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宝物の4年間

体調不良により通学生の高校を17歳で中退した私は、10年近く経過して通信制の高校に編入した。

退学までの経緯はこちら「高校を辞めたとき」、通信制の高校に編入した詳しい話は「もう一度、高校生」をご覧いただけたら幸いです。

そして、世間一般で言うところのアラサーと言われる頃、私は通信制の高校を卒業した。

高校を卒業できたからと言って、何かを始めるという予定はない。
高校で学ぶことの楽しさを感じた私は、それなら大学に行きたいと思って、通信制大学への進学を決めた。

通信制の大学は特に試験を受ける必要がない。
高校を卒業さえしていれば、「入りたいです」と願書を提出することでたいていは入学できる。

とはいえスクーリング(面接指導)はあるので年に何度か大学に通う必要があるし、試験のたびに協力校である高校や大学などの施設に行くこともある(当時の話)。通信制の高校のときよりも負担が大きい。
果たして自分の体調を崩すことなくそれができるだろうか。
答えは「やってみないとわからない」だった。
悩んだ部分はあったものの、それよりも好奇心が勝った。
スクーリング期間中にどこかのホテルで宿泊することは避けられないだろうが、それでもなんとか行けそうで、社会福祉学部のある大学。
それが私の選ぶ基準だった。

そして私は某大学の通信教育課程、社会福祉学部に入学した。
(この記事で述べる通信制大学は、私が入学した4年制大学を卒業することを目的としたコースを指す)

学費はどうする?

学費について、なんとなく気になる人がおられるだろう。私も進学する上でそこは気になった。

学費は、通信制の高校のときよりもかなりかかる。
それでも通学生の大学よりははるかに安い。

父母は通信制の高校に続き大学の学費も出そうと言ってくれたが、一部を甘えてスクーリング費用などに関しては自力で払うことにした。
格好つけてと言われそうだけど、私は過去に高校を中退した身。本当に卒業できるかどうかわからないことに親にお金を出してもらうのは気が引けた。それに、スクーリングや試験のたびに送り迎えをしてもらう必要があって、結局迷惑をかけることになる。せめて学費に関しては可能な限り自分でなんとかしたかった。

とはいえ私は無職。
お金の出どころはそれまでもらっていたお年玉などのコツコツ貯金だった。
また、この頃私はありがたいことに障害基礎年金を受給していた。
今後も働けないであろう私。両親より長生きできるかは微妙だけど、入院すればたちまちお金が飛んでいくのはわかっているし、将来のためにお金があるに越したことはない。そう思ってこちらもせっせと貯金しており、だから、先ほどのコツコツ貯金が足りなくなったらこのお金を少しばかり使わせてもらおうと考えていた。

私は一度も海外旅行等に行ったことがなく、お金をたくさん使った経験がなかった。だから一度くらい、自分のためにお金を使うことを許そうと思った。自分自身に投資してみようと思った。コツコツ貯金、今こそ出番だ!って気分。

そして、大学には大学独自の返済不要の奨学金制度が設けられていて、私はこれも利用した。
年度ごとに申請して認められたら、一年間の学費の半額程度が免除されるというものだった。これは本当に助かった。

勉強するにはお金がいる。

大学の学費がどの程度かという相場を私は詳しく知らない。でも通信制大学は、一般的な大学より経済的な負担が少ないのは明らかだ。
目指す大学に向けて一所懸命に勉強して受験、合格を経て入学する方がやりがいや学びがいがあるのかもしれない。
それに通信制大学だと「通信制なんて大学にあらず」みたいな考えの人もいるから厄介だ(卒業すればもちろん大卒になるのだけれど、どうも最終学歴として認めてもらいにくい現状があるらしい)。
それでも…それでも、経済的な面を含めて、通信制大学がもっと広まれば良いのにと内心で思っている。

茨の道に突っ込んだ?

