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ゲームブック栄枯盛衰

はじめに:ウォーロックを読んで

本稿の趣旨はゲームブック産業の栄枯盛衰をデータで可視化し、その要因を考察することである。
きっかけは古本で入手したウォーロック誌全63号を読んだことであった。

ウォーロック誌表紙

創刊号(1986年12月号)から18号まではスティーブ・ジャクソンとイアン・リビングストンが監修に入っており、ファイティングファンタジーに代表されるゲームブック作品のレビューやタイタン世界の解説等が充実している。

しかしながらウォーロック誌の創刊は一筋縄ではいかず、安田均先生の回想では土壇場での苦労があったようだ。

「ウォーロック」で一番大変だったのは、1986年12月に創刊号が出て、正月になったところで「お話があるんですが、本国版つぶれました」(笑)。本国版のストックはあったから、12号までは「ファイティング・ファンタジー」シリーズの雑誌という名義で出せるけれど、その後の保証はないので今止めますか、と。これを聞いて、ぼくは裏で必死でしたよ。ちょうどCorgi Booksが英国版『T&T』を出したタイミングだったから(1986年)、『T&T』の翻訳を出させてくれと頼みこみました。それで版権が取れましたということで、「ファイティング・ファンタジー」のストックを訳しつつ準備を全力でやって、87年末に発売。『T&T』はドンピシャのタイミングではまったんで、あれがなかったらもう「ウォーロック」自体も続いてないし、『T&T』は別の形になったでしょう。

安田均. (2018). 日本現代卓上遊戯史紀聞: Vol. [1]. ニューゲームズオーダー.

ウォーロック誌によると、1987年4月にスティーブ・ジャクソンとイアン・リビングストンが来日したときは2000回のサインを行い、イベントも活況だったようだ。ゲームブックブームが盛り上がった時期でもあった。

その後もウォーロック誌では毎年ゲームブック業界のレビューを行い、「今年は○○の年」と総括している。下記にコメントを抜粋してまとめる。
なお、カッコ書きで追記したゲームブック作品数は筆者がウォーロック誌の記載から集計した概算数字である。

1985年:ゲームブック元年(約150冊)
1986年:混乱と淘汰の年 (約200冊)
1987年:分化と安定の年 (約200冊)
1988年:先鋭化と突破の年 (約100冊)
1989年:武器を失った年 (約100冊)
1990年:「話題にとぼしい1年」(約37冊)

ウォーロック誌

1990年は「○○の年」とは名言されず、文章の中でTRPGの製品投入が活発な一方でゲームブックの作品数が少なかったことが述べられている。
1987年〜1988年は各社の試行錯誤がありつつも成長し、その後は出版社の強みを活かしたレーベルでの作品強化が図られていったことが伺える。
しかしながら、1989年になると途端に勢いを失い、1990年にはブームの終息を窺わせる記述となっている。

安田均先生の回想の中でも、当初は雑誌の柱であったゲームブックが弱まり、ゲームの主体がRPGへと移りつつあったことが述べられている。

ただ1990年代に入り『ウォーハンマーRPG』(原著1986年、邦訳1991年)をやる頃になると、明らかにRPGの環境が違ってきました。まず、最初に柱にしていたゲームブックが弱くなってきてたんですよね。「ウォーロック」はちょっとずつRPGの雑誌になってきたけれども、これが海外ものから国内へシフトしはじめた。だから『ウォーハンマーRPG』を中心に海外のものをストロングスタイルでやるのか、それともカジュアルなスタイルでやるのか、どっちで行くのかという舵取りが難しくて。そういうこともあって、社会思想社の田中矗人さんが92年の3月に、そろそろいったん休みましょうか、と。

安田均. (2018). 日本現代卓上遊戯史紀聞: Vol. [1]. ニューゲームズオーダー.

日本では1980年代後半から『火吹き山の魔法使い』を契機としてゲームブック市場が急成長したものの、コンピュータRPG・TRPG市場の成長の影に隠れて1990年代にブームが終焉を迎えた。

本稿ではゲームブックの出版データに基づき、1980年代以降のゲームブック市場の推移を可視化した。
さらに1980年代の日本のファンタジー・RPG・ゲーム産業の登場について時系列で情報を整理し、ゲームブックブームの発生と終焉の要因を考察する。

本稿は作品としてのゲームブックの優劣を論じるものではない。
出版物数のデータからゲームブック市場の栄枯盛衰の要因を考察することを意図したものである。

分析データ(ゲームブック)

