛冶の方も、20代から天才と言われたらしい。
天才と言われたスタート地点から半世紀も一つのことを追求するのって私には見えてない視点があるんだろうなぁと思ってしまう。
苦労も辛さもきっといっぱいあるんだろうけど、それでも何かに秀でているものがあることが羨ましい。
何かに秀でることができなかったから、今こうして机に向っているんだなぁと改めて思う。
突き詰めた人は、何かしら「作品」を残せるけれど、今の私はきっと工事中の幕が張られてから、「あれ、あそこにはなにがあったかしら?」って思われてしまうだけにすぎない。それでも日常は続いて行く訳で、そうゆうのを無常というのかもしれない。
そうゆう風に思っている。