無色侵襲性透名ドグマ祭について
初めましての方が圧倒的に多いと思います。
こんばんは、PaleRoidと申します。
恐らくこんな記事まで読んでくださっている貴方は無色透名祭にて私が応募しました「侵襲性ドグマ」を聴いていただいたのだと思います。
普段これほどまでに誰かの目に留まるという経験をしていないため、期間中はツイートへ反応しそうになる左手の親指を逆向きに骨折させながらニヨニヨしていました。
まずはこのような機会を設けていただいた運営等関係者の皆様と、私の曲を聴きいいねと思っていただいたリスナーの皆様に感謝申し上げます。
堅苦しいのはここまでにして、ある種の軌跡、日記としてこの曲に関係することをここに残しておこうと思います。
少し長いですがお付き合いいただければ幸いです。
無色透名祭というイベントについて
今年のボカコレ春には背徳的感情パラダイムという曲で参加しました。
有難いことにニコ動での再生数は普段よりもかなり多く、YouTubeのほうでは7000回を超える視聴をしていただき驚きと共に何かしらの理由で人目に触れることの重要さについて体感しました。
動画サイトにはただでさえ神曲を次々とリリースするアーティストが立ち並んでいるのに、私のような無名の投稿者はさらにその何倍も存在しています。
従って、流行りの曲の傾向を曲にフィードバックするとか以前に"曲の評価"というステージにさえ立てない曲たちが大量に燻っているんだと勝手ながらに思っています。
故に無色透名祭はそのような水底に光を当てるイベントになるのではないかと感じていました。
もちろん知名度を排したとしても投稿順などによる初動など様々な影響で再生数に差ができ、新たな知名度が発生してしまうことは事実ですし、3000曲を全く同時に脳内にアップロードしない限りこれは避けられないことだと思います。
ただ、通常時の私の投稿楽曲の初動などデイリーで100行くか行かないかなので、最低でも300あるということは私の中では普段の投稿活動への救いであるように感じました。
ランダムで出逢わせてくれる機能を作っている方もいましたし、界隈全体が純粋に良い楽曲の発掘に振れていく感じがして最高の4日間だったと思います。
動画投稿サイトにオープンな状態で公開している時点で視聴数や反応なんて全く気にしない、欲しくないというのは嘘だと思っています。
それは紛れもなく創作意欲の片輪ですし、子供のころ絵を描いて親に見せ「すごいね」といって貰う喜びのような純粋な承認欲求は肯われるべきなんじゃないかなと思います。
だからこそ、普段はまだ見つかってないだけと言い聞かせ自分の作品を否定してしまわないように、それだけはしないように活動してきました。
今回のイベントで何よりも嬉しいのは、多くの人に見つけてもらい聴いてもらえたことです。
曲作りについて
まずこのイベントを知って思ったのは「何か突飛なことをしよう」でした。
はじめは4曲ほど構想を練りあわよくばすべて投稿してしまえと考えていたのですが(応募上限があるのでハナから無理)、人目に付く機会が与えられるのでせっかくなら実験的なことをした方が面白いよなと思い、一番飛び道具的な侵襲性ドグマを完成させようと思い至った次第です。
ではなぜこのような同時に違う歌を歌うデュエットにしたのかというと、キーワードは”合唱”と”米津玄師”です。
時の旅人の後半みたいなまさに異なる歌を同時に歌ったり、輪唱的であったり、歌詞のタイミングが違ったりというのが合唱曲では往々にして登場しますが、私はその一見カオスに聴こえるが秩序立った感じが中学のころからとてつもなく性癖なのです。
であるならばそれをしない手があるだろうかいやないと鼻息を荒くして作曲に取り掛かりました。
また、米津玄師大グレートハイパースーパー神GOD最強頂点オブ頂点さんの「KARMA CITY」という曲をご存知でしょうか。
サブスクに入っている方は10億回、入っていない方は今すぐアルバムをポチリまして3億回聴いてからこの次をお読みください。
この曲では輪唱っぽく似た歌詞が歌われ、サビで一人になるという構図が取られています。
サビは二人とも同じものを歌おうという案は正しくKARMA CITYの構造を参考にしました。そのまま取り入れちゃった。愛しているから。
また、メロディに関しても二人の上下や譜のタイミングががあまり重ならないよう調節しつつ作曲しました。
こうして「2人のボーカルが」「別々のメロディを歌い」「サビで一つになる」というコンセプトが誕生したというわけです。
制作当時はこれは新しく、実験的で、なおかつ面白い、多少なりともバズること間違いなし、と確信していましたが動画内のコメントやツイートでこのようなことをしている先行例を知り、日の下に新しきものなしという言葉を改めて胸に刻みつけました。パクリって言わないでね。
それはさておき大事なのは曲の中身です。
あくまで世界観や婉曲的な言い回し、押韻や掛詞、引用するテーマに拘って制作しているので、半端なテーマと作りこみでは自分が満足できないと思い様々な題材を思索しました。
そして選んだもの。
ズバリ「愛」。
………………………………。
普通が過ぎるんじゃあという声が制作当時にもサラウンドで聞こえてきましたが、そんなものは無視し作詞に踏み入りました。
デュエットといえば掛け合いですし、愛がテーマで二人いたらまずパートナー同士であると考えます。
自分もそう思っていました。
しかしこの時点で応募締め切りまで1週間ほど。
焦りを覚え、ゴンさんよろしく普段の遅筆さを将来の作詞力でもって補うかのごとく超特急で書き上げたせいで、どちらかというと独白めいた、どこかちぐはぐで掛け合うべき互いを見れていないような構成になってしまいました。
