専門学校生が借りた電動キックボードに、大学生の友人と二人乗りしていたら、検問にひっかかった事件
キックボードの飲酒運転事件の報
電動キックボードをめぐる道路交通法違反(車両提供)の容疑での立件例を伝える三面記事。要は飲酒運転で、幸いなことに交通事故は起こしていないようだ。推測するに、検問にひっかかったところ、レンタルキックボードの借主が操縦せずに二人乗りの後ろで同乗していたために、運転手の大学生の酒気帯び運転のみならず、又貸しした専門学校生も異例の送検となったのだろう。
運転していたのは19歳の大学生。…ということは20歳未満の飲酒ということになる。まずそこからツッコミたいと思い、この記事を書き始めた。しかし飲酒の年齢制限については、若者の逸脱として大目に見ろという言説が溢れているため、法を錦の御旗と振りかざして安易に批判することをいささか憚られる。
宮田選手の飲酒喫煙の一件
20歳未満の飲酒についてどれほどまで咎めるべきかについては、先のパリ五輪直前の宮田笙子選手の騒動が記憶に新しい。新しいと言ってももう数ヶ月も前に済んだ話で、今更ながらこの一件を掘り返しているのは、決して彼女を攻撃したいためではなく、世間的に問題視されて朝日新聞紙上やコメントプラスでも盛んに意見表明された事案だったためである。
当時はオピニオン面でも特集されていた。下記の特集で二人目の谷口さんは、スポーツ選手の規律違反に対する世間の目が厳しいことは必ずしも日本固有でもないこと、そして辞退という決着はいかにと日本的であることを、それぞれ指摘している。
当時も今もこの事案に対する私の心情としては下記記事に対する常見陽平さんの、要約するとこれ以上誹謗してやるなというコメントに共感する。繰り返すかが、彼女のことを批判したくて蒸し返しているわけではない。
上記の記事に対して浅倉記者、永田記者、それから下記の記事に対して田中知之さんは、宮田選手の五輪不出場を残念がるコメントを付している。
私はこれらの言説に賛同や共感できない。これらのコメンテイターは、高潔性を重んじて逸脱への許容性が低くなっている社会的な風潮あるいはインターネット上の言説を懸念しているようだ。また体操ファンとして純粋に大舞台で宮田選手の演技を見たかったということ、そして五輪出場の価値を相当高く見積もっていることもあるだろう。邪推すると、そもそも特に成年(十八歳以上)で二十歳未満の飲酒を禁じる法制そのものに納得していない言わば確信犯的な擁護であるようにも思える。
飲酒や喫煙は、誰にも迷惑をかけていない行為とは言えないからこそ、税、年齢制限、飲酒運転規制、適量摂取といったルールが設けられている。ルール違反が公のこととなった際には、確信犯であろうと不憫な高ストレス環境におかれていようと、批判を受けることは当然のこと。批判に耐えられない選手が代表辞退することは致し方なく、そして咎の代償としては十分、100%、妥当、適正額、言葉を尽くせば釣り銭や未収金無しの満額だと私は思う。
公然と黙認されてはいない二十歳未満の飲酒
日本社会において、「お酒は二十歳になってから」はそこかしこに見られる文句であり、酒類は「年齢確認にご協力」してから提供を受けられる。二十歳未満の飲酒が実態としてありふれていたとしても、公然と行われるものではない。ひとたび明るみに出たら本人も周囲で黙認していた物も酒類提供した者も、当然に咎められる。批判に笠を着た人権侵害はもちろん容認できないが、厳しい目を向けられることは避けがたい。
昔より厳しくはあるのだろう。私が大学の教養課程の頃、オーストラリア人の講師が当然ハイティーンの多いクラスの学生達と居酒屋での飲み会を開いたことがあった。学生だけのコンパではなく、大人(翻れば当時のオージー先生は今の私よりだいぶ若手であったものの)のいる酒宴を少々奇異に覚え、そうか彼の母国では合法に飲酒できる年齢なのかと納得した覚えがある。今は外国出身であっても日本在住歴が長い方であれば、参加者が専ら二十歳未満と思しき飲み会に同席したいとは思わないのではないか。
二十歳未満の飲酒は、飲酒運転と比べて不法行為としての程度が大きく異なる。しかし社会規範からの逸脱行為としては連続しており、公然と容認するわけにはいかない。
電動キックボードのありふれた違反
冒頭の記事に話を戻すと、二人はヘルメットを着用していたのだろうか。運転手のほうは原付免許を持っていたのか。車道を通行していたのか。おそらくニュースバリューがないのだろう、記事では報じられていない。
またキックボードの借主であった専門学校生については当日飲酒していたか否か、記事では言及されていない。たとえ彼女も飲んでいたとして、もし彼女自身が二人乗りの前にいたならば、ありふれた書類送検事案であってニュースにはならなかっただろう。
幸い交通事故は発生しなかった。反省して、飲酒も運転も貸し借りも慎重になってくれたらと願う。些事とまで言えないが、取り返しのつかない過ちでもない。