年の離れた兄と、不条理な現実
5つ年の離れた兄が居た。
子供の頃は良くいじめられていた。
何度も、何度も。
おもちゃなんて当然のように壊された。
家のルールで、「冷蔵庫に入れている私物には名前を書くこと」とあった。
何故ならば、誰のか分からずに食べてしまうからだ。
でも僕は名前を書かなかった。
何故ならば「しょう」と書いてしまうと、「コイツのなら食べていいや」と考えるクソ野郎が家族にいるからだ。
でも書かないなら書かないで当然文句が言えない。
だから最初から僕は冷蔵庫を使わなかった。
そもそも親に買ってもらったおやつはすぐに消費していた。
虐められていたのは僕が生意気だった事もあるかもしれない。
でも大半は、奴の気まぐれの餌食だ。
僕の友達が家に来た時は、その友達の目の前でずっと僕にプロレス技を掛けていた。
友達は退屈し、そもそも見ていられないから、そそくさと帰る。
そしたら兄も辞める。
だから僕は友達を家に呼ばなかった。
逆に兄の友達が家に来ることもある。
さすがに彼らにいじめられた事は無かったが、
「普段のこと」のように、
家の中ですれ違い様に僕の顔を壁に押し付ける。
「やめなよ、可哀想じゃん」
と言ってはくれるものの、
それまでだ。
まるで「スタンド・バイ・ミー」に出てくるいじめっことその取り巻きだ。
そんなある日、僕は誕生日に買ってもらったMDプレイヤーを壊された。
MDは宝物だった。
これをきっかけに、日ごろの理不尽さも込めて怒りが爆発した。
「不条理」が体の隅々に沸き起こる感覚。
体が興奮状態に陥り、泣きそうで、声が震え、手足がたぎるような。
僕は兄に殴りかかろうとする。
しかしいとも簡単に腕力で鎮められ、
頭を片手で掴まれ、顔に唾を吐きかけられた。
そして腹に一発殴りを入れられた。
横隔膜が痙攣し、呼吸困難に陥る。
その場で泣きながら倒れ込む。
自分が小さくなっていくのが客観的に分かる。
こんな時、怒りや悔しさは悪い意味で全て消える。
不条理であるにも関わらず、
謝罪の念、許して欲しい、
助けて欲しい、
全て自分が悪かった、という気持ちが沸き起こる。
映画の主人公のように「このクソ野郎」とムキになるようなセリフは出ない。
僕の記憶では「ごめんなさい」と小さく言った気がする。
そう発言した記憶こそ無いが、
その後に
「謝るくらいなら最初からするなよ」
と言われた記憶があるから、
やはり謝ったのだろう。
どこまでもムカつく奴だが、
怒りが発生するのはやはり痛み、苦しみが終わった後だ。
苦しみが引くまでは悶えるしかない。
人は圧倒的な暴力の前では、本当に無力だ。
それを知った中2の夏だった。
僕は兄を○したかった。
本当にいつか○してやろうと思ってた。
もしこのまま大人になったら、
僕は幸せにはなれない。
常に不条理な目に合い続ける。
そんな気がした。
それから2年後。
白血病で兄は死んだ。
僕の夢が別の形で叶った。
しかし何故だろうか。
悔しいが、悲しい。
悲しんでる自分が悔しい。
「PS2やるから、好きなだけ遊んでいいよ」
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