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音楽のような、音楽でないもの

カナダがロックダウンを発令して、カレッジのオンライン授業が始まって2週間が経つ。多くのクラスではなんとかうまいこと対応していて、慣れてみるとなかなか快適、特に自分のようなPCメインの学生にとっては、自宅のフル装備の環境で講義を受けられるのは一定メリットがあるなと実感している。

ただ如何せん集中できない。何度講義中に寝落ちしそうになったことか。最近実技でないクラスは、寝ないように体操やストレッチをしながら聞くようにしている。


本題。ある授業で、休憩中に教授がいつも音楽を善意で流してくれるのだけど、マイクごしに携帯のスピーカーでかけるので音がペラッペラのノイズのりまくりになってしまっているのがめちゃくちゃ気に触る。

前々から思ってたけど、携帯のスピーカーをマックスにした音質もクソもないシャカシャカした耳障りな音、なんでみんな平気なんだろうか。

例えば解像度144pで美術作品鑑賞するようなもので、あんなの音楽とは言えないと思うんだけど。

音楽の抜け殻みたいなものを聞いても、それは音楽を聴いているのとは違う。


そういうことを考えていると、逆説的に、多くの人は音楽をそこのレイヤーまでしか聴いていないのかもしれないと思えてくる。というかそうなんだろう。

でも自分からすると、中身の削れた表面だけの音楽の抜け殻はもはや音楽ではないので、じゃあ彼らは何をもって音楽を音楽として認識しているのかという疑問が湧いてくる。

まぁおそらく、例えばメロディ(大体の場合は歌=声)やコード、リズムでもって、それらを音楽として認識している。そりゃもちろん自分もそこは認識してるけど、多くの場合はそれが認識できればその中身である音の厚みや音色をはじめ、音の本質自体はエクストラなものとして見なされているか、もしくはそもそも認識されていない。おかしい。音楽から中身の抜けたそれは音楽未満の音のパターンでしかない。全部含めて音楽なんだよ。


音量のキャパをオーバーした虚弱なスピーカーから流れる抜け殻、チープなマイクを通したほぼノイズになりかけの音のパターン。

なぜそんなものが平気で聞けるのか、また、それを音楽と認識してしまうのか。意味がわからない。

その程度のものなら音楽なんて必要ないだろ。聴くな。と言いいたくなる。言わないけど。

ただただ自分にとっては理解不能というか、そういう状態で聴かれている状況が不可解だったのでここに書き留めておく。届け、この気持ち。そしてせめて音の割れないマトモなスピーカーを一家に一台配布していただきたい。布マスクなんているかよボケ。


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