歌舞伎座ないのに何で ”歌舞伎"町って言うの?
今日は店休日だったんだけど、週1で店休あると心も体も休まってとっても助かる〜〜〜
本当に早いもので、俺が歌舞伎町に来てから2ヶ月ちょっと経ったんだけど、ず〜〜っと気になってることがあって、それが「歌舞伎町の成り立ち」
歌舞伎座がないのに、どうして”歌舞伎”町って言うんだろう〜ってずっと気になってたから今日は調べてみたよ〜
まず、めちゃくちゃびっくりしたんだけど、戦前、今の歌舞伎町は普通の商店街だったらしい
普通にみんながお買い物をしてる、ごくごく普通の商店街。
すごく平和な町だったんだけど、それが第二次世界大戦の空襲で全部焼け野原になっちゃったらしいんだよね
建物はほぼ無くなってしまって、真っ黒の灰だらけのさら地になってしまった。
そこで当時の町会長、鈴木喜兵衛さんっていう人が、行政のまちづくりのプロと協力して、当時勢いのあった「銀座」と「浅草」をハイブリットさせたような芸能の街として、娯楽の街として、この街を復興させて日本の人たちを元気にしようと画策したらしい
「銀座」と「浅草」のハイブリット、つまり「歌舞伎座」をその芸能の中心として、た〜くさん建てていこう!という計画で『歌舞伎町』と名付けたっぽいよ
でも建築法が変わってしまったり、財政的な問題もあって、結局大きな建物である歌舞伎座は建てることはできなかった
ただ都市計画の際につけられた「歌舞伎町」という名前だけは残った、っていう経緯らしいよ
現在は何となく「性」とか「欲」が渦巻く街としてのイメージがあるけど、当時の町会長の町と日本の復興を願う想いが発端となってできた街だったんだね、歌舞伎町
なんか愛着湧いてきた〜〜〜
ちなみに、当時の町会長「鈴木喜兵衛」さんの長男が創業した「すずや」ってトンカツ屋さんは、今も8代目の元茂さんが続けてるらしいから、今日行ってみようかな〜〜〜
この元茂さん、今も歌舞伎町商店街振興組合理事長として、歌舞伎町の発展に尽くしてくれているみたいだよ〜好きになってきた〜歌舞伎町〜〜〜
それと、歌舞伎町の成り立ちを調べていく中で知った豆知識!
歌舞伎町タワーの上層部をよく見ると、波のデザインが施されているんだけど、それは元々、今の歌舞伎町らへんの場所には川とか沼とかがあって、水が身近にある場所だったから、なんだって〜〜〜
今日は何の日?
今日は10/24。国連デーらしいですよ。
国際連合は1945年の今日、第二次大戦後の平和と安全の維持、各国間の友好関係の促進のためにできた組織だね。日本史でやったはずだけど、ほぼ覚えてないや〜〜。
でも日本が国連に加盟できたのは1956年。ソ連と国交を回復してから入れてもらえたんだね、日本仲間はずれされててかわいい。
あ、でもみんな仲間はずれしないで仲良くしようね。
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