恋してオムレツ(東軍:今村昌弘、水沢秋生、尼野ゆたか)
(お題:浮気)
第1章(今村昌弘)
「目玉焼きには、何をかけますか?」
誰もがどこかで一度は聞いたことがある、ありふれた疑問だ。
だが僕が彼女からこの問いを発せられたのは、なんと初対面の、見合いの席だった。僕も彼女も親戚のおせっかいを断りきれず、半ば強引に引き合わされたお見合いの場で、彼女は上目遣いで言った。
「私、外見も年収も気にしません。ただ、食に対する価値観が合わない人とは一緒になりたくありません」
静かな、しかし断固とした気持ちをうかがわせる口調だった。
彼女にどんな過去があるのか、深い追及ができないままにその時は別の話題に移り、我々は付き合いを始め、つい一ヶ月前にめでたく結婚したのだった。
そんな結婚ほやほやの二人だったのに。
彼女は今、玄関で肩をいからせ、私の前に仁王立ちしている。
「信じていたのに」
シンジテイタノニ、と聞こえそうな、血の気の引いた声だった。
「裏切ったのね、あなた」
「なんの話だよ。っていうか、お前、血、血」
「ケチャップよ」
エプロンに散っていた赤色が人血でなかったことに一安心する。
「なにがあったんだよ」
「しらばっくれないで。あなた、今朝のオムレツに醤油をかけて食べたでしょ。お皿に醤油が残っていたわ」
僕はぎくりとする。
彼女の食べ物に対する強い執着。それが「食べ物になにをかけるか問題」だった。特に彼女の得意料理であるオムレツにはケチャップをかけるのが絶対的なルールだ。僕はそれを知った時、己の醤油好きを押し隠して
「そりゃケチャップだよね。醤油をかける奴の気がしれないよ」
としらを切ったのだ。
彼女と出会ってからの2年間、この醤油好きはうまく隠し通してきた。だが最近の僕は激務であまりにも疲れていた。共働きの彼女が出勤前に置いていってくれた朝食に、ついうっかり醤油をかけてしまったというのか!?
いや待て、そんなはずはない。
だって昨晩にサンマを食べた時、醤油は使い切っていたのだから!
いったいなにが起きているんだ。
第2章(水沢秋生)
「まあ、まずは落ち着け。いや、落ち着いてください」
僕は言った。使い切ったはずの醤油がどこから現れたのかという大きな問題はあるものの、まずは彼女をなだめなければ。
「誓っていうが、僕はオムレツには決して醤油をかけてはいない」
僕は彼女の目を見続けた。たとえそれが嘘であっても、相手の目を見据えること。それは仕事を通じて学んだことだった。
そう言いながらも、頭の中ではさまざまな言い訳のシュミレーションが浮かぶ。僕は確かにケチャップをかけるとは言った。ただそれは目玉焼きであってオムレツや卵焼きではないよ、とか?
いやだめだ。そんな重箱のすみをつつくような真似をしてもしかたがない。
「僕は、醤油は、かけてはいない」
とりあえず、そういったが彼女は疑わしげな表情で僕を見返しているだけだ。まあ、そりゃそうだろう。
「とりあえず、ケチャップを拭きなさい。いや、拭いてください」
僕はティッシュの箱を差し出した。顔にまでケチャップが飛び散った彼女の顔には凄惨な美があった。僕は思わず、彼女の顔に見とれた。
「じゃあ、この皿のシミはなんなの」
彼女が背後から汚れた皿を差し出す。それは明らかに、どこからどう見ても醤油のシミだ。匂いも醤油そのもの。
「ほら、ケチャップじゃないか」
にもかかわらず、僕は言った。
「どこからどう見てもケチャップそのものだ。きっと時間が経って成分が変わってしまったんだな。だから醤油のような見た目になって、醤油のような匂いがするんだよ。仕方ないなあ」
彼女が不審そうな顔になり、皿を眺める。彼女の整った鼻が皿に近く。が、その前に僕は彼女の手から皿をかっさらった。
「僕が洗っておこう。ケチャップのついたエプロンも洗濯しないと。君は休んでおいで。疲れているんだよ」
僕は皿をうっちゃり、彼女を寝室に連れて行く。納得とは程遠いが、ひとまずこの場を収めることはできた。
彼女は僕に手を引かれるまま、寝室に向かった。
その横顔に、ほんの一瞬だけ薄い笑いのようなものが見えたのは、僕の気のせいだろうか。
第3章(尼野ゆたか)
次の日の朝。目を覚ますと、魚の焼けるいい匂いが漂ってきた。この前はサンマだったので、今日はなんだろう。シャケか。あるいはぶりか。
