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穂高隆児個展『道楽口重』 / 作家インタビュー

白白庵では三回目の個展開催となる穂高隆児。
料理人から陶芸家への転身、そして現在の最新モードに至るまでのお話を伺いました。どうぞお楽しみください。


ーそれではまずは陶芸家になる以前のお話からお伺いします。

板前としては18歳から、高校を卒業してから専門学校などは行かずに直接会社に入って、震災の年の2月までの16年ですね。
その間に在スペイン日本大使館に行ったり、少し休んだりなどありましたけれども、34歳までは料理の世界にいました。

ー在スペイン日本大使館はいつ頃行かれていたんですか?

26歳の年に行って28で帰ってきました。その時の肩書きは「在スペイン日本大使公邸料理人」。
通常、大使付の料理人は大使が選びます。大使の行きつけの店とかにお誘いがあって、同意があれば決まりなんです。僕の前の料理人さんは、通常三年くらいの任期のところを、ご家族に色々あって一年目で帰ってしまったんです。大使の残り任期も長く、その間に皇太子殿下がいらっしゃることも決まっており、当時の外務大臣や首相の来訪予定も決まっていました。それで代理の料理人が必要になり、ご縁あって働いていた会社に問い合わせがあったんです。

そこで当時店のメインだった四〜五人が集められて「誰かスペインに行きたいやつはいるか?」「すいません、スペインって海外に行くってことですか?」「他にどこがあるんだ」みたいなやり取りがあり笑
その後こっそり、当時は二番手みたいな仕事をしていた自分が呼ばれて「本当はお前に行ってほしい」と言われました。一通りのことができなきゃいけないし、人を使うこともあるだろうから、と。それはもう「行け」ってことなんですけど笑
そして次の日「行きます」と返事をして二週間後に出発。海外も行ったこともなかったんですけどね。

ー当時の皇太子殿下ということは・・・

今の天皇陛下ですね。スペインの皇太子様がご結婚なさるときに皇太子殿下が来賓でいらっしゃって、到着日の夜と次の日のお食事を作らせて頂きました。他にも外交業務でのパーティで作ったあれこれとか色んな思い出もあります。板前時代に関してはまだまだ面白い話もたくさんあって、話始めると長くなるんですけども。


穂高隆児『墨流薄氷茶盌』

ーこのままだと本題に辿り着けないですね笑 そのお話は別の機会に。
その華々しい料理人としてのキャリアの中、陶芸家になろうと志したきっかけは?

料理人はだいたい30歳くらいになると一旦その先のキャリアを考えるんですね。一通りのポジションをやったあと、そのまま同じ店で働いて料理長を目指すのか、独立を目指すか、そのためにもっと大きいホテルや名のあるところで働こうか、とか。
自分の場合はスペインから帰ってきて少しの間、有名店とか知人の立ち上げた店で働いてみたりして自分の至らなさに気づき、もう一度元の店に戻るんです。その後本店の副料理長を経て、支店の料理長を任せてもらいました。数字での結果もある程度出した頃に、「さあどうする?」と。
実家が料理屋というわけでもないので継ぐお店もないし、自己資金でお店を始めるほど蓄えもないし、誰もが知る超有名店ではないから肩書きで食えるわけもない。

料理人として仕事をする中で当然器にも興味があって、陶器市や器屋さんにずっと通っていたんです。
ある時、茨城で陶芸教室をやってる知り合いが「来たいときにくる形でいいよ」って言ってくれたので、自分で使える器を作ろうと一年くらい通っていたんです。
その時点では陶芸家になろうとも思っていないし、なり方もわからなかったんですけど。
陶芸教室に何回か通ってると出来上がってくるものとイメージするものの違いに愕然とするんですね。やっぱり良いものを見て実際に使ったり、欲しいと思って買ったりしてるので、陶芸教室で出来てくるものを見ると「このペースじゃ何百年かかっても自分の使いたい器なんてできないよ」と肩を落としていました。


