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歩きながら考える ージェノサイド、性加害のこと
「さんぽがしたい」とせがまれたので、大晦日は子どもをベビーカーに乗せて神戸の街をずっと歩いていた。スタンディングやzine(神戸からパレスチナでのジェノサイドに抗う―ケア、生活、フェミニズム、クィアとの連帯)の報告をしなきゃといった焦りがありつつも、ベビーカーの重みや道の冷たさを感じながら暮れてゆく街を歩いた。
一昨日も、イスラエルによるジェノサイドに抗議するスタンディングをするために道に立っていた。去年の暮れは「年を越したら皆、忘れてしまうかもしれない」と書いたけれど、この1年間忘れないでいてくれた32名の方々と一緒に、冷えた手をさすりながら立った。また年を越えても忘れないでほしい。そう願いを込めながら参加者の方々にパレスチナ解放モチ80個を配った。
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その日は、神戸で年を越すというパレスチナ・ガザ出身の方もスタンディングに参加をしてくれた。向き合いながら私はその方に何を言えばよいか分からなかった。「たくさんの方が亡くなって残念です」「平和を願います」「頑張ってください」といった表層の言葉に何の意味もないことを、この1年間で学んだから。パレスチナ解放モチやzineなどを手渡して、十分に言葉にしなくても「あなたに会えて嬉しい」と伝えようとした。
スタンディングをしながら、自分がかつて性加害や殺人未遂の「被害者」だったとき私はどういう言葉をかけてほしかったんだろうかと逡巡した。可哀想とだけは思われたくなかったし、どんな綺麗な言葉も要らなかった。
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東京からスタンディングに来てくれた方が、パレスチナ国旗をいろんな人に配っているという話をしていた。「みんなにパレスチナ国旗を持って街を歩いてもらいたい。そうして旅行客などのシオニストに攻撃されたとき、やっとパレスチナの人たちの気持ちが少し分かるから。76年間もパレスチナの人たちだけに背負わせてきたことを、みんなにも背負ってもらいたい」と話していた。
確かに神戸でスタンディングをしていても数回に1度はイスラエルからの旅行客やシオニストの方が絡んだり罵倒したりしに来る。彼らは日本では銃を持っていないので私は殺されないという安心感はある。それでもやはり罵倒された後は心にこびりつくような不快感が残る。
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最近そんな不快感をパレスチナ関連以外の場面でも経験した。滋賀医科大学の男子学生が女子学生に性的暴行を加えたとして強制性交罪に問われた裁判で、大阪高裁が無罪を言い渡した数日後、私は高裁の前にプラカードを持って立った。それをSNSに投稿すると、大量の脅しや嘲笑の返信・引用がイナゴのように飛んできた。そのときにようやく、今まで性被害を訴えた方や性加害に抗議した方々がさらされたのはこういう言葉の嵐なのだと気づいた。そのときも不快だったが、少しだけ何かを一緒に背負った気持ちになった。
イスラエルのジェノサイドに抗議するスタンディングの最後に、ガザ出身の方やジェノサイドに抗議する思いを持った方たちとパレスチナ国旗を持って一緒に写真を撮った。起きていることの悲惨さやおかしさに比べたら、私たちがしていることはささやかな行動だと思う。1年間3か月近くずっと歯がゆく悔しい。
けれど76年間もパレスチナの方たちだけに背負わせてきた重荷の一部を、一緒に背負いたい。性加害された人がぶつけられてきた悪意をちゃんと自分も受け止めたい。お行儀のよい表層の言葉、センセーショナルな物言い、現実主義という名の現状肯定。そういったものを越えたい。
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大晦日はそんなことを考えながらベビーカーを押していたが、現実問題として私はフルタイム労働と2歳さんの子育てを抱えている。12月初旬のスタンディング後に、zineを置いて頂いている本屋さん1003(センサン)に挨拶に寄った際も、入って数分で子どもが泣きすぐに退散せざるを得なかった。絵本を買うために本屋さんに入るときは大丈夫なのにどうしてだろうか。おそらく私が入店してすぐヴァージニア・ウルフの本を見つけて「なんて好みの棚だろう」と引き寄せられたのがいけなかった。私の関心や注意が完全に本に向かってしまったのを、子どもは敏感に感じ取ったのだと思う。
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ヴァージニア・ウルフはそう書いた。創作活動に限らず、読んだり考えたりするにはお金と自分だけの空間が必要な場合が多いと思う。私はお金と自分ひとりの部屋を持つことはできたけれど、生活しながら読んだり考えたりできる時間は非常に限られている。私は連れ合い(シス男性)にケア労働の多くを担ってもらっているが、自分ひとりの部屋の机の前に座る時間もなく、前述のように本屋さんを落ち着いて回ることも難しい。
立派なことを言うのはできるのだが、仕事とケア労働と社会的な活動の両立など本当に可能なのだろうか。
六甲山に向けてベビーカーを押し進みながら、ふと宮沢賢治が山道を歩きながら言葉を紡いでいたというエピソードを思い出した。自分の机の前に座る時間がないならこうやって歩きながら考えようと思った。街でベビーカーを押しながら、通勤電車で夕暮れを見ながら、道に立って信号を待ちながら、皿を洗いながら。「ながら」で考えるしかない。押し寄せる日々の生活の隙を見て語ったり行動したりするしかない。
不十分であることを受け入れながら、抵抗を生活に落とし込みたいと思う。
2025年はジェノサイドが止まりパレスチナ解放に向けて進みだし、社会から性加害が減りますように。願うだけではなく言葉や行動にしていきたい。毎日生きながら考えていきたい。
疋田香澄(ひきたかすみ)