見出し画像

卒業後の生活 目まぐるしい2021年

*この記事は2022年初旬に書きかけていた下書きに追記しまとめたものです。

2022年ももうすぐ3ヶ月が過ぎようとしている。

2020年の末にカレッジを卒業してから、2021年は就活、就職、転職、引っ越し、移民申請などなどかなり怒涛の日々だった。疲れた。かなり疲れた。

なるべく簡潔に、最後の近況報告であったカレッジ卒業時からの生活を振り返っていきたい。各出来事が詳しくまた別の記事にまとめたいくらいの密度ではあったけども。


就活

とにかく散々聞かされていた通りかなりメンタルを削られる厳しいものだった。

現地のコネがモノを言う世界で、テック系の知り合いもいない、ましてやリアルイベントもロックダウンで禁止されているなかでの就活。とりあえず毎日いろんな就活サイトを見回り求人に応募し、LinkedIn(ビジネス系SNS)で同じフィールドの現地の人(アカの他人)を見つけてはメッセージを送りつけた。

並行して、需要のありそうな技術やプログラミング言語のオンラインコースをダラダラとやったり、ポートフォリオサイトを作ってちまちま更新したり、そこに載せる自己紹介動画を柄にもなく撮ったりしてた。こんな風に自分を偽ってでもしないと就職できないのか、って感じで虚しくなったりしてた。

一日に5〜10件くらい応募してたと思う。いろんな人から狙い撃ちしろ、レジュメ(履歴書)を毎回書き換えろ、とか言われてたけど、いちいちそんなことしてたら一日に数件も送れない。時間とエネルギーを使いすぎる。なので基本数種用意したテンプレを使い分けて応募してた。

初めの数週間はほぼ何も反応がなかった。ちゃんと応募できてんのか不安になるくらい何もなかった。

そうしてるうちに年が明けてしまって2021年になった。ようやくちょこちょこリアクションが返ってくるようになる。といってもほぼ「とりあえずこれやってみて」的な技術テストの招待で、面接まで辿り着けたのはほんの数社。

それらもあまり手応えのあるものはなく、なんだったらテストや面接受けるたびに自信喪失して憂鬱な気分で夕飯をもそもそ食べたりしてた。

そんな感じで応募した件数が150に近づこうとする頃、コントラクト(契約社員)での契約ではあったけど、ようやく一社から内定をもらえた。もう3月になろうとしてた。

就職その1、そして転職

採用されたのは現地のリサーチ会社のソフトウェア開発部署の仕事だった。さてどんな感じになるのかなとドキドキしてたけど、いざ始まってみたら初日からオリエンも何もなくいきなりタスクふっかけられてそれこなす感じで、それ以降もずっと日々与えられたタスクをこなすだけの下請けみたいな仕事だった。

別に金は稼げてるからいいけど、カレッジ出たての新人としてはかなり孤独感が強く、ガイダンスもないのでリモートで独り路頭に迷いながらググってなんとか片付けていく日々で正直辛かった。やってる内容もつまらないし、スケジュールも結構無茶というかしっかりオーガナイズされてない感じで、カナダのくせに平気で週末駆り出されたりしてた。まぁ採用までのプロセスも割と短かったし、新卒なのにやけにすぐ雇ってくれたのはこういうことかという感じだった。

初日でもうそんな兆しが見えてたので、その時にすでに応募してた求人とかは断らずそのまま話を進めてた。でもフルタイムで働いてる間の就活はかなり大変だった。ちょっと用事あるとか言ってランチの時間を伸ばしてもらいその間に面接受けたりとか、これとてもじゃないけどオフラインじゃこなせないなって感じだった。パンデミック前みんなどうやってたんだろう。

映画も観れずヘトヘトになりながら仕事と就活を続けていったところ、3月末にもう一つ内定をもらえた。今度はしっかりフルタイムのパーマネント(正規雇用)。面接やテストを数回重ねての採用で、しっかり向こうの雰囲気も確かめられたので安心感も大きく、条件もよかったので迷わずそっちに行くことにした。