穂高隆児『三彩織部菱形皿』

そうすると今度は、茨城県には窯業指導所という県の施設があって「後継者育成事業」の枠組なら費用はタダで衣食住だけ自分でなんとかすれば良い、ということを知ったんです。
そういうことが可能なら、「一旦本気で陶芸をやってみて、自分の使いたいような器を作れるようになったら、自分の器で自分の料理を出すお店もできるようになる」と思い至ったんです。自分の将来を考えて、それでやろうと思ったのが一番最初です。

ーそこでお店を退職されて、窯業指導所に入所されるんですね。

本当は最初の二年間で基礎コースとして、同じ規格の器を作る練習をひたすらやる予定だったんですけど、一年やった時点で「このままのんびりやっていたら時間が足りない」と思ったんです。
「後継者育成事業」だから窯元で即戦力になる人物を育てるためのものですけど、自分はそういうものを作りたいわけでもない。基本的な技術がいらない訳では無いんだけれども、その時点で35歳、最短距離で飯を食えるようにならないといけないですから。
同期も他は20代、一番若い子で18歳とかでしたので焦りもあったんです。

それで担当職員に「あと一年は自由にやらせてほしい」と直訴したんです。
すると「じゃあ試験をして、それに合格したら二年目は自分でプログラムを組んでやる形にしましょう」と言ってくださったんです。
結果、二年目は好きに色々やらせてもらって、自分がやりたい釉薬とか土とかを手当たり次第テストしていました。その一年間である程度、本当に基礎中の基礎中の基礎を自分で試しながら学びました。
そして卒業してすぐに独立。場所を古い空家に決めて、そこの納屋に窯を置き、4月に卒業して5月の陶器市に出しました。


穂高隆児『黒梅花皮茶入』

ー独立してすぐに陶器市。その後のギャラリーなどでの展覧会参加も早かったですよね。

友人たちや経歴のおかげです。笠間は狭いので窯業指導所に入る前から「どうやら料理人が来るらしいぞ」と噂になっていたみたいですね。会う人みんなから「あんたが例の」と言われる状況でした笑
そんなこんなで笠間や水戸のギャラリーさんともすぐ知り合うことができたんです。卒業と同時に水戸のギャラリーさんに挨拶で伺ったら「一年半後に個展をやろう」とお声がけを頂いて、初個展が決まったんです。ご縁に恵まれたのもあって、途切れなくグループ展や企画展にも参加させていただきました。
その初個展の二ヶ月後には下北沢のギャラリーでも個展を開催、その頃に白白庵とのご縁も始まりました。


穂高隆児『墨流薄氷桃茶盌』

ー「一日一盌」もその頃から続けられているんですよね。

独立して陶器市に出るようになると、日中でクタクタになってしまい家に帰っても仕事ができないんですね。でも手捻りで茶盌くらいなら作れたんです。
ある日その話を友達にしたら「穂高さん、『千日回峰行』って知ってますか?」と訊かれたんです。
お坊さんが阿闍梨さんになるための修行で、千日間一日も休まずフルマラソンくらいの山を千日上る、その間一言も喋っちゃ行けない。白装束で首から縄をかけて、途中で途切れたらその縄で自決する覚悟でやる修行ですね。それに倣って茶盌作りを千日続けませんか、と発破をかけられまして。
さすがに命懸けの千日はヘビーすぎるから百日でやる、と約束したのがきっかけです。百日目が近づいて来ると、インスタで見ていた方々から「やめちゃうんですか?」とたくさんコメントを頂いて、やめ時が分からなくなったまま今も続いてます笑
一昨年はイギリスに行ったりして、物理的に無理な状況も発生したので、そこから少し緩和して必ずしも毎日ではなくなったんですけども。

陶芸家の場合、個展の前に今日はお皿、明日は湯呑、とスケジュールを立てて作るのが普通です。そうすると「今日は茶盌を作ります」という日ができる。五点必要だから十個くらい作って良いの選んで、となりますね。でも同じ日に作った十個はどこか似ちゃうんですよ。それが嫌なんです。一日に一個しか作らない。その日が良かろうと悪かろうと、次の日はこれより良いものを作る。毎日そうやっていけばきっと良いものになっていくんです。
むしろ一個しか作らないというのが本題で、それによって本当の一点ものができるという考えです。
今日作ったものが良ければ次の日それに近いものを作っても良いし、本当に良くなかったら焼かずに土に戻すこともあります。

