次の扉のその先は
「生まれ変わっても、いろいろと学ばせてくれたこの病気の体で生きて行きたい」
と話す人を、ごく稀に見かける。
ええ!?本当に??
私はもう、ただただ驚く以外ない。
考え方は人それぞれだし、本人がそう言うのだからそうなりたいんだと思う。
否定する気はない。
でも。
私はぜっっっっっっったい!健康に生まれたい。
…と、思っている。
だってほら。
バンジージャンプしたいから。
まあ逆バンジーでも良いけど。
ロッククライミングも楽しそう。
そこに山があるから、とか言って挑戦するの。
あてのない旅とかも素敵。
薬の残量とか気にせずに。
全力疾走もいいよね~。
きっとすんごく遅いけど。
傷のない胸になりたい。
願わくば胸のサイズもあと2つくらいアップで!
…いわゆる健康体であればやりたいことなんて、山ほどある。
今のこの人生がかわいそうなものだとは思わない。これはこれだ。
そして確かにこの疾患ゆえに学んだことや知った世界もある。
でも、もう一度先天性心疾患である人生は遠慮したい。
☆
そういうことを言うと
「え?だってこの病気だから出会えるご縁もあるよね。みんなとまた会いたいよ」という、一瞬返事に困ることを言う人がいる。
確かにそういう側面はあると思う。
でもさ。
「だけど私がこの病気じゃなければ、周りの人たちも今とは違う状況だと私は思うのよね。だから出会う人べき大切な人には出会えるよ、どんな形であっても」
と、私は考えている。
例えば、お世話になった先生方とは、今度は「医者と患者」ではなく「教師と生徒」かもしれない。そしたら面白そうだ。
でも私は手のかかる生徒になる気がする。
もしくは「上司と部下」かもしれない。
…すごく厳しい上司になりそう。
患者会の友人たち?
そりゃ私が元気ならみんな当然元気に決まってる。
そしたらどこかの旅先で意気投合するかもしれないし、案外ネット上で出会うかもしれない。「友だちの友だち」として紹介してもらう可能性もある。
そうやって、出会う人には出会うのだ、きっと。
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私はいろいろと想像するのが好きだ。
だから「たられば」で考えるのも嫌いではない。
その昔、
「もし健康だったら何がしたかったです?」
と聞かれたときに
「えーと…家出!」
と嬉々として返事をしてしまい、感動を求めていた相手に苦い顔をされたことがあった。咄嗟にそれしか浮かばなかったのよ…ごめんよ。
なんにしても、そういう話は嫌いじゃない。
叶うことはないけれど、少し悲しくもあるけれど、もしもの話を当てはめて垣間見る、ひとときの幻だ。
けれど、「生まれ変わる話」はちょっと苦手だ。
過去の「たられば」ではなく、未来の、しかも来世とやらの「たられば」は雲をつかむような話で、まだ生きている自分に当てはめるとなんだか切ない。
☆
私は誰かが亡くなったとき、その人がどこかで幸せに生まれ変わったら良いなと思っている。
でもそのときに、今と同じような病気というのは辛い。
彼らにはのびのびと走り回って欲しいし、塩分も水分量も気にせず美味しいものをたくさん食べて欲しい。きれいな景色を直接観に行って、触れて、たくさん吸収して、体験する。そんな体力があれば最高だ。
その人生を、今度は病気に左右されることなく謳歌してもらいたいと心から願う。
生まれ変わりというものが本当にあるのかどうかは私にはわからない。
もし次の人生の扉があるなら、私はやっぱり、その先は健康優良児という形で歩み始めたい。そして私の家族も皆、今よりも遥かに笑顔が多く過ごせると良いなと思う。
まあ、なんじゃかんじゃ書いてみたけれど。
結局のところ、私は今の人生を生きて行くことで手いっぱいだ。
だから今日もバンジージャンプやリンボーダンス、コサックダンスはやらないし、そこに山があっても眺めるだけで、旅には出ずに薬をきちんと飲んで、胸の傷もカップサイズも変わりはしない。