まいっか、そういうことにしとけば。
私は貴方にこんなにもしてあげているのに、みたいな押しつけがましい自己中心的な歌詞が各々のドグマとなり、そもそも掛け違えた、壊れるべくして壊れた関係を表してくれるように聴こえたので、そのような方向に言葉遣いや細部を整えていきました。
トリアゾラムとは睡眠導入剤のことですが、その効果によって世界中で乱用が起きた薬でもあります。
もちろん睡眠導入剤が必要な方もいますが、ここでは某半分が優しさでできている薬に準えてこの愛が自分には毒でしかなかったことを表現しています。
ミクサイドは信じたい部分だけを見、都合の悪いことは無かったことにしてずっと瓶の中を眺め相手そのものは全く目に映していないようなイメージ。
花サイドは耳ざわりの良いことだけを言い、周りには取り繕いただ体裁のようなものだけを大事に考えている相手について語るようなイメージ。
あと、ランデブーってどうしても言いたくて狂うランデブー、腐臭が(募っ)ていくで韻を踏むことで何とか馴染ませました。
コメントで補完して頂いていましたが、ドグマとは宗教における信条や教義のことです。
本人そのものではなく、自身がイメージし盲信する愛の形はある種の狂信者のようだなと思ったのと、体に巣食った侵襲性を有する感情のようだという考えを合わせ「侵襲性ドグマ」と題しました。
あとなんかボカロっぽい。
サビに共通して「貴方」に対して「あい」という音を当てて読ませています。
愛でもⅠでもどのように読んでいただいても構いません。
ルビを振らなかったのはそのような自分なりの考察をする余地を残すためでもあります。
花の色は うつりにけりな いたづらに わがみよにふる 眺めせしまにより我が身、眺めせしという言葉と元の句の虚しく色褪せていくようなイメージを、この愛の惨状を予見しているような象徴として引用しました。
眺めせし間にが眺めている間に、という意味なのは分かるんだけど、眺めせし○○という風に使ってもいいのか?と不安になり高校の時の古文単語みたいなやつを引っ張り出してきました。
結果まだよく分かってないけど。
二番でも変わらず、自身の非などはおくびにも出しません。
置いて行かれた、私はこうだと思っていた、身を尽くしたのに捨てられたと恩着せがましい限りです。
それでも愛だけはあるので、わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふを引用しました。執着。
執着はCメロにも続きます。
最早大切なのは相手ではなく孤独ではなくなることになってはしないか。
その寂しさを埋めるために相手を利用してはいないか。
間奏ではサビの声を逆再生しています。あの日に戻りたい、あるいは上手くいっていた頃に気持ちは留まっているのかもしれません。
しかし結局はとうに二人に関係は終わっており、相手を求めているようでどうしようもなく独りよがりのまま曲も終わります。
ちなみに曲冒頭ではモールス信号でSOSを打っています。
1サビ、この後の大サビで二人ともこの愛の先には破綻しかないことを始めから薄々気付いているのかもなぁと思い応募前に付け足しました。
左でピロピロしてるのに右が寂しかったのもある。
なんとか曲として綺麗にまとまったのではないでしょうか。まとまっていると思います。まとまっていてください。まとまれ。
所感
私は曲を聴くときにかなり歌詞を読み解こうとし考察する派なので、必然的に作る時も同じように出典を漁ったり辞書を引いたりしながらどんどん迷宮へと迷い込んでいきます。
なので曲の雰囲気を楽しむ聴き方を否定しているわけではありませんが、宅録ラッパーBSTさんや歌詞の考察サイトを見るのがこの上なく好きですし、できれば私の楽曲も一度歌詞に目を通していただきたいなと思っています。
もしかしたら私の他の楽曲も聴いてやろうかなと思ってくださる方がいるかもしれないので、良ければその時は韻などにも注目していただけると嬉しいです。
ただ、歌詞の内容だけ重視しているかというと、私が愛してやまない米津さんやNeruさん、ト―マさんやMARETUさんは曲も良い。
印象的でかっこよくて一度聴いたら忘れられないような素晴らしいメロディを奏でられます。
ですので、ごちゃっとしつつ象徴的なフレーズやある種のキャッチ―さを内容の重さと両立させたいというのが本当のところです。
そういう意味では動画中のコメントには大変勇気づけられましたし、Twitter上でも好きといってくださる方が多くて作ってよかったーという印象です。
ただ、いつもがいつもなので「この人の他の曲が聞きたい」と書かれているのを見て少し怖さも感じました。
私は作詞作曲を始めて2年ほどですし、昨年は一年間資格勉強のためにおやすみしていました。
音楽的なバックグラウンドもないですし、ギターもピアノも自分の曲に使えるような技量はありません。
毎曲毎曲が綱渡りで、誰にも知られていないからこその自由を満喫しているといっても差し支えないでしょう。
だから優しくしてね(涙目)。
曲だけでなくこのような拙文にまでお付き合いいただきありがとうございました。(ぎりぎりになって思いつくまま急いで書いているので多分本当に読みにくい)
良ければ今後とも私の活動を応援して頂けると幸いです。
この度は私と私の曲を見つけていただきありがとうございました。
(P.S. クラファンでCD売ってるのでご一読いただけると嬉しいです。)
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