所有と収納
SNSも、ネットバンキングも、電子書籍もあんまり信用できない自分がいる。
だからといって、使っていないわけではない。
itunesも好きだし、電子書籍で漫画を買ったこともあるし、SNSも結構よく使っている。
Apple musicとか、定額制の音楽聴き放題サービスもあるけれど、気に入った曲をいつまでも聴けることを考えるとやっぱりitunesの方が好きだ。
実際に手が触れられないものにお金を出すという行為を、絶対的に信用できないという点で、私はデジタル・ネイティブとは言えないような気がする。
アナログ派の人間といえるだろう。
デジタル・ネイティブになれない理由としてはやっぱりどうしても「所有」という概念は、手で触れて自分で触ってこそ所有していると思ってしまう節がある。
SNSもなんでもパソコンの中の世界で何かを所有するという行為は、所有という概念に諦めを持つことだと思うのだ。
実際自分で実体のあるものを購入した場合には、現代において手放すところは自分の意思で決めることが出来ることが多い。
でも、電子的なものは、パソコンというハコがなければそもそも成立しないし、サービスが一旦終了してしまえば手元に残ることはないと考えるべきだろう。そう言う意味で、ネット上での「所有」という行為は、ある程度不完全性が伴うことを考慮にいれた上で手をだすことを覚悟しなければならない。
その覚悟が、中途半端なので、私はどうしても実体のある方を選んでしまう。
それでも、なるべく部屋はシンプルであって欲しいと思うから、モノは増やしたくない。ただ、物欲にまかせているとほしいものはどんどん増えていく。
収納スペースは限られている…。
落とし所を見つける必要が出てくる。
積極的に入れ替えを試みて、所有物の風通しをよくしようと思うのだけれど、これが習慣化すると楽しさ半分、手放してしまったことを偶に後悔することが半分ある。
ただ、デジタルでも、欲しがり・所有したがりな私に便利な面もある。
ちょっと気になった商品等を検索して、Amazonで「ほしいものリスト」にいれておけばいいのだ。
ほしいものリストに追加して、偶にこんな本を読みたいと思ったなぁ〜と思うだけで、なんか半ば所有したような気になってしまうらしく、一度「ほしいものリスト」に本をいれると、結局それで満足してしまい買わないことの方が多い。
だから、ほしいものリストに入れるかどうかは、その本を本当にほしいと思っているかをしる重要なものさしにもなっている。
メリー・ポピンズという映画が子供の頃からたまらなく好きなのだけれど、ポピンズが持っているカバンは、ドラえもんの四次元ポケットにも似ていて、色んなものを収納することができる。どうしてあれが、この現代で発明されないんだろう。
AIで人工知能がなんちゃらと言われるよりも、四次元ポケットで収納の概念を変えてほしいという願いがある。
所有と収納は、コインの裏表くらいに面倒なもんだいで、私は今日もNoteといういつか目の前からいきなり消えてしまう可能性がある媒体にとりとめのないことを書き記している。