入院は続くよこれからも(後編)

2019年12月12日「はてなブログ」公開


続く入院、揺れる治療法

さて、 前回の記事で書いた ②現状維持のための入院 ですが、CHD患者が成長したACHD(Adult Congenital Heart Disease:ACHD)患者の中で判断が難しくなるのは、今後どのような治療をしていくかということです。

〇手術しないかというお誘い
はじめに、ここで言う手術は開胸を伴うハイリスクな手術が主となります。

こうした手術を受けているACHD患者はたくさんおられます。そして元気になっている人もたくさんおられます。
ですから、私の書くことが皆さんに当てはまるというわけではありません。それを踏まえて見ていただければと思います。


ACHD患者は現実的に体調を崩して手術を勧められるのとは別に、医師たちから「比較的元気(体調が落ち着いているという意味)な間に(将来必要となる)手術をしないか」と提案されることがあります。
差し迫った危機が体にあるわけではない、しかし今なら良い状態で手術ができる、そして今よりも(心臓の機能やはたらきを)良い状態にしてあげることができる=体が楽になる、ということです。

なるほど理にかなっています。とても魅力的に聞こえる。
けれど、手術をすればそれで丸く納まるわけではなく、手術をしたその体(心臓)に慣れるまで数年かかることもあります。

数年かかったとしても元の生活に戻れる・もしくは元気になるんならそれでいいんじゃない?という意見はあるかと思います。
でもこの数年は大きい。
ACHD患者の多くは自身の寿命が抜群に長いわけではない、と理解しています。一年一年大切に過ごしたい。たかが数年、されど数年。
そして仕事や家族のこと、肉体的・精神的そして経済的な負担は計り知れません。
それにやはり…せっかく落ち着いていたのに手術を受けることによって亡くなることもあります。

もし仮に、手術をせずにいても安定したまま10年過ごすことができたら?
少なくとも○歳頃まで安定した楽しい生活を送れるのではないか。
そんなことが頭をよぎるかもしれません。

かといって、にっちもさっちもいかなくて、最終手段的に手術をしたらどうなるか。そもそも機能が低下している心臓や体。手術そのものに耐えきれずに亡くなる人もおられます。回復力も落ちているでしょう。「元の自分」を取り戻せるかどうかわからない。

けれど10年あれば。
もしかしたら医療技術が更に進化し、開胸せずに済む治療法が出てくるかもしれない。びっくりするくらい良い薬が開発されるかもしれない。そんな想いに駆られても不思議ではありません。
一歩を踏み出すのが、とても難しいのです。

〇良い薬あるけどどう?というお誘い

一方、投薬治療も実はそう簡単ではありません。

副作用の問題はもちろんのこと、例えばこれまで使っていた抗不整脈剤の量の調整一つをとっても、その微妙な量の差でびっくりするほど心臓のはたらきが変化することもあります。
外来で薬の調整を行うことが多いですが、結局入院して経過観察をしなければならないということも少なくありません。
また、Aという薬からBという薬へ変えることも、たやすいことではありません。
せっかくAで馴染んでいたのに、Bに変えることでこれまで感じたことのない不整脈を感じてみたり。
もしBが体に合わなくてもAに戻せるのか。戻せても元通り体に馴染んで効果を発揮してくれるのか。仮にBが合ったとしてもその効果を実感できるまでに一年以上かかることもあります。

症状と、薬の効果と、これまでの投薬による実績やデータと。自信をもって薬を使われる先生方の狙いとは、大きく離れた結果になることも少なくありません。

先生方というのは、基本的に患者のため、体が楽になるために治療法を提示されます。
それ自体はとてもありがたいことです。
でもなんというか…比較的簡単にできそうな雰囲気いっぱい、それを行えばすぐにでも体が楽になるのだと魔法のようにおっしゃる先生は結構多くて。
そして患者は医師に勧められれば「そうかもな、そうだよね」と揺れます。
とはいえ具体的にいろいろと説明を聞くと、魔法がすんなり発動されるかは不透明…。


私自身を含めてACHD患者というのは、一度体調を大きく崩してしまうとなかなか元の状態には戻れません。むしろ坂道を転がり落ちるようにガタガタと体調を崩してしまうこともあります。だから踏みとどまるのに必死です。
仮に踏みとどまれても、次にやってくる不調を思うと不安になります。
加えて加齢に伴う、他の臓器の悪化もひたひたと迫ってきています。
女性であれば婦人科のお世話になる人も多いはずです。

ACHD患者が生きていくためには、これからも折に触れ入院が必要となるでしょう。

では入院すれば解決するのか。
そうたやすいものではありません。前回の記事で書いたように対症療法で終わることも少なくない。
それに、上記のような「手術どうするよ問題」や「先生の言う良い薬は私にとってほんまに良い薬なのか問題」、他の疾患の出現などなどたくさんの課題が出てきます。

けれど手術や投薬の話が出ている間は良いのかもしれない。治療方法がある間は幸福なのかもしれません。「打つ手がない」、これほど辛いことはなくて。
そんなことをグルグル考えながら、どう折り合いをつけるのか向き合っていくことになります。

そして主治医が変わると微妙に(時に大胆に)治療方針が変わると言うこともあります。これまでの治療方針を踏襲しつつも、先生による「推し」の治療はあるようで…。
新しい主治医との信頼関係を築いて治療をしていくことの難しさが加わることもあり、入院スペシャリストもなかなか大変です。

⭐︎
だいぶ話があっちこっちへと行きました。
まとまりがなくごめんなさい。

次回からお話しするのは私の「成長のための入院」についてです。
治療にまつわる決定権は親にあるものの、私一個人としての考えも芽生えつつあった11歳のときの入院。スペシャリスト感ゼロの、駆け出し入院患者?だった時の話です。

患者さんの体験は人それぞれ。
感じ方も人それぞれ。
親御さんとも違う目線の話になるでしょう。
なんとなく、約30年前の入院生活をふーん、と見ていただければと思います。

なお、記憶があるとはいえ、時系列や細かな治療方法についての記憶は曖昧です。
というか、治療についてはあまり覚えていません。治療に関しては基本的に受け身であり(もちろん説明は受けていました)その時々をなんとなくやり過ごしていた気がします。
ですので唐突に話が飛ぶことも多々ありますが、そこは気にせずご覧いただければ幸いです。

つづく


この記事からおよそ4年後、私は開胸手術によるペースメーカーの埋め込みを行い、また先生お薦めの「良い薬」を飲み始めました。
劇的に良くなるための手術や投薬ではなく、これ以上悪くならないための処置でした。
紆余曲折ありつつも、現在は比較的安定しています。
頑張った甲斐があったよね、私。と、自画自賛しております。

しかし、加齢が原因だけではないにせよ、歳を重ねるほど体調を安定させるのは難しいなと実感しています。
何とか長生きしたいものです。
(2024年11月末追記)

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ぱきら
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