ーちょうど千盌のタイミングで白白庵での初個展でしたね。

そんなことをやらせてもらえるだなんて本当に嬉しい企画でした。茶陶専門でもない作家の茶盌ばかりを揃えて売れるかどうかもわからないのに・・・

ーその三年後、コロナ禍での二回目の個展では二千くらいでしたね。今回はほぼ三千。

途切れる期間がなければ三千を超えてたはずなんですけどね笑


穂高隆児『窯変塩釉織部ぐい呑』『塩釉片口』

ーここからは作品の話をお伺いします。土は笠間の土メインですか?

笠間の土は鉄分が多くて白い土が取れないんですね。懐石料理をやってきたので、コースの器を自分は作りたいんですが、例えば「織部を極める」みたいなやり方だと全部緑になってしまう。ですので使いたい器のイメージや、自分の仕事のラインナップで足りてない部分を埋めるように、必要に応じて原料も使い分けています。
今回の出展作品も六種類くらいか、あるいはもっと使っています。まずは作りたいイメージありきですね。そこから土と釉薬をどんどん組み合わせていきます。

ー器の形などを見ていても他の陶芸作家とはアプローチのルートが違う印象があります。

それはたぶん料理人時代の親方の影響が強いですね。例えば料理で「剥きもの」という仕事があります。かぼちゃを木の葉の形にしたり、蕪を菊の形に剥く。そういう仕事の時に親方が「かぼちゃを木の葉に剥くのでも、ちょっと先を曲げて見たりとか、大きさと量は変えずに全部違う形に剥け」と言うんです。葉っぱの形も葉脈の入り方も色合いも全部違う、それが自然です。
完全に同じものにするなら機械がやった方が良い。自分たちがわざわざ手仕事をする理由はそこにある、という教育方針の方でした。それが今でも根底にあります。器も並べて使ったら同じに見えるように作りますけれど、例えば釉薬の流れや形にどこか変化が感じられるようにしています。蓮の葉皿であればたわみ方や葉脈の入り方が変わるとかですね。
数ものだけど一点ものという感覚でもあります。


穂高隆児『織部蓮の葉皿』各種

ー料理を盛り付けた時にイメージはやはり強く持たれていますか?ちょっとした器の傾き加減とか表情の付け方にも料理への気遣いを感じます。

その辺は言ってもらって気づくことも多いですね。きっとそれは料理人としての経験の中で染みついたものなのかな、と思います。そこまで考えてやってないことも多いです。理屈ではないけれども、作るときに「こんな器を使いたいな」とイメージしながら形にしています。
特に板前のお客様に「これください」と言われて、ちょっとお話してから経歴をお伝えすると「だからなんですね」と納得されることも多いです。
本当にあまり意識的ではないんですね。こういう器であってほしいというイメージはありますけど、十年以上陶芸を続けてもまだまだその通りに作るのは難しいです。

最近は減りましたけど、友達の個展に行ったりして、陶芸家っぽい焼き物を目にすると頭の中がそっちに傾いてしまうこともあります。そのタイミングで作った器はやりすぎになることが多いです。「この線要らなかったな」とか「色が多すぎたな」とか。
自分にとってはですけど、陶芸家モードが盛り上がるとやりすぎになりがちと言いますか、もう少し抜いた方が盛り付けるのによかったんじゃないかと思うこともあります。


穂高隆児『塩釉織部重箱』

ー窯はどのようなタイプをお使いですか?

