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世界の変え方がわからなかったから、AIESECという学生団体の新歓広告を四年間作り続けました。

今日、大学一年目から六年目まで続けてきたAIESECというNPO法人、そして学生団体を卒業します。

自分自身や同期の卒業、そして来る新入生の入会や後輩の活躍に寄せて、
私が世界を変えようとして、できなくて、四年間新歓広告を作り続けたというとても長い話を書きます。

AIESECのメンバーではない人にとってはあまり面白くないかもしれないし、
AIESECのメンバーにとってもそこまで面白くないかもしれないのですが、
もしよかったら私が毎年大好きな仲間たちと作ったAIESECの新歓広告だけでも見ていってください。

AIESECは、世界100以上の国と地域​に​支部を持っていて​、​40,000人ぐらいのメンバーが活動している、世界最大級の学生団体です。海外インターンシップとかオンライン国際交流イベントの運営をしていて、「平和で人々の可能性が最大限発揮された社会」というビジョンの実現を目指しています。

私はインターナショナルスクールに通っていた小学生の頃から、なんとなく「世界平和」というものが好きで好きで仕方がないタイプの人間でした。

小学校の頃は頭がよかったし、英語もできて、中学受験も親が面倒を見てくれていたので成功して、12歳ぐらいまでは、自分は「世界平和」の担い手になると信じて疑っていない、そんな生きるお花畑のような人間でした。

でも、小学校の頃から心が落ち込み気味だったこともあり、中高時代に頭の中のお花は尽く枯れてしまって、努力というものが全くできなくなり、周りの同世代が目指す大学やキャリアにもなんとなくハマらずに、世界を良くするどころか、学校に行くことさえ嫌になっていました。

英語や音楽が大好きで、英語や音楽に世界を変える力が宿っていることには何の疑いもないけど、
じゃあ自分が英語や音楽を使って何かできるのかと言われても、翻訳や通訳ができる程度であとは何もわからない、そんな状態で大学に入学しました。

そしてひょんなことからAIESECの新歓に参加して、素敵な先輩に出会って、ここならもしかしたら自分の世界の変え方がわかるかもしれないと思って、2015年にアイセック慶應義塾大学委員会に入会しました。

大学一年目の夏休みにはAIESECの天津支部で現地のメンバーと一緒に活動したり、四年目と五年目には夏休み中に日本で二度の国際会議を開いてAIESECの海外支部から数十人のメンバーに参加してもらったり、私自身も世界中のAIESEC支部から代表者たちが集まるエジプトの国際会議に参加したり、オマーンの人とかいる(オマーン!)グローバルなマーケティングチームで活動したりして、世界中に仲間ができました。

そして私自身、AIESECの主幹事業である海外インターンシップの運営にも何度も携わらせていただく中で、海外インターンシップで世界や自分の見方が変わって、帰国後に活躍しているインターン生を何人も見てきました。そしてそんな海外インターンシップを運営しているAIESECメンバーにも勿論素敵な人が沢山いて、卒業後も輝いている人たちばかりです。素敵なサービスを自分で立ち上げている人もいれば、YouTuberとしてファンに愛されている人もいれば、ビジネスマンとして活躍している人もいれば、研究に励んでいる人もいます。

でも、私は、最後まで自分なりの世界の変え方とやらがわかりませんでした。

そもそも私は、中高もなんとなく馴染めなくてトイレでお昼ごはんを食べていたような人間だし(別にいじめられていたわけでもなんでもなく、教室にいるのが嫌で自主的にトイレでごはんを食べていました)、
大学の必修の単位が取れなくて留年したり、あまりに頭も心も弱くて仕事の締切を逃してしまったことも幾度もあるし、申し訳ないじゃ済まされないぐらい周りの人に迷惑をかけてきたようなしょうもない人間です。

中高時代の知り合いがすごい社会人になっていくのを横目に、私は何もできなくてひとりでぽろぽろ泣いているし、何もかも嫌になってチョコパイを食べながら東海オンエアを見ているんです。