速攻現行の会社に適当な言い訳をして辞職を申し入れる。しかしまさか自分でもひと月の間に転職するとは思ってなかったけど、自分の場合はビザの期限もあるしダラダラ仕事してられないのでこれでよかったと思うことにしたし今もそう思ってる。


就職その2、そして引っ越しその1

新しい仕事はリモートではなく、オフィスに行く必要があった。そして場所がトロントの西隣にあるミシサガという都市だった。

現在の家からは片道90分越えという長旅だったので引っ越しを決意した。新しい仕事が始まる5月までの数週間、その間に引っ越し先探しから入居まですまさないといけないなかなかのスケジュールだった。

これまでの生活でほぼ同じ場所に住んでたのと、知り合いの家を借りさせてもらってたこともあり、こちらの賃貸事情については全く知らない状態だった。当時の彼女(カナダ人)を同居人として誘えたので、分からないことは彼女に任せられたのは幸いだった。

家探しはいくつかのウェブサイトを使ってた。ちなみにカナダの都市部はどこも家賃がアホみたいに高い。 The least affordable cities in North America(北米で最もコストの高い街たち)というレポートではアメリカの数ある都市を抑えてトップ3がカナダのバンクーバー、トロントとハミルトンという都市だったそう(2021時点)。

色々探したけど結局どこも1LDKで$1800(20万円?)前後で、どうせどこも同じならと新築のマンションに決めたのが4月の2週目だった。まだ内見も始めたばかりだったけど、早く決めてしまいたい気持ちが大きく、また新築ってとこにテンションが上がってしまってさらっと決めてしまった。まぁ一生住むわけじゃないしと思っていた。

彼女と連名の1年契約を即効で済ませ、いざ引っ越し準備を始めてみたらロックダウンの影響で色々なものが手に入らない。結局家具から100均で済ませられるような雑貨までほとんどアマゾンで注文しなきゃいけなかった。助かったけど家具なんかを見ずに決めるのはすごく嫌だった。

そんなこんなでバタバタしながらなんとか4月の末には長く住んだ家に別れを告げて新居へ引っ越しを済ませた。


突然の移民申請チャレンジ

転職前の仕事でヘトヘトになってた3月末だか4月頭あたりに、突如新しい移民プログラムの発表がカナダ政府からあった。
簡単に言うと、直近数年の間にカナダの公立の大学、カレッジを卒業した人は移民申請ができるという、歴史的にも破格の緩さのプログラムだった。

もちろん自分も対象だったので、転職&引っ越し中ではあったけど無理矢理時間を作って移民カウンセラーに連絡とって色々書類を準備したり、英語の公式試験を受けなきゃいけないのでその予約を取ろうとしたりその勉強を始めたりしてした。
試験の予約は案の定人が殺到して、予約サイトにつながることすら稀な状況だった。

何日もサイトに張り付いてなんとかとれた予約がプログラムの受付開始日の二日後。試験結果が出るまで約一週間。なんとか間に合うといいなーと思いながら引っ越し&書類準備&勉強をして過ごした。やることが多くて目が回った。


そうしてプログラムの受付が始まると、初日ですでに応募受付定員の6割が一瞬で埋まった。あ、これはダメだな。と思った。
案の定2日目の午前中には定員に達した。自分の英語試験の前日だった。

喪失感に打ちのめされながら、それでもどうせあとで必要になるので試験を受けに行った。一週間後に返ってきたスコアがやけっぱちで勉強したにしては悪くなく、元々申請しようとしていたプログラムの基準を上回っていたのがせめてもの救いだった。

気がつけば5月で、新しい仕事が始まっていた。


引っ越しその2

トロントの西側に移り、彼女と同棲しながら隣町へ通勤する日々が始まった。

新居自体はピカピカの新築で気持ちがよかったけど、新築すぎて内装がまだできあがってないからつねにどこか工事してたし、そもそもその区域自体が新しく開拓されたものだったので、公式な住所が政府に登録されておらず、荷物がことごとく届かずかなりフラストレーションが溜まった。タイミング的に家具とか必需品を頼む機会が多かったので結構死活問題だった。

