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深夜3時、渋谷のピザ屋さんで書く短歌と便秘と恋の話。

寝不足のせいか渋谷の変なところにパソコンを忘れて、取りにきたら終電を逃してしまったし、
どうせ朝には渋谷のkinko’sに用事があるので、繁華街のピザ屋さんで夜を明かすことにした。

やらないといけないことはたくさんあって - たとえば朝kinko’sにもっていくデータの作成とか - こんな文章を書いている暇なんて本当は無いのだけど、洋楽ヒットチャートが爆音で流れるこのピザ屋さんでは仕事が捗るわけでもなさそうだし、
なんだかざらっとした舌触りの抹茶ラテを飲みながら「この微妙な甘さと喉通りの悪さ、大人の片想いみたいだな」なんてくだらないことを考えていたら、突然短歌を思いついてしまった。

そんなわけで、昔のアメリカの映画で主人公が突然ダイナーのナプキンに殴り書きをするように、私はこの文章を書いている。

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二十歳になるまでの十年間ぐらいは、自分は恋が好きだしそれなりに得意だと思って生きていた。
でも、二年前のある夏の夜、自分は恋がすごく苦手なんだということに気付いた。

私は人生で一度だけ便秘になったことがある。

でも当時の彼氏と別れたらその便秘が治って、
その時、水道橋のあのトイレの中で、自分は実は恋がすごく苦手なのだということ、
そして恋をしているせいで、便秘になるほどストレスを感じているのだということに気がついた。

恋人の仕事が終わるまでずっとおとなしくしていないといけないような気がしてしまう恋にも、
浮気みたいなことをされても許さないといけない気がしてしまうような恋にも、
わかりもしない相手の気持ちをわかったような演技をしないといけないような恋にも、
全てに疲れ果てていることに突然気付いたし、私は今まで便秘になるような恋しかしてこなかったんだなとも思った。

それに、私は他人の言うことやることに対して「なんでそうしたの」とか「なんでそれ言ったの」とか考えすぎるし、しかもいちいち相手に聞くから、私なんかが恋をして誰かに興味を持とうものなら、
お互い疲れるのは当たり前だとも思ったし、私だけじゃなくて相手ももしかしたら便秘になっていたんじゃないかとさえ思った。

そんなめんどくさい人間だから片想いも苦手だし、
そもそも便秘になるような恋をしてしまいやすいのだ。

そんなことに気付いてからは、誰かに恋をするということ、
そしてそれ以上に誰かと恋をするということを警戒するようになって、
付き合うことを求められても、本気で恋をすることを求められても、
なんだか有耶無耶にして逃げてきたような気がする。

だって、もう便秘になるような恋は嫌だったから。

でも、そんな私が、誰かの笑顔をずっと見ていたいと思ってしまったし、
こんなくどくて甘ったるい短歌をまた書くようにようになってしまったのだ。

きっと、私はもうすぐまた恋をしてしまうのだと思う。
便秘になるような恋じゃありませんように。


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