ゲームブック倉庫版@ウィキのWebサイトからテキストデータを収集・加工して出版物データテーブルを作成した。(2023年11月5日作業実施)
雑誌収録・パズルゲーム・TRPGルールブック・リプレイなどはカウント外とした。ただし、TRPGでもソロアドベンチャーを含む作品はゲームブックとしてカウントしている。
なお、出版年を確認した日付は作品の奥付けの日付を参考としている。実際の発売日はそれより1ヶ月ほど早かった可能性があるが、店舗販売日は確認できないため、奥付けの日付に基づいて販売年を求めて集計を行った。

ゲームブック作品数を左軸の棒グラフ、ゲームブックを出版した出版社数を右軸の折れ線グラフとした結果を図1に示す。

図1 ゲームブック作品数(棒グラフ)・出版社数(折れ線グラフ)推移

1985年・1986年と作品数・出版社数とも大きく増加した。1987年になると作品数が微減して出版社数は大きく減少した。1988年には作品数が前年から半減し、1990年には作品数がピーク時の4分の1まで減少した。

1981年以降に発売されたゲームブック・TRPG・コンピュータゲームについて発売年ごとに下記の図2〜図4にまとめた。

図2 1981年〜1986年発売ゲーム
図3 1987年〜1989年発売ゲーム
図4 1990年〜1992年発売ゲーム

代表的なゲームの発売年をゲームブックの作品数・出版社数グラフと重ねた結果を図5に示す。

図5 ゲームブック作品数・出版社数推移と発売された代表的なゲーム作品

ゲームブック市場はD&D赤箱の発売・ウィザードリィやドラゴンクエストなどのコンピュータRPGの登場と同じタイミングで急成長したことが確認された。
コンピュータRPGやTRPGがそのまま成長した一方、ゲームブックはそれらのゲームと入れ替わるように市場が縮小に転じたと考えられる。

分析データ(TRPG)

ここでTRPGの発売状況についても整理してみる。データはRPGマガジン2月号別冊 RPGオールカタログ’95を用いた。奥付けの日付が1995年2月1日であり、1994年発売分までのTRPGについてカバーしていると考えられる。

図6にTRPGシステム数(棒グラフ)とメーカー数(折れ線グラフ)の推移を示す。ここでのTRPGシステムとはD&Dやソードワールドなどのルール体系をさしており、実質的には基本ルールブックが発売された年ごとに作品数をカウントしている。また、海外のRPGの場合は日本語版が発売された年にカウントしている。

図6 TRPGシステム数(棒グラフ)・メーカー数(折れ線グラフ)推移

TRPGについて、1980年代は平均して年間3件弱のリリースに留まっていたが、1990年以降は年間で10システム以上が発売されるようになった。
1980年代はD&D・T&T・クトゥルフの呼び声・ルーンクエストなど海外RPGの翻訳版が主流であったが、1989年にロードス島戦記コンパニオン・ソードワールドRPGが発売されて以降、国産RPGが大きく成長したと考えられる。
このデータでカウントしているのはシステム数である点には留意が必要である。ルールと共にリプレイや追加ルールサプリメントが発売されていることから、システム数の成長はTRPG作品数で集計すると急成長を遂げたと言えよう。

アナログゲーム雑誌の刊行期間を図7に示す。

図7 アナログゲーム雑誌 刊行期間

ホビージャパンのタクテクスが1981年に創刊され、その後1986年にD&D赤箱の登場を契機に新和のD&Dマガジンが、ファイティングファンタジーのゲームブックを契機にウォーロックが発刊された。
1990年代に入ると上記3誌は休刊し、代わりに日本のTRPGを扱った専門誌が相次いで創刊された。
日本のTRPG市場が大きく成長していたことを示唆している。

考察(ゲームブック出版社個別)

ゲームブック全体の集計データを示したが、次に代表的な出版社別データを見ていこう。
なお、出版社別集計はゲームブック倉庫版@ウィキのWebサイトのデータに依拠している。このデータベースにはTRPG作品も一部収録されているが、TRPGが網羅的に収録されているわけではない点に留意されたい。
出版社別集計のTRPG等のグラフについてはカウント漏れが存在する可能性が高い。

社会思想社

図8 社会思想社作品数推移

社会思想社と言えばファイティングファンタジーシリーズがゲームブックの代表作でもあり、市場を牽引するきっかけとなった出版社と言える。
1987年にT&Tのルールブックを発売し、ソロアドベンチャーなどゲームブックファンにも馴染みやすい形でTRPGを展開していった。同年がゲームブック作品数のピークであり、それ以降はリリース数が減少していった。
1990年以降はTRPGの作品数がゲームブックを上回るようになり、ウォーハンマーFRPのルール・シナリオ集の発売に注力した様子が伺える。