基本的には灯油窯です。今回は出展していませんが、低火度焼成用の炭の窯もあります。
塩釉は益子にある共用の薪窯を借りて年に二、三回焚いています。

ー今回は塩釉の作品が充実していますね。

年に二、三回しか焚けないから毎回テストみたいな感じなんです。
最初は友達に誘われて、少しだけ一緒に入れてもらったら全然良くなくて。そもそもあの青っぽい塩釉の色味が料理に合わないと思っていたんですね。その次からはある程度数をまとめて入れてもらって、窯を焚くところから一緒にやるようになりました。
笠間の土を入れてみたり、釉薬を変えてみたり色々試して、何回目かで練り込みの磁器で良いのが取れたんです。まずはそのシリーズを塩釉でやるようになり、同時に新しい何かも探り続けています。その中で、窯の位置によっては緑が出ることも分かり、前の窯では白白庵に向けて重箱とか大きめのものを入れてみたんです。それが良い焼き上がりになったのでとっておきました。
今回のは初出しの作品も多いです。去年のうちにぐい呑で色々試した後に、この個展用の作品を狙って焚いてきました。

器のメインは灯油窯ですけども、薪窯を使うと違った気分になれるというか。何年もやっていても新しい発見もあります。


穂高隆児『透光茶盌朧』

ー透光のシリーズも目を惹きます。

白が気になっていたんです。焼き物だと、粉引にしろ白磁にしろ本当に白ではない。若干クリーム色だったりするので、真っ白い器が作りたいと思っていたんです。
色々試して、透光磁器を試行錯誤しながら白い釉薬で仕上げてみたら何か物足りない。試しに炭化で焼いてみたら雰囲気が良くて「朧」というシリーズができました。去年の暮れくらいでしたね。

その時その時で色にこだわって制作してます。赤に凝った時には懐石に合う赤を探ると結局は漆器の赤に近づいていくんです。今回だと水指にその赤を使っています。



穂高隆児『朝焼水指』



穂高隆児『窯変塩釉織部茶盌』

ー茶盌のバリエーションも豊かです。特に『窯変塩釉織部茶盌』が気になります。

ぐい呑は他でも発表したことはありますが、茶盌を出すのは初めてです。塩窯で織部というのも他ではないと思います。

ー花器についてお伺いします。この数年お花も習われてますね。

茶道具は決まりがしっかりしていて、茶碗だったら両手で持てる寸法で、実用的な範囲はある程度決まってます。あえて外すこともありますけど枠組みは決まっている。

けれども花器の場合、一輪挿しから巨大な壺まで全部花器ですね。見立てで花器になる場合もあります。そうなると何が花器で、どうしたらいけばなに使えるのかが全くわからなくて・・・
ある時、とある先生とお仕事で一緒になり、陶芸家として花器について学ぶために習いたいんですけど、とお伺いしたらご了承頂き習い始めました。
とても奥深くて、全く知らない頃に比べて少しは大事なところが見えてきた感じもあります。


穂高隆児『塩釉三彩瑠璃珠花入』

ー最後にタイトル『道楽口重』ですがいかなる心構えでしょうか?

ドラクエ世代ですし、両手をあげてありがとうございますという感じですね。
料理人になってからはゲームをやる時間もなかったんですけども、近年は「ドラクエウォーク」で生活リズムを整えるどころか、支配されてますね。

ー多趣味ですよね。まさに道楽を重ねてらっしゃる。

釣りもやるし最近では植物も育ててます。

ー料理人で、陶芸家で、お茶道具を作ってお花もやって植物を育て釣りにドラクエ・・・

持論なんですけどDMってまず印象に残って手に取っていただくことが大事ですよね。その意味で今回も記憶に残ります。写真とタイトルからイメージが拡がっていろんな切り口で作品を楽しんでもらえたら嬉しいですね。
いろんな作品シリーズがあって並べるのも大変だと思いますけど、白白庵が自分の作品をどう評価して見せてくれるのかも楽しみにしています。
ともすれば、「元料理人の陶芸家」と一面的に語られがちではありますけど、そうやって自分でも知らない作品の姿が見えて、今までの自分の作品を知っているお客様にも、初めての方にも楽しんでもらえればと思います。


~ バイタル・エネルギーが復活しました。 ~
白白庵 企画 陶芸・穂高 隆児 展

『道楽口重』

会期:5月25日(土)~6月2日(日)
*木曜定休
時間:午前11時~午後7時
会場:白白庵、オンラインショップ内特設ページ


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