部屋からでて、ダイニングへ向かう。
「おはよう」
声をかけて、食卓につく。そこには朝ごはんが用意されていた。白米、味噌汁、そして魚。魚の種類はわからない。何か、あまり一般的でない魚の切り身だとか、独創的な調理がなされているとか、そういうわけではない。
埋まっている。
ケチャップに、魚が埋まっている。
「これはなに」
僕はおそるおそる尋ねた。
「醤油よ」
彼女が笑顔で答えた。
「いや、ケチャップじゃないか」
匂い、色、質感。ありとあらゆる観点からケチャップだ。
「何を言ってるのよ。醤油よ。今はケチャップかもしれないけど、成分が変化して醤油に変わるわよ」
怒っている。僕は理解した。彼女は、僕の言い訳が不満だったのだ。あの笑顔は、そういう笑顔だったのだ。そんなことをいうなら、もっと困らせてやる。
「悪かったよ」
僕は降参した。口の中に苦味が残る。敗北を認めるのは、楽しいものではない。仕事柄、余計に。
「悪かった。僕は君の言葉の意味がわからなかった。わからなくて、適当な嘘をついた。許してくれ」
「仕方ないわね」
ふう、とため息をつき。彼女は僕の向かいに座った。
「あなた、醤油が好きでしょう」
彼女がいう。
「オムレツにも、ケチャップじゃなくて醤油をかけたいでしょう。それを隠してたでしょう」
問い詰めるような口調。職業柄、彼女は何をしても詰問調になる。
「わかるのよ。醤油をかけてる時の幸せそうな笑顔。醤油が好きだなって、すぐに見抜けたわ」
「そうだよ。でも、仕方ないじゃないか。食べ物の好みが合う合わないが大事だって、言ってたじゃないか」
彼女は、ため息をついた。
「あれは、あなたに断らせるためよ。あなたが醤油好きなのは、噂を聞いて知ってた。だから、のめない条件をだして断らせようとしたのよ」
「そう、だったのか」
「お互いの仕事を考えたら、結婚なんてしないほうがいいに決まってる。でも、あなたはのんできた。醤油好きを我慢して、ケチャップ党になった」
「ああ。だって、仕方ないじゃないか」
僕は、目をそらしながら言う。
「あの時、僕は君に恋をしてしまったのだから」
彼女は微笑んだ。
「わたしもよ。わたしも、あなたに恋をしたわ。だから、醤油をだしたのよ。存在しないはずの醤油を出して、かけてもいないのに使ったことにした。冤罪を押し付けたのよ。
そして、あなたに言わせようとしたのよ。醤油が好きだって。もう、ケチャップはいやだって。そうしたら、わたしも醤油に浮気しようって言えたのに」
「でも、僕はあくまでケチャップに合わせようとした。だから怒ったのか」
目の前のケチャップの山を見ながら、僕は頷いた。そういうことだったのか。
「さあ、和解しましょう」
彼女が・・・腕きき検事としてしられる彼女が、そう持ちかけてきた。
「そうだね」
僕が・・・辣腕弁護士と他人には言われる僕がそれにのる。
専門としている分野が違って法廷で相見えることはなかったので、お見合いであった時は本当に驚いた。でも話すうちに、恋してしまった。そして結婚して今に至るわけだ。子供が生まれたら最高裁判事、などとよくからかわれる。
僕は、目の前のケチャップを箸で挟んで口にする。
ケチャップはやはりケチャップのままだったけど、僕たちの間で何かが変わった。そんな気がした。
(完)
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3月16日(土)16:00から、京都 木屋町「パームトーン」で開催された「fm GIG ミステリ研究会第5回定例会〜ショートショートバトルVol.2」で執筆された作品を、こちらで公開します。
顧問:我孫子武丸
参加作家陣:今村昌弘、水沢秋生、木下昌輝、最東対地、川越宗一、尼野ゆたか、延野正行、誉田龍一、円城寺正市、遠野九重
司会:冴沢鐘己、曽我未知子、井上哲也
上記12名の作家が、東軍・西軍に分かれてリレー形式で、同じタイトル(今回は「恋してオムレツ」)の作品を即興で書き上げました。
また、それぞれの作家には当日観客からお題が与えられ、そのワードを組み込む必要があります。
当日のライブ感あふれる様子はこちらをご覧ください。
※「恋してオムレツ」は、もともとはこんな曲です。