そんな私に、世界を変えるなんて、どう考えても難しいんです。

でも、今の世界はどう考えてもこのままじゃ駄目で、変わらないなんて信じたくもなくて。

ミャンマーや香港の友達はみんな心配だし、
バイセクシュアルだって言った時に向けられる怪訝そうな目も大嫌いだし、
自分に似た人たちが「アジア人だから」という理由だけで命を奪われたり傷つけられているのも本当に怖いし、
コロナウイルスのせいでバンドサークルの後輩たちが引退ライブをできないのも嫌だし。

そんな世界、絶対に絶対に嫌で。

でも、何ひとつ解決できなくて。
自分の周りで起きている小さな衝突でさえどう解決したら良いのかなんて何もわからなくて、周りに頼ってばかりで。

でも、やっぱり諦めたくなくて。
世界は良くなると信じたくて。

私に変えられないなら「変えられるかもしれない人」を増やすしかないと、
誰かに願いを託すようにここ三年間は毎年AIESECの新歓広告を作っていました。
世界を変えたいのに他力本願でゴメンナサイ。

私は言葉を綴ることと、誰かの目をちょっとだけひくデザインをすることぐらいことしかできないけど、それで世界がちょっとでも良くなるかもしれないなら、
と信じて、というかそう信じないとやりきれなくて、毎年、国内25委員会の新歓のために数種類の広告を作り続けてきました。

AIESECの新歓広告を初めて作ったのは2018年で、こんなちょっとふざけた広告を作ったり、ふざけすぎると後輩に怒られるかもしれないと思って日和った広告を作ったりしていました。

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この時は、とにかく沢山の人にAIESECを知ってほしくて、必死でした。
文字組みとかも意味わからなくて、自分が考えたアイディアが良いアイディアなのかもわからなくて、広報チームの同期を突然新宿のサイゼリヤに召集して色々泣きついていたことを昨日のように覚えています。

2019年はこんな感じ。これと、2018年に作ったものを併用していました。
なんかまだふざけてますね。

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2020年はこんな感じ。
大真面目に伝えたいことをそのまま書いたけど、新型コロナウイルスの流行と新歓広告を使うはずだった時期が被って、その時期は世界を変えるのは私たちネクジェネだなんて口が裂けても言えない時期だったので(実際頑張ってくれているのはエッセンシャルワーカーの皆さんだったので)、あまり使いませんでした。なので文字組とかも結局ぐだぐだのまま流れてしまいました。

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2021年はこんな感じ。デザインのテイストもがらっと変えて、ここ四年間で一番たくさんの種類を用意しました。大好きな後輩のみんなと作りました。今年は後輩が大活躍していて、「エジソンだって、明るくできたかわからない。」や「画面に映る国と地域、100以上。」は私以外がアイディアを出してくれました。

きっと、変わる。自分も、世界も。
ピンチは、ピンチだと思う。
高く飛びたい
エジソン
100以上
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こんな感じで、本当に、私には世界の変え方がわからなかったから、AIESECという学生団体の新歓広告を作り続けました。

でも、ちょうど一年ぐらい前、私がアイセック・ジャパンの広報ブランド統括になった時に「私、新歓の時にもらったビラのあの言葉が大好きで、ずっと部屋に飾ってあるんです!」と言ってくれた後輩がひとりいました。

その後輩は、すごく頭が良くて、しっかりしていて、仕事もできる、私が尊敬している人です。

この人がAIESECに入ってくれて、ちょっとでも世界を良くしようと思ってくれているなら、
それだけで、新歓広告に毎年馬鹿みたいにこだわってよかったし、もしかしたら自分も少しは世界を良くできるのかもしれないと思って、ちょっと泣いたし、初めて世界に希望みたいなものを感じたことを覚えています。

ずっと他力本願を極めて作っていた新歓広告だけど、
こうやって希望が連鎖していくなら、私は希望の起点になりたいと思い直したし、今年は手を引いて後輩に任せようと思っていたのに、結局最後まで新歓広告を作ってしまいました。

そんなわけで、私が六年間でできたことや作れたものは、
AIESECにとっても世界にとってもあまりにも小さいけれど、
それでも作らせてもらえてよかったし、毎日インスピレーションになってくれた周りの人たちには感謝しています。

六年間、AIESECでお世話になった方々も、
AIESECではない場所でお世話になった方々も、
本当に本当にありがとうございました。

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