日々よしなしごと~昔行ったイタリア~
昨日の朝のニュースで、イタリアの観光地フィレンツェにあるウフィツィ美術館のことを伝えていた。美術館の方が、今は観光客も少なく厳しい状況で寂しいことだが、例年の今頃は(夏のシーズン)人もすごく多くて、写真だけ撮って去っていくという風景はもう見たくないと言っていた。これは本音だと思う。日本の美術館だって、数時間待ちなんていうのも今や当たり前になって、我慢強く並んで待ち、中に入ったら入ったでぎゅうぎゅう詰めの中で、ゆっくりと見ることもできず流れに身を任せて押し出されて終わり、なんてことだってある。
一つ一つの作品に向き合って静かに鑑賞する…という本来の美術館のありようとはかけ離れて来ていたのが、思いがけずコロナ禍のおかげで本来の姿に戻っているらしい。
ウフィツィ美術館と言えば…と思い出した。イタリアを旅行したのは、もう15年前。塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読んで、元々イタリアに憧れていたのに拍車がかかり、イタリアに行きたい! ところが期待が大き過ぎて裏切られたらいやだというおかしな屈折した思いがあってなかなか行けず、少しでもイタリア語で話しができるようにとイタリア語を習い始めた。
習い始めて3年、旅で使うイタリア語くらいは何とかなりそうと決心し、8日間のツアーを申し込んだ。ローマ→フィレンツェ→ヴェネツィアというコースで、添乗員なしだが、連れはいるだろうと成田空港に行くと、このコースは私ひとり!! 航空券と移動の鉄道チケットだけを渡されて行ってらっしゃい!だった。ひぇーと思ったが仕方ない。腹をくくっていくしかない。
そうやって一人旅となったイタリア旅行は、ローマのホテルからフィレンツェに向かう列車に乗り遅れ、次の列車の時間とチケットがそのまま使えるかの確認を駅員とやり取りでき少し自信を得て、フィレンツェに向かった。フィレンツェでは、アカデミア美術館でダビデ像を見て、その後ウフィツィ美術館に行った。11月だったこともあり、どの美術館もすんなり入れて、ゆっくり見ることができた。翌日は高速バスに乗って1時間程度のシエナに日帰りで行くこともできた。
ひとり旅で一番厄介なのは食事だと思う。立派なリストランテなど論外で、かと言ってバールのようなところもなあ・・ということで、あちこちひとりでもよさげなお店を見つけて入る。フィレンツェにも地元の人が良く利用するようなシャレたトラットリアも多くあり、美味しいミネストローネとフォカッチャとか、手長海老のロースト(これ絶対食べたいと思っていた!)もホテルの近くのトラットリアで食べた。そのお店の人とは、少しだけ日本とイタリアについておしゃべりもした。
そしてウフィツィ美術館。ゆっくり見て出た頃はもうすでに暗くなってお腹もすいていた。フィレンツェの街の道は複雑で暗いこともあり、帰りは歩きじゃなくてバスに乗って駅まで行こうと思っていた(ホテルは駅の近く)
帰る前に食事と思いブラブラ歩いていると、美味しそうなお惣菜がいっぱい並んだいわゆるデリカテッセンのようなお店があった。奥を見るとイートインできるらしいと思ったけど、なんとなく気後れして行き過ぎた・・が、いやここで諦めたら絶対に後悔する!と後戻り。
ケースの中のこれとこれとこれね、と頼んでワインを一杯。パプリカのオイル煮は本当に美味しかった。パン食べる?と聞くのでSi!と答えると、これがまた日本だと3人前くらいの量で来るのだ。しまった!と思っても仕方ない。でもとっても美味しい!
とにかく必死で食べれるだけ食べてお腹パンパン!そろそろ帰ろうと、この近くにバス停はある?と聞くとすぐ近くにあるという。バス停に行くとシニアのシニョーラがいたので、このバス亭は駅に行く路線か聞いてみた。シニョーラはどうかしら?という感じでわからないらしい。通りがかりの男性に何やら聞いている。男性はそれに対していろいろ話をしてるとまた別の人に聞く。どうやらここのバス停は駅行きのバスは停まらないので、どうする?みたいな感じでやり取りしている。そこにまた誰かがやってきてどうしたの??という感じで次々に人が集まって来てなんだかんだと10人くらいになって!!!
私は、どうしようと思いつつ何も言えずにいると、みんな私の方に向かって『Piedi! Piedi!』とつまり歩け歩け!! いやいや歩いても道がよくわからないからバスに乗りたいのよね~と何か言おうと思ったらそこにバスが!とにかくここから離れるしかない!と思った私はごめんなさい!って感じでバスに飛び乗ってしまった。とりあえず私はお礼のつもりで手を振っていたが、みんな呆然と私を見送っている。もうほんとに冷や汗!
幸いそのバスには切符切り?の女性がいて、駅行のバスの乗換停留所と路線番号を教えてくれて、何とか無事にサンタマリアノベッラ駅に着いてやれやれ。今思い出しても恥ずかしい思い出だ。それにしてもイタリア人は噂にたがわず議論好き?というか、あんなこ人が集まってくるなんて驚きでございました。
このフィレンツェでの思い出と、次のヴェネツィアの駅から出て見た景色のまるで舞台の書き割りかと思うような目の前の景色と、暗くなって歩く路地の不気味さは、イタリアの旅の忘れがたい記憶となっている。
このコロナ禍の中、海外旅行は当分行けないだろう。あたふたと次から次に観光地から観光地へと移動する旅。年齢的にもそういう旅をするエネルギーや情熱、元気がなくなったのかもしれない。ウフィツィ美術館の方が言っていたように、ここに来た『証拠』の写真だけを撮ってそそくさと次の場所に行くのではなく、その土地やそこにあるものをじっくりと時間を使って対話をするように味わう旅。今ならむしろ、そんな旅ができそうな気がする。すぐにきっと元に戻ってしまうかもしれないが。
と思っていたら、ニュースでニューヨークのメトロポリタン美術館が5カ月半ぶりにオープンしたそう。ここも、絶対行きたい美術館だったなあ・・・
願わくば、コロナ禍の後は、便利を追求するのではなく、むしろ不便なままに、だからこそ得られた大事な時間を丁寧に味わえるようなむしろ旅、いや旅だけではなく暮らし全般において、そんな風に過ごせるようになったらなあと妄想している。