日々よしなしごと~のみの市~
今日は3か月ぶりに再開されたのみの市の日。毎月第一日曜日に護国神社で開催されるのみの市も、4~6月まではお休みだった。今月から再開ということでさっそく出かけてみた。あいにく前日からの大雨でほとんど諦めてたけど、朝は何とか雨もやみ、どんよりじめじめながらもそこそこの人出。お店も少なめだが、何店かの骨董ガラクタを見て回る。
近郊の農家の生産物も出て、私は梅干しや漬物を買い込んだ。今の時期梅仕事に勤しむ友人も多いが、最近は手作りもすることしないことを決めて、梅干しはほぼここで買うことにしている。お気に入りの若い夫婦がやっているタルト屋さん、今日は出店しておらずガッカリ。たぶんコロナのこともあるんだろうな。来月の楽しみにしよう。
骨董やガラクタにしても、微妙に店によってセンスが合う合わないがある。いつものお気に入りのお店で、自分が買おうかどうしようか迷っていたものがあると、まだあるなという安心感と、まだあったか、という少々残念な気持ちになるのが不思議だね。骨董に詳しいわけでもないし、5000円以内で買えるものと決めているので、自分の暮らしの中で気負いなく使えて好きだなと思えるもの。そのくらいの気軽なのみの市の楽しみ方だ。
今日は特に欲しいものがなかったけど、孫に浴衣を着せる時の三尺帯代わりの絞りの帯揚げは買った。少々古いもので使い込んでいたのが分かるが、洗えばきれいになるだろう。お代は300円とはいえ染色や絞りの具合は今時の物とは少し違うように思う。地模様もきれいだ。中古で孫に悪いけど、新しいピカピカの化学染料で染めたものは嫌だなあと思う。
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先日TVで、子育て主婦が売れ残ったブランドの衣料品を激安で買って、襟のタグを取り転売することで大きな収入を得ているという話題を紹介していた。このように売れ残りのブランド物を破格の値段で引き取り、転売し利益を得る商売もあるとのことだが、売れ残りの衣料品が日本で一年間に15億着もあるそうだ。しかも生産量は一年間に30億着で半分は売れ残るとのこと。なぜこんなことが起きるの??
その背景というのが、1980年代(バブル真っ盛りですね)にも、同量の衣料品は生産されていて、90%以上は販売されていた。アパレルメーカーは今だに作れば売れる、有名なファストファッションの成功を見て同様に売れるものと一生懸命生産する。しかし、販売戦略のないアパレルでは結局売れ残ってしまうというのだ。しかも、この売れ残った衣料品の廃棄も大きな問題になっているという。なんとバカバカしい話だろう。
外出自粛の中ですることの筆頭は『断捨離』という人も多かったと思う。かく言う私もそうでした。衣料品については、それ以前に誰かに譲れるものは譲ったり、フリマに出したりもした。まさに、1980年代には浮かれに浮かれて洋服を買っていたのだから。
コロナ禍と言わず、すでに断捨離しまくっても物欲が全くなくなるわけではない。でも、年金生活者には限界もあるし、幸いなことに節度も諦めもつく年齢にもなった。また、バブルの時代を浮かれて過ごしたことにも、今となっては楽しかったというより苦い教訓となって残っているし。
だからこそ、余って捨てることになるのが分かっていながら、作り続けていることに正直驚くし怒りすら覚える。そうやって作ってはみたものの、結局は誰の役にも立たずに廃棄されることは、モノへの冒涜のようにも思えるのだ。せっかく作られたものなら、一時でも大事に使われた時が欲しい。そんなことを思うこと自体が時代錯誤なのだろうか。でももう、大量生産大量消費の時代でもないだろうに・・・・
のみの市のガラクタは、やっぱりガラクタだけど、少なくとも誰かの下で使われ役に立ち、時に愛着を持って大事にされたものだったと思う。年を取ったせいか、そういう時間の記憶というものにとても心惹かれる。たとえ300円だろうと、かつて誰かの胸をときめくおしゃれのアイテムとして身につけられていただろう時間。のみの市はそんな時間を想像しながらめぐっているんだなと。
来月もまたそんなのみの市をじっくりとめぐってみよう。