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フェミニズムに救われた作家の半生を、ジェンダーという言葉を使わずに語れ

 1週間前にこの記事を一読した際に、富永先生のコメントに反感を覚えるところがあった。浅学な素人がわかった気になって学術用語を使ってるんじゃねぇよ、というコメントに読めたので。よもやそんな意図ではあるまい、なんらか読者のミスリードを懸念してのコメントだろうと、努めて好意的な解釈を図ってみる。

アルテイシアさんのインタビュー記事

 まず、当該記事について、富永先生が挙げている単語をもちいることなく、インタビューの骨子を抽出したいと考え、Microsoft Copilotという生成AIに要約してもらった。
 当該記事は、ジェンダー平等をユーモラスに語って人気の高い作家のアルテイシアさんが、「シスターフッド」「ジェンダー」「ルッキズム」「オッサン化」「男らしさの呪い」といった語彙を交えて、下記の要約にある自身の遍歴および「人生がラクになりました」という心境に至った理由を語った、インタビュー記事である。

インタビュー記事のAIによる要約「アルテイシアさんの生涯と経験」


幼少期と家庭環境

  • 母親は結婚に対するコンプレックスがあり、アルテイシアさんに過度な期待をかけました。

  • 父親は自営業で裕福でしたが、家庭を顧みず、母親はアルコール依存症に。

学校生活

  • 中学高校は私立の女子校で、友人たちに支えられました。

  • 大学進学を機に家を出て、一人暮らしを始めました。

阪神淡路大震災とその影響

  • 大学1年生の時に阪神淡路大震災に遭遇し、父親との再会が心の傷となりました。

過食症

  • 大学での経験から過食症に苦しみました。

職場での苦労

  • 広告会社でのハラスメントに遭い、28歳で退社。

母親の病気と死

  • 母親は病気で亡くなり、アルテイシアさんは母親の苦しみを理解するようになりました。

父親の自殺

  • 父親は借金の保証人にアルテイシアさんをさせ、自殺しました。

自己理解と成長

  • 自己理解を深め、親の影響から解放され、人生がラクになったと感じています。

メッセージ

  • 良い子をやめ、自分らしく生きることの重要性を強調しています。

アルテイシアさんの経験は、多くの人にとって生きやすさについて考えさせられるものです。


 上記は、朝日新聞デジタルの[毒親だった両親殺した「ジェンダーの呪い」 アルテイシアさんの怒り](聞き手・河合真美江、2024/9/8 (日) 15:00)を要約したものです。

富永先生のコメントに関する考察

 富永先生のコメントの冒頭を引用する。

 素晴らしい記事でしたが、この記事にあるアルテイシアさんのご経験を「シスターフッド」「ジェンダー」「ルッキズム」「オッサン化」「男らしさの呪い」といった言葉なしに読みたいな、とも思ってしまいました。

上掲記事に付された富永京子氏のコメント

 富永先生は、なぜアルテイシアさんが自らの経験を語る言葉に引っかかりを覚えたのであろうか。富永先生の内心はご当人にしかわからないので、真実や蓋然性の高い推論を導こうとするのではなく、なるべく多面的に想像してみたい。

①アルテイシアさんが概念を印籠扱いして体験談を語っていることで、問題の所在が有耶無耶になっていると感じた

 富永先生には、アルテイシアさんの苦労話の背景にある社会問題に目星がついており、しかしアルテイシアさんが印象的な概念を交えて語るものだから論旨が逸れて社会問題に踏み込めていないことを、歯がゆく思ったのではないか。

②読者がアルテイシアさんに倣い、概念を印籠扱いして何か主張した気になってしまうことを懸念した

 アルテイシアさんはフェミニズムをそれなりに学んでいるから良いが、不勉強な読者は概念でラベリングされた言説に触れると、惑わされて自分の体験と正しく結びつけられないことを心配したのではないか。

③アルテイシアさんの経験を形容するのに、より適切な言葉があると考えた

 件の概念的な用語では政治的なメッセージ性をはらんだ印象を与えてしまい大仰に感じられる一方で、形容するより適切で一般的な用語に心当たりがあったのではないか。

④言葉が氾濫しているため、たとえ素晴らしい記事でも食傷した

 朝日新聞でこれらの言葉が使われ過ぎていると感じており、たとえ個々の記事が素晴らしくとも量が過多だと感じたのではないか。

⑤アルテイシアさんの怒りがミサンドリーとして波及することを恐れた

 インタビューに答えるアルテイシアさんの口ぶりは決して好戦的なものではないが、底流や記事タイトルには、社会や悪質な男性性に対する怒りがある。怒りが社会を動かすことより、エクスクルーシブに男女間の憎悪が増幅することを懸念し、鎮めようとしたのではないか。


 どうにもしっくりこない。上記の全てに反論が浮かんでしまう。1週間で240を超えるハートマークが付いていることを踏まえると、富永先生のコメントに共感した読者も少なからずいたのだろうけれど。

私が白眉と思ったアルテイシアさんの言葉

 富永先生の想うところに私の理解がなかなか及ばないのは、「自身の体験を(中略)他者の経験と交わらせていく方途」なる求められている素養を、私が身につけていないためだろうか。なお、方途という言葉が初見だったのでググったところ、字義の通り「進むべき道。物事を実現・解決するための方法。」だそうな。
 あるいは、アルテイシアさんから受け取った主要なメッセージが、富永先生と私では異なるのかもしれない。仮に「方途」が近しくとも、自身の体験が異なると、同じ他者の経験談に触れても、交絡の在り方は異なってくることだろう。私がこのインタビューで白眉と思ったのは、聴き手の記者もこの記事のリード部分に用いている、下記のくだりである。

 子どもは愛されて育つ権利があるんです。親には子どもを養育する責任があるけれど、子どもは親の人生に責任をもつ必要はない。そういうふうに考えられるようになったのは、フェミニズムを学んだから。人生、ラクに元気に生きていけるようになりました。

上掲記事


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