そんな私、実際に入学するまでは通信制大学を甘く見ていた。
通信制高校に通っていたのだから、通信制大学もそれほど変わらなくこなせるだろうと言う考えの甘さもあっただろう。

まず大学から届く資料の多さに辟易した。
自分で持つことができない段ボール箱が2つ。
それでもこの荷物に教科書は含まれていないのだ(今ならこういう資料はオンラインでpdfファイル等で見ることができるのかも?)。

気を取り直して中身を見て、まず「シラバス」と書かれた資料の前で固まった。
「シラバスって何ですか。何か素敵なお花の名前ですか?」から始まった。
シラバスが何という講義でどんな内容か、講義は何先生が担当するのかといった、自分がどの講義(科目)を受けるか決めるための資料だと気がつくのにしばらくかかった。
ところでシラバスってみんな知ってる言葉なの?
いまだにあれは説明が足りないぞ、あの段階で心が折れる人もいるんじゃないかという気持ちでいる。

私は正直、これはわざわざ大変なところに突っ込んで行ったのかもしれない、ちょっとしくじったかなと思った。

通信制大学は、入学は簡単にできるけど卒業できる人が少ないそうだ。
私が行った大学は8年間在籍できるものの、勉強を続けることができずに中退する人も多いのだとか。
その気持ちはわかる。

通信制大学は字のごとく通信制なので、基本的には一人でコツコツ勉強するしかない。

選択する科目によって細かな違いはあるものの、大雑把に説明すると私の行った通信制大学の単位取得のための勉強方法は以下の二つだ。

まずテキスト(教科書)を購入し、それを読み込んで設問に対するリポートを提出→リポートが合格すれば科目試験を受けに行く→試験が合格なら履修完了、という流れだ。(どうやら今は科目試験をオンラインで受けることができるらしい。時代!)

一方でスクーリングに出席しないことには単位取得できない科目がある。
こちらはこちらで、科目により受ける授業の数が違ったり、授業日数が何日間あるかといった違いもあり、よくよく確認しながら上手に申し込んで効率よく単位を取得していく必要がある。

けれどもスクーリングは他の人たちとの接触があり、それが良い刺激となるからそれはそれ。
難しいのはテキストを読んでリポートを提出して…の方だ。
これはもう、自分でひたすら地道に勉強するしか手段はない。
でもリポートの設問が難しい。
「〇〇について考察せよ」とか「△△について述べよ」とあり、ひたすら指定された枚数の原稿用紙に書く。

自分が興味のある教科であれば楽しいと思えなくもないけれど、それだってずっと一人でやっていると飽きる。どこを集中して勉強するのが良いのかよくわからなかったり、テキストを読めども読めども理解できない部分だってある。
なんだか突然自分の部屋を片付けたくなったり、友だちへ手紙を書きたくなるなどの「目の前にあるやらなきゃいけないこと知らんぷり衝動」がやってくることもしょっちゅうだ。

働きながら通信制大学に通う人も多いと聞くけれど、それはかなりの努力と体力が必要な、とてもすごいことだと感じている。

また、通信制大学に入学して
「世の中の(通学生の)大学生はこんなに勉強が大変なのにサークルやバイトを並行してできるってみんなすごい…。若いからできるの?」と感心した。
今は新型の影響で通学できない学生さんが多いらしいけれど、一人で黙々とテキストを読み込むのは大変だろうと想像している。オンライン授業があるとはいうものの、やはり早くキャンパスライフというものが戻ると良いのにと思う。

スクーリングは大変で楽しい

先ほども言ったように、私が入学した通信制大学は最大8年間在籍できる。
でも私は何が何でも4年間で卒業してようと決めていた。
在籍期間が長くなるほどお金がかかることもあるが、それよりなにより、8年もあったらその間に体調を崩して入院してしまうかもしれない。そこから立て直して勉強を続ける自信がなかった。

もう中退はしたくない。
振り返って考えると、その想いが原動力となっていたように思う。

私にとって最大に体力を消耗するのはスクーリングであった。
家で地道に勉強するのは大変だけれど、体力を使うという点においては、私の場合スクーリングの方が圧倒的に大変だった。
体調を崩してもある程度単位を取得していれば次の年が楽になる。
そう思って、スクーリング期間中はなるべく多くの科目を受講した。

そんなわけで、私はスクーリングのたびに大学の周辺の(と言ってもそこそこ遠い)ホテルに宿泊、ときには一週間近くホテルに連泊した。

最初の頃は要領を得ず、そして一泊二日といった短い期間であったから一人で宿泊はせずに家族や友人等に一緒に泊まってもらっていた。
でもそれは費用面で厳しく(同行してくれる人の宿泊代は当然のことながら私負担)、また「誰かがそばにいる」ことで妙に気を遣ってしまうなど私自身が休めないこともあり、そのうち私は一人でホテルに宿泊するようになった(初日のホテルまで送ってもらう、最終日の大学へ迎えに来てもらうのは父にお願いしていた)。

