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ユヴァル・ノア・ハラリ著『ホモ・デウス』〜予言者になりたい著者

ベストセラーとなった『サピエンス全史』の続編です。

原著の副題は「A Brief History of Tomorrow」。前著『サピエンス全史』のそれは「A Brief History of Humankind」だったので、過去を語った次は未来、ということです。
この本もよく売れたらしく、内容の説明はあちこちに紹介が出ているので、ここでは必要最小限にします。

個人的には、この本にはいくつか大きな問題があると思います。
ただし、非常にもっともらしく書いてある分、その問題がわかりにくいです。

それを書こうと思っていたのですが、書評をいくつか見ていたところ、池田純一氏の書評で既にかなり指摘があり(しかも邦訳される前)、すごい人がいるなと思ってしまいました。

したがって、池田氏の批評であまり言及がない部分に絞って書くことにします。

著者の予測は大まかにいえば、人間は将来、人間個人の価値をアルゴリズムとデータへ引き渡すことになる、というものです。そしてその予測の前提になっているのが、生物は単なるアルゴリズムであるという主張です。

確かに、人間の身体のうち、心や意識以外の部分は、まだ解明できていない部分も含めて生物的な機械といえるであろうということは、納得できます。
でも、私自身が知っている範囲では、心や意識がアルゴリズムであることを証明するような科学的事実はないし、それが示唆される段階にさえないのでは、と思います。

わかっていることは、人間の意識活動のうち、計算や将棋のように、データ処理として扱える部分は、アルゴリズムが同様に(しかもはるかに効率よく)機能しうる、ということです。

著者はその点、人間の選択は欲求に基づいており、欲求は生化学的な反応でしかないから、人間に自由意志などない、といいます。
そして、「欲求→行動」の集合である意識はアルゴリズムである、と言いたいようです。

しかし、欲求に基づく選択は真の自由ではなく、単に欲求に隷属するにすぎないことは、18世紀にすでにカントも指摘しているところです。
カントが真の自由とみなすもの(理性に基づく選択)は、要するに倫理的な判断ということですが、こうした倫理的な判断もアルゴリズム的でありうるのかどうかは、少なくとも現時点では全くわかっていないと思います。

まず、原理的にアルゴリズム自体は倫理を生じないですし(データ自体は価値判断を含まないから)、仮に何らかの基準を導入して倫理的判断を行わせるにしろ、例えば「1人の人間を殺せば5人が助かる状況で、その1人を殺すべきか」といった、倫理の衝突が起きる場面で、具体的にどんなアルゴリズムが問題を解決できるのか、おそらくどんなコンピュータ技術者も見当すらつかない状況だと思います。

そんな問題は極端だと言われるかもしれませんが、人間が直面する本当の困難は、多かれ少なかれこうした価値の衝突を生じる場面です。
アルゴリズムがそれをどう扱えるのか全くわからない現状を無視して著者のような予測をするのは、あまりに乱暴です。

哲学書でも技術書でもない本書に対してそんなうるさいことを言うのは野暮なのかもしれません。
しかし、人間はアルゴリズムであるという前提のもとにSF的といってよいほど遠大(過激)な主張をするのが本書なのですから、その前提の検討をきちんとしないのなら、本書はただのディストピア小説でしかないと思います。

しかし、著者ほどの博識なら、そうした問題を認識していないはずがありません。

本書の大きなもうひとつの問題はまさにこの点で、著者は上記のような問題を認識しながら、その議論を故意に回避して、読者の不安を過度にあおっていると思えてなりません。
その証拠にというわけではないですが、500ページも書いておきながら、最後の第11章で著者はかなり唐突に

「本書で概説した筋書きはみな、予言ではなく可能性として捉えるべきだ。こうした可能性のなかに気に入らないものがあるなら、その可能性を実現させないように、ぜひ従来とは違う形で考えて行動してほしい」

(本書第11章「データ教」)

と書きます。さらに、本当に最後の最後で、

「生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか?そして、生命は本当にデータ処理にすぎないのか?」

との疑問で結んでいます。
著者は、「生物=アルゴリズム」の前提が疑わしいことをきちんと認識しているのです。

「生物=アルゴリズム」を大前提にここまで議論しておきながら、自分でその前提に疑問を呈して終わる(しかも、検討の材料を全く提供しない)という、相当無責任なまとめ方なのです。

結局、著者はこの本で何を言いたかったのでしょうか?
思うのですが、著者は、人間とその社会の歴史は、結局はデータ処理のシステムの発展の歴史である、という壮大な(感じのする)ビジョンを描きたかったのではないか、と感じました。
それはそれでよいのですが、私としては、それは作家の仕事であって学者の仕事ではないと思いました。

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