日々よしなしごと~夏の終わりのノースリーブ~
ノースリーブの服って好き。なのに、とても暑かったこの夏は一度も着てなかったのに気づく。夏を取り戻す(なんてしたくないけど)かのように、昨日今日とノールリーブのワンピースと着てみた。
若い人のように引き締まってすんなりした滑らかな肌の腕ならともかく、いい年してタプタプした二の腕を晒すなんて・・・と思う人もいるだろうな。でもそんなことは構わず着たいものを着るのが、私の世代の特権だ。私より年上の70代の後半の友人Uも同じように夏になれば当然のようにノースリーブの自分で編んだセーターなどを着ている。
そんな友人に最近「ノースリーブ問題」ともいうべき事件が発生した。
8月のはじめ、Uの高校の同級生たちと4人で当店に来てくれた。鮎を食べに行った帰りだという。時々連れだってランチに出かけては、どうせ食後のコーヒーを飲むなら、と暇な当店に来てくれるありがたいお客様である。
この日もUは昔の麻のセーターをほどいて編みなおした、シャレたオレンジ色のVネックのノースリーブのセーターを着ていた。美味しかった鮎の話がひとしきり終わったあとに、4人のうちのひとりYさんがUのノースリーブ姿にケチをつけ始めたのだ。
70歳過ぎてノースリーブなんてよく着られるね、常識から考えてもその年で恥ずかしくないのかとか、タポタポの腕を出してみっともない…と少々過激な言いように、仲良しとはいえ少し度が過ぎるなと私もビックリした。言われたUも負けずに、ノースリーブ大好きだからいくつになっても着るつもりだよ、Yちゃんて創作している人なのにそんな頭の堅いこと言うんだね!(Yさんは長いこと器づくりをして来た人)と軽く反撃。ところがそれでさらに意地になったのか、しつこく70過ぎて恥ずかしい、常識ないと繰り返し言っていた。
私が聞いていても自分の価値観だけで正当化しようとするのは、まるで子供のような言いがかりに聞こえた。Uも半ばシラケた表情で黙り込む。私もさすがに「常識外れ」とは違うと思いますよと軽い感じでたしなめたりもした。他のおふたりも「言いすぎだよ」という感じで、ことを大きくするようなことはなく、とりあえず何事もなかったようにお帰りになった。
Uは花が好きで、広い庭に所狭しと四季折々の花を、私の店に飾るために育ててくれていた。お盆過ぎに久しぶりに出勤前に車で約30分の彼女の家に取りに行った。いつもならバケツにいっぱいの花を積み込んだら次回の確認や連絡だけして急いで帰るのだが、その日はちょっと聞いてくれる?と話し出した。
私の店に来て数日後、例の4人のひとりで最近素敵に改装されKさん宅にみんなで行って来たという。その時もUはノースリーブの前回とは違うセータを着ていた。するとKさんの娘さんが「これが例のノースリーブですね?」と笑いながら言われてびっくりしたと。
さらに、そのあとみんなでお茶をいただいていた時に、Yさんはその娘さんにUのノースリーブについて悪口を(かなり失礼な表現)言っていたという。Uは隣の友人と話しをして聞こえないそぶりをしていたが、これを聞いていたKさんがついにYさんに『やけに絡むね』と言って止めたと。その時Uはなんてオトナの一言かとKさんに感心したわ、なんて言う。
なぜ執拗にそんなにUのノースリーブを目の敵のようにいうのか、U自身も理解しがたいようだったが、とにかくいろんな人に言い散らかしているのをやめて欲しいのよね、と憤懣やるかたない様子。それももっともだと思う。
それからさらにUは、最近のYさんの創作活動や作品のことにも話が飛んで、作品に面白みがなくなってるし、こういうの作って欲しいとオーダーしてもなんか違うし、それを言うととても傷つくらしく言えなくなった、自分の作りたいものだけにこだわり過ぎてる・・・・と愚痴をこぼす。
年を取るとだんだん頑固になり、モノの見方も狭くなり、しかもそうなっていることに気が付かず、自分こそが正しいと思うようになっていく。そのことを指摘したり注意したりすると傷つき、むしろ言ってくれた人を恨んだりするようになる・・・・つまりは老化なのか。
もうひとつは、UとYさんの間に何かしらの確執があるのかもしれない。Yさん本人すら気づいていない何か心の石のようなものが、いつかUから投げられてしまった。Uだって自分が石を投げたとは思っていないようなこと。その石をYさんは投げ返したかったとか。いや、単にYさんがいつの間にか抱えた石を誰かに投げたのかもしれない。Uがその犠牲?になっただけかもしれない・・・これはUには言わず、あくまで私の勝手な推測ではあるけど。
普通なら大げんかになるような出来事だが、そうならなかったのは売られた喧嘩をUが買わなかっただけだ。しかし、喧嘩なら互いに理をかざしての言い合いなのだろうが、これは明らかにYさんの一方的な言いがかりのようなものだ。だからこそ、他のふたりもまともに取り合わず、できれば穏やかにやり過ごして、今まで通り時々ランチに行ったりしたいと思っているのかもしれない。
でも発した言葉の激しさや醜さは、受け取った人の心に突き刺さり喉に刺さった魚の骨のように、いつも気になって、小さくても厄介な痛みとして思い出す。発した方もある日自分の発した言葉の醜さに気づけば、その言葉は自分の心にブーメランのように戻って突き刺さるだろう・・・・
ノースリーブなんて美しい夏の思い出になるような話にならず、少々重い話になってしまった。たまたま遭遇した子供じみたシーンだけど、そのあとの展開はなかなか厄介かもしれない。できればスッキリさわやかと行かずとも、骨は残らないような終わり方ができないものか・・・人生は長いようで短い。それこそ70歳過ぎての友達同士の嫌な思い出は少ない方がいいに決まってる。
しばらくは様子を見ながら、近いうちにゆっくりUと話しをしようと思う。そう、まだノースリーブが着れるうちがいいな。