さてこうなってくると、どうやって大学まで通学するかという問題が発生する。

私はこの頃、今よりも歩けていた。
だからと言ってたくさん歩けば心臓に負担がかかることに変わりはなく、車いすで登下校しなければいけない。
電動車いすを使ってもおらず、自分で車いすを漕ぐことはできないので「押し手」となる人を確保する必要があった。

※車いすのハンドリム(車いすのタイヤの外側にあるリング)を漕ぐにはそれなりに腕力が必要となる。体を動かすことは酸素を使うことであり、自分で車いすを漕ぐと体力を消耗するので、私は車いすを漕ぐことはできない。

つまり必要な人材は

①ホテルから大学まで同行、その日の教室(講義室)まで車いすを押してくれる人。
その日の講義終了後教室から私を回収、大学からホテルまで同行、車いすを押してくれる人。また、その日の夕食(弁当)を買いに行くのにスーパーへ連れて行ってくれる人。

であった。
(トイレはたいてい教室の側にあったのでゆっくり歩いて行っていた)

そして私はその押し手を家族ではない、他の人にお願いしようと考えた。

ここで登場するのが通信制高校のスクーリングで手を貸してくれた友人知人、初めましての人含めて、出会ったボランティアさんたちだった。
(詳しくは「必死のパッチのスクーリング」をご覧ください。)

「通信制大学のスクーリングに行きたくて、つきましては…」と先ほどのお願いをしてみると、都合がつけば皆快く引き受けてくれた。
場合によっては「友だちの友だちがその地域でボランティア活動をしているので知らせてみるね」と言ってくれて、私の通う大学とは違う大学のボランティアサークルに在籍する現役大学生が来てくれることもあった(教育学部の人が多かったように思う)。そして更にその人の友だちを紹介してもらうこともあった。皆、とても親切だった。
①と②が同じ人である必要はないので、朝大学まで連れて行ってくれる人と、夕方ホテルに送ってくれる人が違うこともそこそこあった。

これは当時、携帯電話が使えてメールができていたから成せた技でもある。

初めましての人でも事前にメールのやり取りをしていればスムーズだし、うまく出会えなくても電話をすればわかる話だ。
携帯電話の普及は私の世界を広くしたと感じている。

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スクーリング期間中、私は朝から夕方までずっと大学内にいた。

昼食はいつも前日にパンを買っておいて、それを講義室で食べた(講義室で食べても良いので、お弁当を広げている人もいた)。
大学といえば学食だよね!と一度だけ挑戦したけれど、私には向いてなかった。

確かに安くてたくさん食べられる。けれど想像していたよりも人が集まっている食堂、車いすで場所の確保をするのは難しかったし、煩わしかった。
何より本当に人が多い。私は基本的に人ごみが苦手だ。旅行だバイキングだと言ったイベントならそれもまた楽しいに違いないけれど、こんなガヤガヤしたところで休み時間を使って食べるくらいなら、講義室でパンを食べて次の講義が始まるまでボーっとしていたかった。

また、このときボランティアさんはいないので、車いすを誰に押してもらうんだ問題も出てくる。そりゃ頼めばみんな手助けはしてくれる。とはいえごはんを食べに行くのだけでいろいろ気疲れするのも嫌だった。
ということで私はいつだってパンを食べていた。

するとだんだんと講義室で食事をとる人が決まってくる。
なんとなく会話をすることがあったし、なんとなくその期間だけ仲良くする人も出てきた。

スクーリング参加者にはいろんな人がいた。
私のように4年生大学卒業を目指しているんだろう若い人。
なんらか資格を得るために来ている私より年上の人たち。眼鏡をはずしたりかけたりしながらテキストと黒板を見ていて、「老眼があると勉強は大変よ」と教えてくれたりもした。

なんらかの障害を抱えている人もいたようだ。
とあるスクーリング期間中に話をしていた女性は幻聴があると言っていた。私は無知なので「どんなふうに聞こえるの?」と失礼なことを聞いてしまったのだけれど、彼女は「今はマシだけど、自分を罵ってきてずっと攻撃してくれるの。ずっとよ」と教えてくれた。

