「みんな同じ」という呪い〜小学校②
2019年10月24日「はてなブログ」公開
私の通う小学校には制服がありました。
そして今みたいにカラフルなランドセルはない時代で、カバンと言えば赤いランドセル一択。
さて、今もですが当時私は寒さに弱かったです。
教室での暖房器具といえばストーブのみ。
ストーブから離れたらすぐ寒い。
そんな環境でスカートで生足なんて、たまらなく寒い。
ということで私は冬場には長ズボンを履こうということになりました。
が、学校側ははじめ難色を示したそうです。
「前例がない」
「みんなは寒い中制服のスカート(女の子)や半ズボン(男の子)で通学しているのに、ぱきらちゃんだけ長ズボンというのは不公平になります」
「ぱきらちゃんだけ特別扱いするわけにはいかない」
「ぱきらちゃんだけずるいと言われかねない」
まあこんなところ。
前述のランドセルも私が背負うことができなかったため、母が持ちやすいカバンに交換させて欲しいと言ったのですが、先ほどのような回答だったそうな。
どちらも最終的にはこちらの希望が叶いましたが、他のこともいろいろ含め、とにかくすんなり話が通ることはなかったようです。
まあ、確かに特別扱いでずるいのかも。
だけど私だって。
私だって本当はスカートで通いたかったし、ランドセルを背負いたかった。
できない自分が悔しかった。
⭐︎
私の通っていた小学校は少し特殊だったのかもしれませんが、とにかく「平等」・「みんな同じ」ことに重きを置いていました。
私にはできないことがたくさんあるけれど、車いすに乗ったり、おんぶしてもらったり、長ズボンを履いて、カバンを替えて。
他にもいろいろあるものの、そうして補うことで私は快適に、他の子と同じように勉強ができるようになります。
私は配慮や支援(サポート)を受けることで初めて「みんなと同じ」土俵に立てるのです。
そしてこれが本来の「平等」に繋がるのではないのかと私は考えています。
けれど学校側はそうしたサポートの一部は、
みんなと同じではない、
不平等に繋がる
と考えていたようです。
学校側のいう「みんな同じ」は「平等」というよりも、「画一的」を目指すものであったのではないかという気がします。
今のようにマイノリティなんて言葉もない時代だったけれど、もし知っていたとしても。
当時の私は自分がマイノリティ(少数派)というよりも、ほかの子たちとは違う「異質なもの」であると思うようになっていました。
そして、心のどこかでずっとみんなと違う自分のことを恥ずかしいと思っていました。
生まれたときから病気だし、それはある意味当たり前で変えようのないことで、受容はできていたと思うのです。
だから私は
「病気であること」が恥ずかしかったのではなく、
「病気を含んだ自分自身」が恥ずかしかったのです。
ある種自分を完全否定してますね。
自己肯定感なんてほとんどなかった気がするなぁ。
私は「みんな同じ」であらねばならない、という考えに囚われてしまっていたのかもしれません。
追記なし。