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藤井王位による1810年の詰将棋解説と観戦記者の天啓

史料の発見

 旧家や寺社の蔵からは、時折、歴史的な資料が発見される。今月6日には織田信長が細川藤孝に宛てた書状の発見が伝えられている。

 細川家伝来の資料群を保管する永青文庫と、熊本大学永青文庫研究センターの共同調査で、2022年8月に東京にある永青文庫の収蔵庫から発見された。

https://www.asahi.com/articles/ASS9610N0S96UCVL03YM.html

 学術的な調査へ経るため、このケースでは発見から報じられるまでに2年のタイムラグが生じている。

1810年の詰将棋

 そしてつい先日報じられたのは、静岡県牧之原市内の旧家で今春見つかった200年以上前の詰将棋である。東京新聞の観戦記者のコラムに詳報されている。

 発見したのは市史料館の学芸員、長谷川倫和(ともかず)さん(39)。市内の旧家から依頼され、衣装ケース13箱分の古文書を調べる中で、詰将棋の書き付けを見つけました。作者は「仲平」とだけあり、どういう人物かは不明。図面の横に「文化午大小」と記され、文化7年の午(うま)の年、つまり1810年の作と分かりますが、解答は書かれていません。将棋のできる職員が解こうと挑みましたが、歯が立たなかったそうで、王位戦の誘致担当でもある長谷川さんは「詰将棋の得意な藤井王位の力をお借りしよう」と考えたそうです。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/354025

 牧之原市というと、加藤桃子女流四段の出身地である。当地は将棋どころなのだろうか。加藤女流の喜びもひとしお。

 加藤女流も詰将棋を愛好していることで知られる。もし長谷川学芸員が市職員として棋戦の誘致担当者でなければ、あるいは王位戦が牧之原市での第六局までもつれていたら、発見された詰将棋を藤井王位に解いてもらうことにはならなかったかもしれない。完全作とする藤井補作、そして樋口薫記者が作品タイトルから当時の習俗を取材し謎解きの天啓を得たこと、総じて素敵な邂逅である。

1607年の本将棋

 藤井七冠は、1607年の本将棋の解説もやらされている。

 棋譜が史料として残されることで、400年の時を超えて名人同士の対話がなされる。羽生九段のAI取材にしても、第一人者は色々やらされて大変とも思うが、現代最高の求道者の見解をみんな聴いてみたいのだろう。
 400年も棋譜が残ることについて、藤井名人は斯く語る。(動画では22分あたり)

 「価値がある棋譜だからこそ残るということなので、そういう意味では、わたし自身もそうやって残るような棋譜、そういう将棋を指したいですし、指していかなくてはいけないと思っています」

https://www.asahi.com/articles/ASS7J1P1FS7JUCVL07DM.html

 牧之原市の旧家の詰将棋も、趣向を凝らしたカレンダーでもあったから残ったのかもしれない。

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