泣いても良いんじゃない?
泣くとしんどくなるということから、「泣く」を止められていた先天性心疾患の子どもは多いだろう。
親たちは「泣くと心臓に負担をかけるから、なるべく泣かせないように」という無理難題を医師たちから言われて、泣くのが仕事の赤ちゃんを、なんとかかんとか泣かさないよう注意を払いながら育てた。
結果、そうして育てられた子たちは、
「ちょっとやそっとじゃ泣かないのよ私」という喜怒哀楽の「哀」を極端に封印して大人になる者が多い、と思っている(ワタシ調べ)。
かく言う私も、たぶんその一人だ。
子どもの頃、何か悲しいことがあって泣いていると、母に
「そうだね」と言われて抱きしめてもらうのだけれど、
「でもあんまり泣いてるとしんどくなるからね」
とも言われていた。
母が悪いわけではない。
確かに私は泣くと胸が苦しい感じがして、しんどかった。
泣いてはいけない。
そう擦り込まれると、泣くことはなんだか悪いことのように思うようになった。
☆
少し大きくなってからは、まだ涙を堪えることができて、それでもどうしようもなく泣きたいとき、私はいつもお風呂の中で泣いた。
トイレで泣くのは、泣いたことがバレてしまうのでお勧めしない。
お風呂だと多少目が赤くなっても気づかれにくいし、涙も鼻水も全部流せてしまう。
ただこれ、冷静に考えると入浴という心臓に負担がかかる行為と、泣くという心臓に負担がかかる行為を一緒にやっているので、それなりに動悸がする。
ということで、入浴兼泣くときは各自気を引き締めて泣くように(何それ)。
☆
いやもちろん、私は痛さに弱いし怖がりなので、泣くこと自体は少なくない。
カテーテルをぐりぐり動かされている感触を感じてはその痛さに泣くし、動脈注射をされればやっぱり痛くて泣くし、胃カメラで喉の奥がグエッとなっても泣く。
けれど絶対に声は出さないようにしている。
できれば先生たちに泣いていることを悟られたくないのだ。
でもまあ、ばれるよね。
ただただ無言で泣く私に気がつくと、先生たちはたいてい
「ごめんね」
と言ってくれる。
いやほんと、こちらこそ泣いて、我慢できなくて申し訳ない…いつもそう感じている。
☆
誰かが亡くなって、悲しくて、泣いて。
そういうことだってある。
けれどほどほどで涙を拭かないと周りが心配してしまう。
だからどこかで悲しい気持ちを無理やり押し込んでしまう。
悲しみの消化不良だ。
でもそうやってやり過ごしてきた。
あとはお風呂で泣けばいい。
そこまで我慢すればいい。
私は泣くことを遠慮するようになっていた。
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夫は、私が泣くことを止めない。
というより、我慢している私をみると
「泣いても良いんじゃない?」
と言ってくれる。
いやあんた、私が泣いてしんどくなるところ見たことないやん。
なんて気ままな発言なんだろう。
最初の頃はそう思っていたけれど、
「これまでずっと我慢してきたなら、もう我慢しなくて良いよ」
そう言われて、なんとなくホッとした。
そうか、泣きたいときは泣いて良いんだ。
泣くことは悪いことじゃないんだな、そう思えた。
今では、お風呂で泣く機会が随分減った。
でもケンカした後に私が泣いてると
「泣かないで」
と泣くことを止める夫。
やたらめったらティッシュで目を拭いてくるので目にティッシュの粉が入り、違う涙が出そうだ。
どうやら自分由来の涙は嫌らしい。
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少し前に「涙活(るいかつ)」なるものが流行ったと聞いた。
泣くことを目的に、何か映画を見たり本を読んだりするそうだ。
意識して涙を流すことで、ストレス発散になるとか。
世の中には泣けない人がたくさんいるみたい。
「泣く」きっかけとしてそういうことをするのも確かに手ではあるだろう。
でもなんていうかな…「泣くぞ!」と泣くのと、胸がいっぱいになって、自分の感情が溜まりに溜まった末の泣く、は少し意味合いが違うように感じる。
もちろん前者も気持ちを発散する上ではとても良い方法だろう。
けれどきっと人は、後者の涙を、そのときそのときで流したいのではないかな、と思う。
☆
私は他の国の人とお話しする機会はほとんどなく、加えてその人たちの涙を見る機会もない。
だから比較するには情報量が圧倒的に少ないが、それでも他の国の人たちというのは、泣きたいときに泣いているイメージがある。
私たちが暮らすこの日本では、泣かずに我慢するのが美徳…のような風潮があるように思う。
まあ実際、泣いたからと言って解決することなどない。
私も泣いていわゆる健康体になれると言うなら、それはもう泣きまくる。
けれどそんなことは起こるはずもなく。
泣けば体力を消耗するだけなのだから、だったら泣かない。
泣くことは非効率だ、どこかで冷ややかに思っていた。
でも思う。
堰き止めた悲しみ、悔しさ、辛さ…そんなものの重なりでできた「泣きたい」気持ちは溜め込むと苦しい。
どこかで浄化してやらなきゃ、いつか爆発してしまいそうだ。
私は、まあ歳を重ねたということもあるだろうけど、最近はよく泣くようになった。
誰かの文章を読んでは泣き、書いては泣き、亡くなった友だちを不意に思い出しては泣き、小さな子の成長を見ては泣く。
私ってこんなに泣くタイプの人間だったのかと、自分で驚いている。
「泣いても良いんじゃない?」
そう夫に言ってもらってから、私は泣くことに対する気兼ねみたいなものが減った(まだなくなりはしない)。
声はまだ我慢しがちなので、いつかうわーん!と大きな声で泣けたら良いと思う。
誰かに、「泣いて良いよ」と言ってもらうことは大切なのかもしれない。
特に「泣くこと」を躊躇したり、遠慮したり、我慢し続けている人たちには、必要な言葉なのかもしれない。
そう思っている。
だから、
「頑張らなきゃ、頑張らなきゃ」
そう思って涙を堪えている人がいたら
「うん、頑張ってるよ。でももっと頑張るんだね。じゃあ、せめて、たまには泣いても良いんじゃない?」
そう、伝えたい。
私もあなたも、泣くことを我慢しすぎなくて良いんだよ。
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