東京創元社

図9 東京創元社作品数推移

東京創元社はソーサリー4部作・デイヴ・モーリスのゴールデン・ドラゴン・シリーズ、鈴木直人のドルアーガの塔3部作とメスロン・サーガシリーズ、本田成二のワルキューレの冒険3部作、林利彦のネバーランドシリーズやウルフヘッドシリーズが代表的である。
1986年が作品数のピークであるものの、減少幅は市場全体と比べて緩やかであり、1990年までは一定数の作品をリリースしていた。
1990年にはTRPGであるドラゴン・ウォーリアーズを発売した。

富士見書房

図10 富士見書房作品数推移

富士見書房はパックス砦の囚人から始まるAD&Dシリーズでゲームブック業界に参入した。1986年・1987年にD&Dエンドレスクエストシリーズも含め、D&D関連作品として多くの作品をリリースしている。
なお、小説ドラゴンランス戦記が発売されたのも1987年であり、D&D/AD&Dに関連した作品を集中的にリリースし始めたものと考えられる。
なお、1995年以降にカウントされている作品はMAGIUSシリーズである。基本ルール内にソロプレイ・ソロアドベンチャーが含まれる作品はゲームブックとしてカウントしていることによる。

双葉社

図11 双葉社作品数推移

双葉社は1986年から1991年にかけてファミコン冒険ゲームブックシリーズとして、ファミコン作品のゲームブック版を多く出版した。コンピュータゲームを原作としたゲームブックが多いが、オリジナルの冒険ゲームブックシリーズやルパン3世シリーズも作品数が多い。
1994年以降は小学生向けのコミックゲームブックをリリースしている。

勁文社

図12 勁文社作品数推移

大百科で知られる勁文社であるが、1985年のドルアーガの塔外伝から始まるアドベンチャーヒーローブックスシリーズは全46作品に及ぶ。それらは1988年までの間に集中して出版された後、1989年以降は急激に作品数が減少した。

ゲームブック市場を牽引した5社の作品数推移を図13に示す。

図13 5社ゲームブック作品数推移

おおむね1987年ごろをピークに作品数が急激に減少に転じている。
双葉社は1989年ごろまで作品数を維持しているが、コンピュータゲームを題材にした作品シリーズが定着していた可能性が考えられる。
急成長した後、急速にブームが終焉を迎えた様子が確認された。

考察(ゲームブック市場)

プロダクトライフサイクルにおける導入期・成長期・成熟期・衰退期を作品数推移に追記した結果を図14に示す。

図14 ゲームブック市場におけるプロダクトライフサイクル

導入期

1984年に発売された『火吹き山の魔法使い』に代表されるファイティングファンタジーシリーズがゲームブックブームの契機となったと考えられる。
奥田・江見らのノベルゲーム研究の先行文献レビューによると(奥田・江見,2017)、結末が分岐する小説というゲームブックの原型は1941年には存在しており、その後1970年代にはナンバリングしたパラグラフで管理するゲームブックが商品として存在していた。
日本のゲームブックもごく少量リリースされていた状態であったが、1985年に向けて急激に市場が成長した事例である。

成長期

ゲームブックの作品数が急増し、新規参入する企業が増加した1985年・1986年が成長期に該当すると考えられる。
出版社が増加したことから出版社の競争も激化し、作品の特徴を際立たせて他社作品との差別化・高品質化を図った時期と言えるだろう。

成熟期

ゲームブックブームの中で収益につながらないと判断した企業は撤退し、出版社数は減少に転じている。
本来は競争に勝ち残った企業が、低成長ながら安定した収益を確保するフェーズであるが、ゲームブック市場においては作品数が急激に減少し、市場の縮小が著しい状況であった。
ゲームブック市場の成熟期は短く、衰退期がもっと早い時点で始まっていた可能性も十分考えられる。

衰退期

1990年になるとゲームブック作品数は急減し、その後は一定数の作品がリリースされるのみである。
1995年近辺のピークはMAGIUSのソロアドベンチャーで構成されている。


考察(ゲームブック市場の競争環境)

ゲームブックブームにおける市場の競争環境について、下記に要因を整理して考察する。可能性を検討して列挙したが、データで検証されたものではない点は注意されたい。

売れる作者の確保

コラムライターや小説家がブームだからと言って、すぐにゲームブックを執筆できるわけではない。ゲームブック作家の数が限られていたと考えられる。
また、売上・収益につながる優秀なゲームブック作家はおそらく一握りであったはずであり、そういった作家を確保・維持することが困難であった。
一部出版社ではゲームブックコンテストが実施されていたが、新たなゲームブック作家の発掘・育成が機能するには時間が足りなかった。

