「頑張ります。」という言葉
自分が「頑張ります!」と口に出している時は、「本当にそう思ってるの?」って心に聞いてみることにしている。
最近自分のことが、20も後半になったからか、前よりもよくわかるようになってきて、「頑張ってね!」って声をかけられた時に、本当にそう思って言っていない場合が多いということに気づいたのだ。
一種の脊髄反射のような、もはやパブロフの犬のような私の「頑張って!」と「頑張ります!」の応酬である。
そんな具合なので、「頑張って!」に対する「頑張ります!」は、発言した時の心理状態と重なってないことが多いのではないかなぁと思うようになった。
というのも、「ここで頑張れなきゃ、あなたずっとダメなままですよ。」って言われたことがあって、その時も当たり前のように「頑張ります。」と返して、そっから、「頑張らなくちゃ!自分頑張れ!」と呪文のように自分を奮い立たせていたのだけれど、言ってるだけで大して頑張れていない自分がいた。
そうして、「頑張らなくちゃいけないのに、どうして出来ないんだ!」と自分を責めるループ。責めループ。よくないやつ。延々と続くやつ。
こうゆう悪循環の時って、結局「頑張ります!」と言った時、なんにも考えていない時だ。
よくないとは思うのだけれど、私たちは(私だけだろうか)合言葉のように「頑張って!」と「頑張ります!」を繰り返していて、本当の自分の気持ちがどこにあるのかわかっていない時がある。
だから、「頑張ります!」と言っている時に気持ちが追いついているかしっかり確認しなくちゃと思っている。
上手く行く時って、「頑張ります!」というよりも「頑張って!」という言葉の前にもうやっている。見切り発車のみたいにというより、心が目の前のことに集中しているので、もはや暴走列車級である。
これはこれで問題な気もするけれど、責めループよりはいい。
但し、これはあくまで私の問題なのであって人からかけてもらう「頑張れ!」は大好きである!人からいただく「頑張れ」は、目の前にガムがぶらさげられたイヌのように嬉しく思ってしまう節がある。
だから、その言葉に応えたいという気持ちもあって、「頑張ります!」と言ってしまうのである。そこから少し経って、「あれ…なんで私頑張ってるんだっけ?」と思った時には、もう責めループ・ダメループに片足を突っ込んでしまっているのである。
だから、ちゃんと期待に応えられる自分でいるためにも、「頑張ります!」を今一度検討しなくてはいけないと思う。
そんな訳で、「頑張ります!」と安易に言わないようにがんばろうと思う。
おい。