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メンヘラの脊髄反射と青い薔薇の花言葉についてのよしなしごと。

家に届いた郵便物の「こわれもの」という赤い注意書きを見て「私の心みたいだな」と思ってしまった。

私は昔から心が雨模様の日が多い。
イギリスかよってぐらい、いつも心がどんよりしている。

小学生の頃から雨に散る桜を見ては「心象風景かな」とか思っていたし、
涙を透かして見る曇り空ほど自分らしい風景はないなと思っていた。
元々あまり心が強くなかったからか、昔からそういう如何にも「文化系メンヘラ」みたいなエピソードが多い。

でもいつの間にかちょっとだけ強くなってしまって、正直、もう堂々と「メンヘラ」と言って良いほど心も弱くないし、他人にも依存しない。たぶん「メンヘラ」と俗に言われる症状は大体治ってしまっている。

でも最近、自分はメンヘラ歴が長すぎて脊髄反射がメンヘラになってしまったんだなと思う。

壁にあいた画鋲の穴を見て、壁に対する愛が足りなかったかもなとか思うし、
刺が抜かれた薔薇を見ては「君の出る杭も打たれてしまったんだね」とかどうでもいいことを考える。

でもそんな意味不明なことを考えながら、ふと薔薇の花言葉を調べたら、
青い薔薇の花言葉が「不可能」から「夢かなう」に変わっていたということを知った。

元々、薔薇には青の色素がないから青い薔薇を育てることは不可能だと思われていたから花言葉も「不可能」だったとのこと。

でも、何度も何度も実験が繰り返され、パンジーの青の遺伝子を入れて、1996年にやっと青い薔薇が育ったらしい。
そして改良が重ねられて、真っ青な薔薇が一般広報されたのは2004年。
とてつもなく長い年月がそこに注ぎ込まれていた。

花言葉が「不可能」から「夢かなう」に変わるなんてそれだけでもとてつもなくロマンチックなんだけど、
そこに注がれた時間や想いを考えたら、もうドラマだし詩だし小説だし映画だし音楽だし心の高鳴りが止まらなかった。

そしてどうでもいいけど、私は今はきっと自分は「1996年と2004年の間の青い薔薇」と同じだと思えば良いのかもしれないなと思った。

もう色々と「不可能」じゃないことはわかっているけどそれを「夢かなう」に書き換えるのはもう少し先で、
まだメンヘラも脊髄反射に残っていて完治はしていないけど、きっといつかは心が晴れる日も増える。
そう信じて前を向けばいつかは自分の「不可能」が「夢かなう」になる瞬間があるのかもしれない。

でもきっとこれは私のメンヘラだけじゃなくて何でもそうで、「不可能」が「夢かなう」に変わる瞬間しかヘッドラインにはならないことが多いけど、何事にも「1996年と2004年の間の青い薔薇」みたいな期間は存在しているはずで、
きっとその間の事象や自分を受け入れてあげることも大切なんだなと当たり前のことに今更気が付いた。

なんだか珍しく少し明るいことを書いたらどう締めたら良いのかもわからなくなってしまったけど、
薔薇に青の遺伝子を分けてあげたパンジーの花言葉は「私を思って」らしい。

脊髄反射がメンヘラな私は結局それも好きでした。


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