それは、人の営み。
洋服は、誰が作るのでしょうか。
同じデザインの洋服がS・M・Lとサイズ違いにたっぷりと棚に並んでいる様子が、ごく当たり前びものとなりました。日々それらを眺めていると、どの洋服も一から百まですべて工場でガチャンッガチャンッと仕上げられていくような。工業製品として画一的に、そして無限に生み出されていくような。そんなイメージを頭に浮かべてしまうかもしれません。
けれども、元をたどれば洋服は農畜産物です。
綿であれば畑で咲く綿花、ウールであれば羊。どの洋服だって、農家の方々の手によって大切に育てられた原料を使っています。当たり前のことですが、そこには人の手が、休むことなく傾けられた手間暇が、大いに関わっているのです。つい忘れてしまいそうになりますが、洋服がそんな営みのもと生まれていることを、お店で手にとるとき、袖を通すとき、ふと思い出すことがあれば、洋服選びも少し変わってくるかもしれません。
農畜産物ですから、当然、毎年「同じもの」を仕入れられるわけではありません。年によって出来は異なり、そのムラを少しでも均一にするため、たくさんの種類の素材をブレンドして風合いを整えてくれる人がいます。そんなところにも、長年の鍛錬で培われた職人技が活かされています。
そしてその農畜産物を糸へと紡ぐところから、洋服作りははじまります。紡績工場で糸にして、製織工場で生地にして。その間に染められたり洗われたり、たくさんの人の手を渡り工程を経ることで、その風合いは決まるのです。やがて仕上がったものが縫製工場でひと針ひと針縫われていきます。そこで細かなあしらい、タグの一つひとつまで縫製され、洋服は完成します。各工程のプロフェッショナルに加え、それぞれの工場間を運んでくれる人たちの労力もありますから、企画を考えデザインが決まるところから考えると、膨大な人の手、人の工夫、人の思いが込められ、洋服は完成しているのです。
自然の影響を大きく受ける農畜産物を使い、またこれだけの人の手を渡り加工されているものですから、年によって価格も変わり、それは今、右方上がりで高騰し続けています。なるべく手に取ってくださる方の負担にならないよう、大きく値段が変わってしまわないよう努力することも、企画者の仕事だと考えています。けれども私たちパラスパレスは、代替品や手間暇を省くことで、着心地や風合いといった品質を落とすことはしたくありません。ですから、たとえ価格が上がってしまっても「それだけの価値がある」と感じていただけるような一着に、デザインの力で仕上げたいと思っています。そしてもちろん、その価値を納得いただけるブランドでありたいとも願っています。
1998年の誕生から26年。
糸作りや生地作りをしてくださるパートナーのみなさんとのお付き合いも長くなってきました。同じお取引先と、毎年同じやり取りを交わすこと。それは一見、変化や進歩がないように捉えられてしまうかもしれません。けれども長くお取引をするということは、必ず「去年と同じクオリティか、それ以上のもの」を提供しなければいけない、という約束でもあります。それを重ねることでしか生まれない信頼関係のもとで、毎年いくつもの洋服を生み出してきました。
思いを込めて「今年はこれを」と企画する者がいて。「いいもの」を提供し続けてくれる農業の方々のおかげで、「いい技術」を惜しみなく提供し続けてくれる工場の方々のおかげで、ものづくりが回っています。それらを「素晴らしい仕事の成果だ」と感じてもらえる、信頼を寄せてもらえる。お客さまともそんな関係を築くことができれば、それ以上の幸せはありません。
「この洋服を生涯、大切にしよう」「娘や孫に引き継ごう」そんな思いにも耐え得るよう、どれも長くお付き合いいただける一着に仕上げています。
洋服は、誰が作るのでしょうか。
それは、一人ひとりの手間暇、営みです。
(文:中前結花)
2025春seasonbook テシゴトのコト 掲載