炎熱やここが世界の消失点/炎熱の畑いっそ倒れて土となる
自然農塾は来月から新学年度。
9月に植え付ける作物のため、
師匠は研修畑を整備中です。
研修生の育てたミックスリーフ、にんじん、豆などは
収穫を急いで先月半ばくらいまでには
場所が空きました。
オクラはまだ花をつけていて
つぎつぎと新しい実がついてきますが、
9月までに研修畑の耕運をしておかなければならないので、
切り倒して、
敷いてあるマルチシートを取り除いて行きます。
シートを押さえている土を
ショベルで掘り崩して脇にやって行くのですが、
結構きつい作業です。
おまけに、午前中とはいえ
かなりの炎天下。
やっているうちに
自分も周囲もだんだんと無になったような
境地になります。
このまま倒れるのだろうか・・・
と感じたといえば大袈裟ですが、
さすがに限界は早くきます。
ちょっと休憩してひたすらペットボトルに吸い付きます。
師匠もそのあたりはよく心得ていて、
今日更地にしたのは
オクラの畝全体の5分の1くらいでしょうか。
休憩時に師匠と塾生のMさんが
それぞれの知り合いや親族が熱中症で亡くなった話をしていました。
だから暑さをナメてはいけない、と。
それを聞きながら、
畑人が高齢になって、
仮に畳の上で死なないとしたら、
畑で土に倒れ込んでそのまま大往生・・・
というのもアリかな、とふと思いました。
もっとも、誰かが見つけるでしょうから、
そのまま土になることもないとは思いますが。
ともあれ、90歳になっても100歳を超えても
野良仕事に出られたら
幸せですね。
そこまで考えが飛んだとき、
ふと中学生か高校生の時分に読んだ話を思い出しました。
ここから先は少しグロテスクに感じるかもしれませんので、
敏感な方はどうぞここまでにしてください。
リプレーの『世界奇談集』に収められていたエピソードだったか、
もはや手元にその本がないので記憶違いかもしれませんが、
クリミア戦争後、
ロシア政府が戦死者の遺体を肥料として
売りに出した、という話でした。
丁寧にも頭蓋骨がピラミッドのように
うずたかく積み上げられているイラスト付きでした。
読んでかなりショックを受けたと思います。
他のエピソードはほとんど忘れていますが、
この話はよく憶えていますから。
しかし、その話は本当にあったことなのだろうか。
この日記を書きながら
気になって
ネットを検索してみました。
結論からいうと、
どうやら事実のようです。
クリミア戦争のケースについては見つけられませんでしたが、
それ以前、ナポレオン戦争の時代の
遺体ビジネスについて
BBCヒストリーマガジンのサイトに言及がありました。
それによれば、
人や馬の骨はカルシウムに富んでいて、
よい肥料になることが当時知られており、
ナポレオン戦争の後、
肥料業者たちはアウステルリッツ、ライプチヒ、ワーテルローといった
古戦場をまわって遺体を回収し、
イギリスの加工場に運んでいたというのです。
現代人にとってはショッキングですが、
時代が違っていたのだ、と記事はいいます。
さらに、
肥料業者がワーテルローに入ってくるずっと前から、
戦死者の歯を回収し、
イギリスに持って行って入れ歯の材料にすることが
盛んに行われていたとのことで、
これらはのちのちまで「ワーテルロー歯」と
呼び慣わされていたとか。
そもそも
貧しい人の遺体は商品とみなされていて
肥料になったり、
入れ歯になったり、
医学生の教材になったりしていたのだと書かれています。
大会戦で
おおぜいがいっぺんに同じ野にしかばねを晒すこととなった
一連のナポレオン戦争は
大変な悲劇でしたが、
入れ歯ビジネス、肥料ビジネスにとっては
またとない起爆剤となったということでしょう。
200年ばかり前ですが、
当時の感覚は今とはかなり違っていますね。
[追記]さみだれ式にまた思い出したのですが、
ヴィクトル・ユーゴーの高名な小説『レ・ミゼラブル』に
ワーテルローの戦いの直後、
悪党テナルディエが戦場に積み重なった戦死者の
身に付けている貴重品を漁る場面が出てきます。
「彼の前数歩の所に、凹路の中に、死骸の堆積がつきている所に、それらの人と馬との折り重なった下から指を広げた一本の手が出ていて、月の光に照らされていた。
その手には何か光るものが指についていた。金の指輪であった。
男は身をかがめ、ちょっとそこにうずくまった。そして彼が再び身を起こした時は、差し出てる手にはもう指輪がなくなっていた。」(豊島与志雄訳)