探してるもの
自分が必要としている「何か」
ある時、その『何か」が私の前にやってくる。
大人になった私はいつも好きなように考えて動く事ができるから,それが何であってもすぐに手を伸ばすし、その場に訪れることができるようになる。
私はすっかり自由になったなあと思う。
もちろん仕事に行ったり
家のことをしたりはあるのだけれど、
何を選ぶか選択する自由はあるという意味で。
とても小さい頃、4才頃かな。
父方の祖母が靴を買ってくれると言った。
従姉妹はワクワクしながら
選んで買ってもらっていた。
私は本当に欲しいデザインのものしか
欲しがらなかったから、要らないと言った。
ちなみに買ってくれようとしていた靴は
ビニール素材のアニメのキャラクターが
描いてあるもので
私はごちゃごちゃしてるものがとても嫌いだった。
そしたら祖母はすごく不機嫌になり、
子供らしくないね!っと文句を言ってた。
本当に祖母は意地悪で
性格がきつい人だったから、
わたしは内心
フンって思っていて
私は自分に正直だったから
十分自分は子供らしいと思っていた。
この性格は子供の頃から変わってないなあ。
話が脱線してしまった。
その「何か」とやらについて
書いていこうと思ったのに。
それが自分に合ったものなのか、
自分が本当に大事にしたいものなのか、
勉強、人、土地。
触れてみたり、やってみたり、
話してみたり、訪れてみないと
その「何か」には到底ありつけない。
東京の大学を辞めることになって
帰省して暫く過ごしていたけれど
地元にいてもつまらないなと思っていたから
再び東京に行ってみよう!と考えが浮かんだ。
そう決めて3ヶ月休みゼロで働いて
飛行機のチケットを買った。
貯金もなくギリギリ生きてける
一ヶ月分の生活費だけ用意して
新宿の不動産屋へ行った。
風呂無しトイレ共同の
アパートに引っ越して
半年後普通のアパートに引っ越した。
私には勢いが大事で
そうすれば色々な事が起きて好転していく。
その「何か」について自分がその時には
全貌が理解できなくても
それは私にとってとても重要なはずだから
やらなきゃという気持ちと
私はこの予感だけが頼りで、
その行動はいつも将来の私自身を助けてくれる、
と思っている。
それがタイミングよく目の前に現れること。
学ぶことや触れようとする時に邪魔が入らないこと。⇨病気が発覚しても痛みが治るなど。
その「何か」に触れたことで明らかに道が開けたという感覚になること。
あともう少しでその「何か」が自分にとってどれほど必要だったか、わたしの真の目的は何なのか。
そんな出会いがあったら、それが自分にとってとても重要なことか自分に問う。
どれだけお金をかけたか、
時間をかけたかでは測れない
その感覚がわたしの心の中に訪れたら、
もうすぐ掴めそうな
その「何か」がもっと知りたくなる。
私にとって体験が全てだと思うから。
この限りある時間の中で
その何かが目の前にやってきたら
私はとても元気になれる気がしてます。
写真イタリア🇮🇹ルッカにて