何をもって社会福祉を学ぼうと思ったのかは人それぞれだ。
通信制高校のときもいろんな環境、状況の人たちと出会い、それはとても刺激になった。でも大学のスクーリングで出会う人たちは「社会福祉を学ぶ」という点で共通していて同じ方向を向いている。けれど同じではない。それぞれに生活があり、世界がある。
「いろんな人がいる」
本を読むだけではわからない感覚が、スクーリングにはあった。

講義にしてもそうだ。
例えば「児童福祉」について考えるとき、担当する講師によって物の見方が変わる。法律を基準に考えるのか、社会資源に関して考えるのか。子どもの視点で考えるのか、保護者の視点で考えるのか。
講師の専門とする視点から学ぶのは面白い。でもその一面だけを見ていてはいけない。ものごとは多角的に判断する必要があるのだと日々学んだ。
スクーリングで私の世界が広がったのは間違いなかった。

卒業論文で得たもの

私が行っていた通信制大学では、卒業論文は選択制であった。他の講義を受けることでパスできるので、学生のほとんどがそちらを選ぶようだ。

私は悩んだけれど、卒業論文を選択した。

と言っても通信制の場合は「卒業リポート」となっていたし、指定されている文字数もそれほどに多くない。だから本来の(書いたことないけど)卒業論文よりは楽だろうと思っていた。

テーマは「成人先天性心疾患(Adult Congenital Heart Disease:ACDH)について」だった(正確なタイトルは身バレの恐れがあり書くことを控える)。

「卒業論文の書き方」みたいな本を買って読みながら書きたいテーマを書いて提出、それを元に指導教授が決まる。

私も指導教授が決定した。と言っても、指導教授と直接会って指導してもらえるのは一度きり。あとは論文を評価してもらう審査教員との三者面談の場でしか会うことはない。

ところが私の指導教授はとても熱心な先生で、面談終了後に「一度だけではダメだ。もっと対面しましょう」と言ってくれた。
論文を書くことなんてこれまでなかったのだ。教授の話が直接聞ける機会が増えるのは私としても嬉しい。でも、毎回大学へ行くのは体力面・誰に連れて行ってもらうかといった面で難しかった。

すると教授、
「じゃあ僕があなたの最寄駅まで行きましょう。そこに喫茶店やファミレスがあればそこで指導します」と。
思ってもいなかった提案に驚いた。なんて親切な!
…と思ったものの、正直そこまで甘えて良いのかわからなかった。
それを察したらしく教授は
「これは正式な指導になります。交通費等は大学から出ます。そちらに行くのもさほど時間はかかりませんし、問題ありません。大丈夫」とのこと。
それなら、と甘えることにした。

わざわざ最寄り駅まで来てくれる優しい教授、指導は優しくなかった。

「論文において『〜と思う』といったあなたの感想や想像はいらない。事実だけを書きなさい」

「一文が長過ぎる。こんなに長いと人は読むのが嫌になる。適宜『。』で区切ってコンパクトにまとめる癖をつけなさい」

「初めてこれを読んだ人に伝わりますか?誰が読んでも伝わるように書きなさい」

…のあああああ!!(涙)

出発は卒業リポートだったはずのものは、いつの頃からか「原稿用紙の枚数や文字数など気にせず納得行くまで書きあげなさい」との教授の一声で文字数制限のない、何やら本格的?な論文になって行った。

なんなのこれ。
世の大学生はこんなに大変な思いをして卒論を書いているの?
大学生ってみんなすごいんだな。遊んでるイメージを抱いていてごめんなさい。遊んでいる人は一握りに違いない。あとの人たちはみんな倒れそうになっているに違いない。私はあなたたちより年上だけど、お互い頑張ろう!

そんな風に世の中の大学生と心の中で勝手に励まし合い、ひたすら書いた。

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「清書に進んでよし」
と大学から連絡が来たときは、だからかなり嬉しかった。

清書の段階に移れば論文作成はほぼ終わりだ。
あとは論文の合否を判定してくれる審査教員と指導教授との三者面談を残すのみとなった。

面談では書いた論文についていろいろと質問され、それに臨機応変に答える必要があるのだと聞いていた。
めちゃくちゃ緊張したけれど、実際の三者面談はとても静かで穏やかなものだった。質問されることもあったにはあったが、さほど難しいことはない。

と、面談が終わるときに審査教員の教授がこう言ってくれた。
「私は社会福祉を学ぶ者だけれど、これまであなたのような成人先天性心疾患の存在を知りませんでした。今回この論文で初めて知ることができました」