参入障壁の低さ

商品としては書籍であるため、出版事業を有する企業であれば技術的な問題はなく、ゲームブック市場への参入自体は容易であった。
実際に出版社数は急増している。ブームに乗って市場に参入した出版社の作品の中には、本格的なゲームブック作品もあれば、途中でストーリーが分岐するだけの作品が含まれていただろう。
多くの出版社がゲームブックブームに乗じて参入した結果、後述するように競争が激化していったと考えられる。

代替品

リリース時期を確認・整理した結果、コンピュータゲームやTRPGが同時期に発売されていた。一人で遊ぶならコンピュータゲーム、友人たちと遊ぶならTRPGが常に代替候補であった。
1990年代からはファンタジー世界を扱ったライトノベル作品もゲームブックと競合することになった。

顧客

ゲームブック市場が立ち上がった直後は、500円程度で本格的なゲームが楽しめる点に価値を感じて買い求めた顧客が多かったと思われる。
しかしながら『火吹き山の魔法使い』のような本格的なゲームブックをクリアしようとすると、詳細なメモを取ってマッピングしながら解く必要がある。ページに指を挟んで先のパラグラフをチラ見していけば解けるような内容ではない。
安くゲームが楽しめると思ってゲームブックを購入したものの、思いの外難しくて最後まで辿り着けず、結果的に投げ出してしまった購入者も一定数存在しただろう。その経験があれば、それ以降のゲームブック購入を見合わせることになる。
本格的なゲームブック作品の愛好家として根付いた顧客層はそれほど多くなかったのではないだろうか。

競合

多くの出版社が作品を出していたことで競争が激しかった。独自の作品シリーズや翻訳作品を抱えているレーベルには競争力があったが、書籍としての価格帯を引き上げてはおらず、おおむね似たような価格帯で競争することとなった。
しかし、ゲームブックには通常の校正に加えてパラグラフ遷移に伴うデバッグが欠かせない。パラグラフの数字記載ミスで先に進めなくなり、後日正誤表が出ることもあった。
通常の書籍と比較してデバッグ工程という費用が追加で発生することになるため、損益分岐点売上高は上昇してしまう。
購入者数が減少しているのに高コスト体制という問題点が内在していた。

考察まとめ

ゲームブック市場はファンタジーTRPGの導入とコンピュータRPGの成長ともほぼ同じタイミングで急成長してブームとなった。
しかしながら、ゲームブック市場で事業を行っていると

  1. 作品の生産コストが高い

  2. 本格的なゲームブックを愛好する顧客がそれほど多くなかった

  3. コンピュータゲーム・TRPG・ライトノベルなど代替品との競争が激しくなった

の問題点が顕著となったのではないか。
高い固定費にも関わらず、激しい競争環境の中で書籍価格を引き上げることが出来なかった。売上を稼ぐには販売部数を引き上げるしかないが、ゲームブック愛好家数数は思いの外少なく、採算割れする作品が多かったと考えられる。

安田均先生も部数の減少を指摘している。

「ウォーロック」の部数は最初期こそ二万部くらいですが、その後は一万部でずっと推移して、最後は八千くらい。特に赤字ではなかったと聞いてます。ゲームブックの落ち込みの方が大きかったみたいです。

安田均. (2018). 日本現代卓上遊戯史紀聞: Vol. [1]. ニューゲームズオーダー.

ここまでゲームブックブームを可視化し、市場の特徴を考察してきた。
現在発売されているファイティングファンタジーコレクションのように、高い単価を維持した受注生産スタイルとし、熱望するファンのもとに確実に商品を届けるスタイルがゲームブック市場の特性と整合的であると考える。
もしくは小さな出版社で固定費を抑えて、ファンと草の根で交流しながら販売するなどの工夫が必要になるだろう。


参考文献

  1. 安田均. (2018). 日本現代卓上遊戯史紀聞: Vol. [1]. ニューゲームズオーダー.

  2. 奥田茂人, & 江見圭司. (2017). 電子書籍化によるノベルゲーム関連の市場拡大について: 歴史的経緯を踏まえた提案. NAIS journal, 11, 39-44.

  3. 折橋義弘 (Ed.). (1995). RPGマガジン2月号別冊 RPGオールカタログ’95. ホビージャパン.



おまけの感想

1980年代の思い出話をするとき、往々にして事実誤認が入る。
筆者もD&Dが元祖で、その後ゲームブックが来て、ウィザードリィなどコンピュータゲームが盛り上がった・・・と勝手な印象を持っていた。
時系列で製品情報を整理したところ、思いの外同時期に一気に登場していたことがわかって驚いた。


電子書籍で購入できる往年のゲームブック


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