菅田将暉/まちがいさがし が、小説のなかで流れたら
サイゼリヤの「まちがいさがし」の「間違いの方」はどっちだろう。
ビートルズの「レット・イット・ビー」でも歌えそうなピアノ。歌いだしたのは、太さと爽やかさをあわせもった声だ。
フォークソング的なメロディのつながりは、そうした時代のチャゲアスの曲のようでもあるが、あれは何というタイトルだったか——。
ああ、「男と女」だ、と思いだすのとほぼ同時に、《けど》の2文字が低音におちる。こうくると、2020年代でこそ聴くことができる、現代的なメロディの運びになる。この数年、男性ヴォーカルのレンジは低音にもひろがっている。
ピアノはBメロで白玉になり、サビのまえの静けさ——《君の目が》と、ハモリとともに食いこみながら、フルバンドのサビへ。ストリングスも入り、フォークソング的なイメージを洗練させる。
2番のAメロ、《くたばる》という強めの言葉がほうりこまれる。声の雰囲気によくあったワードセンス。直後の《まで》では、また2文字の低音おとしがおこなわれ、ここでも胸にひびくローボイスがいかされる。
と思えば《寂しさが》と、情感をたっぷりとこめた高音へのフェイクメロ。フォークソングとJポップの伝統をあらためて感じさせる。
2番はBメロもビートのうえ。緩急はつくらずスムーズにサビへ。ストリングスが盛りあげを担当し、そのままソロへ突入する。裏メロ的によりそうピアノ——。
ソロあけはふたたびピアノとヴォーカルのみのパート。最高音をファルセットにして静けさがキープされる。
大サビでは「Ahh」と浮遊するコーラスがメロディの魅力をドレスアップ。主旋律は《思うだけ》で山を描き、力をこめる。
米津玄師バージョンとの「まちがいさがし」をするならば、《どうでもよかった》の部分が見つかる。だけどいったい、どちらが「間違いの方」なんだろうか。
サイゼリヤの「まちがいさがし」だって、「間違いの方」は決められていない。いや、「間違い」こそが「正解」なのだと、みずから教えてくれている。
キーまでちがう2つのバージョンをつくる労力をかけ、「間違いの方」なんてないと、2人が歌っている。