新しい仕事と移民申請の準備でいっぱいいっぱいだったので、彼女の期待していたような生活ができずによく口論をするようになった。

申請を諦めて仕事に慣れてきてからもそれは続いた。日常の細かいことや生活のペース、意識、こだわりの違いなんかで。でも常に根底には自分が彼女に冷たい、コミュニケーション不足という主張があった。
思い返せば確かにそうだったのかなと思う。むしろ口論を重ねるごとに彼女への気持ちに距離ができていき、家に帰るのが億劫になっていった。前の家のハウスメイトたちが恋しくて寂しかった。

それまで仲良くやってきてたのに引っ越してからあっという間に関係が悪化し、6月にはもうやっていけないと彼女から告白された。その時にはもう感情が冷え切ってしまっていたので、それを受け入れるのに痛みはなかった。

しかし自分達はたった2ヶ月前に1年の契約を済ませたばかりである。はいじゃあさよならという訳にはいかない。
かといってどちらか一人で住むには高すぎるので、選択肢としてはペナルティ覚悟で途中解約するか、契約を引き継いでくれるテナントを探すか。
ペナルティは怖いので、後者にしてなるべく早くテナントを見つけようという話になった。

それと同時に、今度は自分の引っ越し先も探さないといけない。ようやく色々済ませて生活が落ち着くと思ったのにちくしょう。と自分のせいだけどムカついていた。

それから色々考えたり調べたりして疲れ果て、結局前の家に戻ることにした。ひとりでは相当安っぽいところしか住めないし、今更シェアハウスで新しく人間関係を築くのはめんどくさすぎる。
テナントはまだ見つかっていなかったけど、その時には相当に関係が悪くなっていたためひとまず月末には自分の荷物を新居から引き取って出ていった。

こうしてやく2ヶ月間の新居生活が終わった。いつの間にか夏だった。


運転開始

さて、まわり回って元の家に帰ってきたはいいが、そもそも引っ越した原因は会社までの距離である。
仕方ないので戻ってきた当初は電車やバスを乗り継ぎ通った。往復3時間以上かかる道のりを毎日通い、どんな映画でも通勤中に見終えてしまった。

映画はさておきこれは辛すぎる。ということで、車を買うことに決めた。すでにその方向で考えてはいた為、引っ越しと並行してディーラー巡りは始めていて、リース契約もなんとか数週間のうちに終えられた。

ちなみに、日本の免許はカナダでそのまま現地の免許に書き換えができる。国によっては改めて試験を受けたりしないといけないのでかなり有利。

なんだが、自分は生粋のペーパー、最後に運転したのは免許をもらった日の路上試験で10年以上前。原付では走ってたとはいえ、車の運転はもう全く何も覚えてない状況だった。もちろん試乗もできてない。

さすがにこれはまずいだろと教習所的なところを探してみたけど、問い合わせを無視されたり、良いところが見つからないまま納車の日が来てしまった。


苦し紛れにYouTubeでレクチャーの動画を見ながらディーラーへ行き、その場で鍵をもらって帰路についた。
しかしディーラーは前の家の近くにあるため、真逆の方向にある今の家に帰るには街を横断しなくてはいけず、吐きそうになりながら下道を走ってなんとか生きて帰った。でもその道のりにあまりに疲れすぎてしまい、翌日の出社は結局電車に乗った。

とはいえ買ったからには使わないといけない。それから外界に怯えながらも往復約80kmの道のりを毎日通勤する日々が始まった。
距離が距離なので強制的に運転にも慣れざるを得なかったのは不幸中の幸いだった。


という感じで、約半年の間に怒涛のイベントの連続で死ぬかと思った。この間にもCOVIDのワクチンを狂ったように探し打ちに行ったり、色々細かいことはあったんだけど、書き始めたらキリがないのでいったんここまででひとつの記事として終えておく。

この年の後半は次に何が起こるのかとビクビクしながらも、比較的平穏に労働と遊びに終始していたと思う。

この記事を書き始めた2022年の3月にはさすがに状況は落ち着いていて、別の記事で書いたメキシコ旅行直前だったかと思う。途中まで書いたまま下書き状態で眠っていたので、だいぶ後追いになってしまったけど、見つけて清書したものを公開することにする。

2022年以降の生活についてはまた近いうちに別途記事にしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?