ああ、報われたなぁ。

そう感じた。
成人先天性心疾患のことを、こうして知ってもらえた。
社会福祉を専門とする教授に知ってもらえた。
頑張ったかいがあったな。

卒業論文は、合格だった。

私の卒業論文。
今読み返してみればアラがあり、書き直したい点もあるけれど、この存在は今でも私に勇気を与えてくれる。

私はそれまでも自己肯定感が低いわけではなかった。
それでもこうして論文ができたこと、何かを成し遂げることができたことは、私に「自分のことをもう少し認めて良いんだよ」という気持ちを持たせてくれた。

ちょっとだけ自慢させてもらうと、私の卒業論文はその後『社会福祉学部長賞』をいただいた。そのときに図書カード3,000円分をいただいたのだけれど、これは今でも使わずに大切に取ってある。
私がこれまでで一番誇れることだ。
(いえもちろん、指導教授の指導の賜物でもあるんですけどね)

宝物の4年間

私は通信制大学に入学してから、予定通り4年で卒業することができた。

正直、4年間はたいそう無茶をしたと思っている。

あの当時私は今みたいにパルスオキシメーターを持っておらずSpo2を測ることはなかった。当時から私の安静時のSpo2は今とそれほど変化はないはずだが、それでも酸素を吸うこともなく過ごしていた。

スクーリング期間中は朝から夕方まで大学にいて、大学からホテルに戻ったら食欲がないときも薬を飲むためにごはんを食べて、シャワーを浴びて翌日の準備をして倒れこむように寝た。
でも熟睡することはなかったし、疲れがたまればたまるだけ不整脈(期外収縮)は増えていった。
朝食後の利尿剤は朝飲むと大学でトイレばかり行くことになるのでやめて夕食後に飲むようにしていた。すると面白いくらいに効かない。効かないと体はだるくなる。かといって効果を発揮すればトイレばかりでなおのこと眠れない。

家では課題を提出するためにパソコンとにらめっこ。
私は根性論が嫌いだけれど、あのときは気合いで乗り切っていたのだと思う。

卒業のとき指導教授に「大学院には行かないの?」と聞かれた。
少し興味があったけれど、もはやそんな力は残っていなかった。そして進学しなくて正解だった。
春に卒業したその年の冬にきっちり入院したので、4年が限界ギリギリだったのかもしれない。

でも、この4年間は本当に大変で、そして楽しかった。
人生にゴールデンタイムがあるとするならば、私の中の「ゴールデンタイム」はこの4年間だろうと思っている。

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社会福祉について学ぶのはとても面白かった。
私は社会福祉の恩恵を受ける側であり、社会福祉を勉強したからと言ってそれを生かす機会はない。卒業したって福祉関連の仕事に就けるわけでもない。
それでも、いろいろな福祉サービスを受ける側にいるからこそ見えてくることがあったのだと思うし、そう思いたい。

この4年間を支えてくれたのは家族であり、スクーリング期間中に手を貸してくれたボランティアさんたちのおかげだった。
通信制といえども、一人ではとても学び続けることはできなかった。

疾患や障害を持つものが「学ぶ」のは、やはりたやすいことではない。
これが通信制大学に行って改めて感じたことだ。

今の疾患や障害を持つ子どもたちはどうなのだろうと見ても、保育園や幼稚園、小学校に中学校、そして高校に大学。
入学するだけで一苦労、ハードルはかなり高そうで、私が子どもの頃からそれほど進化しているようには思えない(もちろん現場の人は大変な努力をしておられるだろうけれども)。
また疾患や障害にはそれぞれに差があり、同じ病名・障害名だとしても一括りにはできない。だからこそ個人個人に合わせたフォローをしなければいけないのに、それが追いついていない。学ぶことを保護者や本人が諦めてしまう(諦めざるを得ないといった方が正しいだろうか)。

それでも、学びが人生を豊かにしてくれる、これは私の実感だ。

命が助かればそれでいい、生きていてくれさえすればそれでいい。
そういうところからもう一歩、生きて行く中で(個人によって目標設定は違うだろうけど)どのように学ぶことができるかを模索する…そういう社会になれば良いと思っている。


そんな風に少し周囲を見ることができ、考えることができるようになった、

私の、最高に無理と無茶をして得た宝物のような4年間の話。

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ぱきら
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