藤井王位による1810年の詰将棋解説と観戦記者の天啓
史料の発見
旧家や寺社の蔵からは、時折、歴史的な資料が発見される。今月6日には織田信長が細川藤孝に宛てた書状の発見が伝えられている。
学術的な調査へ経るため、このケースでは発見から報じられるまでに2年のタイムラグが生じている。
1810年の詰将棋
そしてつい先日報じられたのは、静岡県牧之原市内の旧家で今春見つかった200年以上前の詰将棋である。東京新聞の観戦記者のコラムに詳報されている。
牧之原市というと、加藤桃子女流四段の出身地である。当地は将棋どころなのだろうか。加藤女流の喜びもひとしお。
加藤女流も詰将棋を愛好していることで知られる。もし長谷川学芸員が市職員として棋戦の誘致担当者でなければ、あるいは王位戦が牧之原市での第六局までもつれていたら、発見された詰将棋を藤井王位に解いてもらうことにはならなかったかもしれない。完全作とする藤井補作、そして樋口薫記者が作品タイトルから当時の習俗を取材し謎解きの天啓を得たこと、総じて素敵な邂逅である。
1607年の本将棋
藤井七冠は、1607年の本将棋の解説もやらされている。
棋譜が史料として残されることで、400年の時を超えて名人同士の対話がなされる。羽生九段のAI取材にしても、第一人者は色々やらされて大変とも思うが、現代最高の求道者の見解をみんな聴いてみたいのだろう。
400年も棋譜が残ることについて、藤井名人は斯く語る。(動画では22分あたり)
牧之原市の旧家の詰将棋も、趣向を凝らしたカレンダーでもあったから残ったのかもしれない。