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私は「幸せのパンケーキ」を食べてもきっと幸せになれない。

道玄坂のてっぺんに「幸せのパンケーキ」の渋谷店がある。

ここのパンケーキ、前から気になっている。

まず「幸せのパンケーキ」というお店の名前のメッセージ性がすごく強い。一回見たら、忘れられない。

僕と結婚したら幸せにしてあげるから結婚しないか、って聞いてくれる人みたいだ。
なんか胡散臭いし、きっと私の幸せは私自身が掴むものなんだけど、ちょっと嬉しいし気になる。

でも、幸せのパンケーキを食べても幸せになれない気がして、なかなか食べられない。

幸せのパンケーキを食べても幸せになれなかったら、どう幸せになったら良いのか本当にわからない気がして、
そんなくだらない不安に負けて、いつもなんとなく食べられない。

きっと、私はおいしいパンケーキを食べても幸せになれない。

幸せじゃないパンケーキ。

私は生きているだけでつらい。
自分も世界も問題だらけで、どうしたらいいのかわからない。
そして他人も世界もちっとも良くないできない自分なんて、愛される価値なんか無いに決まっている。

そんな後ろ向きな気持ちが全てパンケーキで忘れられるなら、私は何皿でもパンケーキを食べる。

でも、きっとそんなパンケーキは存在しない。

そんなことを思いながらも、そこまで後ろ向きな自分と一生付き合っていくのが面倒な気もしてきて、最近、「幸せのパンケーキ」に気軽に入れるような人になりたいと思うようになった。


どうしたら「幸せのパンケーキ」を前向きに食べられるのかを考えるようになったし、そのためにしないといけないことにも、やっと気付くようになった。

ひとりで居酒屋でウイスキーを飲んで、ちょっと珍しい洋楽を聴いて、
他の人が映っている動画を編集して、他の人が書いた言葉を訳して、
他の人が言いたいことをみんなに伝えるための言葉を必死に考えて、
そんな自分も別に悪くはないけれど、きっと幸せではないんだということにも気付いた。

そもそも「幸せって、最高!」みたいな世の中の風潮もどうなの、とは思うんだけど、
一回ぐらいは「幸せって、最高!」と思ってみたい気もするし、
そう思った上で「でもファック幸せ」って言えた方がきっと潔く生きられる。

明日から、ちゃんと「幸せのパンケーキ」を前向きに食べられるような人になるために生きてみる。

でもきっと、とうぶんはひとりで「幸せのパンケーキ」の道の向かい側の餃子屋さんとお寿司屋さんに通う。

幸せじゃないパンケーキは膨らまない。

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