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何もしない時間が大好きだ☺️

何もしない時間。これが私にとってどれだけ大切なことか。何もしないことがこんなにも私の心を支えてくれていたのかと感じた。

時間は有意義に使わなければ、常に何かを生み出していなければ、効率的で無駄のない時間の使い方をしなければ、有益なものを生み出さなくては、何かの役に立つ時間の過ごし方をしなくては・・・。

ずっと何かに急かされるように生きてきたけれど、本当の私は何もしないことが好きだった。けれどそれは社会や他人からみたら何も生み出していない時間で、無駄な時間だと思われるんじゃないか。そう思って言えなかった。

言えないだけじゃなくて、そもそも何もしないなんて無駄な時間だ、常に自分を磨き続けること、何かを生み出すこと、自分を追い込むことが好きなんだと自分で自分を洗脳した。本当の私の声が埋もれて聞こえなくなるくらいに。あたかも始めから私はそんな生産的な人間であることを目指しているんだと思っていたかのように。

でも今思うのは、何もしない時間が大好きだということ。何もしない=無駄な時間。そう思い込んでいて、何もしない時間が好きだという自分の声を抑えこんでいたけれど、私にとって何もしない時間は私を取り戻す、私が私でいられる大切な時間だった。

何かを生み出していなければ価値がないという世界で生きていると、何もしないということにとてつもなく罪悪感を感じるのは当たり前なのかもしれない。自分だけが社会から外れているような、役立たずの烙印を押されているような。

でも、役に立つとはいったい誰にとってだろう?きっと社会で言われている役に立つとは人間にとってではないか。人間にとって役に立つこと。それは経済を豊かにしたり、高度な技術を開発したり、今よりもっと楽しい娯楽を提供することかもしれない。でもそれってとてつもなく狭い。人間のことだけしか考えていないように感じる。

そんな狭い枠の中で考えると確かに何もしないということは何の役にも立たない無駄な時間と捉えられるかもしれない。でも、もっと大きな視点でみてみたら、また違う景色が見えるかもしれない。

ある一つの観点から見たら価値のないことと思われるようなことでも、視点を変えてみると、全くそんなことはなくて、とてつもなく豊かなことだと捉えられるかもしれない。

だから私は何もしない時間が大好きだ。私にとってとても大切な時間。自分を取り戻す時間。私が私でいられる時間。

私がこう感じていることが私にとっての正解で。誰かや何かに無駄だと言われたとしても、私はそれがとてつもなく価値のある時間だということを知っている。それで十分なんじゃないかと思っている。

これからも自分との時間を大切に生きていたい😌

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