夫の話をあのねのね。
0.
私は結婚していて、夫と2人暮らしをしている。
私は先天性心疾患(生まれたときから心臓病)だ。
そして、私の夫も先天性心疾患だ。
特に隠す意図はなかったが、わざわざ言うことでもないので黙っていた。
何より夫も心疾患であることを書くと、身バレの可能性がぐんと高まる。
それはかなり困る。
だから書いてこなかった。
でも夫のことを話す上で、彼も心疾患であることを書いておくほうがすんなり話が通じるし、何より夫のことを知って欲しいなと言う気持ちが出てきた。
私の素敵な(時々すっとこどっこいな)夫を紹介したい気持ちもある。
良い人なのだ。
時々すっとこどっこいだけど。
念のため夫に「noteにあなたのことを書いて良い?」と聞いたところ、
「好きに書いて。なんなら病名とかどんなプロポーズされたとかも」と、全部さらけ出す勢いのことを言ってくれた。
いや、そこまでしなくていいよ…。
今どき芸能人でもそこまで言わないよ。
何はともあれ本人の許可は得たので、ほんの少しのフェイクも織り交ぜながら夫の話をしたい。
たまにTwitter上で「心疾患同士の恋愛や結婚ってどうなんだろう」みたいなものを見かける。
だからこっそりここに書く。
ふんわりとその人に私の話がたどり着いて、何かの参考資料程度になれば、それはそれで嬉しい。
1.
夫はそれなりに手術を受けている。
小さい頃はきちんと育つのか、義母がとても心配していたようだ。
でも手術のおかげでかなり体調が安定したらしく、薬を飲むこともなくなり、それは今も継続されている。
いわゆる健康な人と大差のない生活を送り、出会った頃は「この人アホなのでは」と思うほど酒を飲んでいたし、タバコも吸っていた。
(酒は結婚以降ほとんど飲まなくなった。私に何かあったとき車を運転できないのが困るとのことだ。体調が落ち着いている最近は月に数回飲むかな。
また、タバコは私の前では吸ったことがなかったし、結婚を機に辞めた。)
就職しており、現在も働いている。
かなり良い状態と言えるだろう。
それでもおそらく将来的になんらか手術は必要だと思っている。
通院は年に一回。
本来であれば通院など不要だと感じてやめるところだが、薬を飲まなくなっても、すこぶる元気でも、年に一回の通院は守っている(義母のたっての願いでもあったようだ)。
それに関しては良かったと思う。
加齢とともに必ず心肺機能は衰える。
速やかに対応してもらうためには、速やかに異変を発見してもらわなければならない。
あと、たとえ年に一度でも病院と繋がりが途切れないというのが重要だ。
☆
付き合った経緯等は置いとくとして。
最初に言っておくと、私は心疾患同士の恋愛…はともかくとしても、結婚には否定的だった。
と言っても、その頃すでに周囲にそういうカップルや夫婦はいて、その人たちをも否定するつもりはなかった。
ただ「私には無理だ」、そう思っていた。
疾患があっても体調が安定している者同士ならそれも可能だろうけど、私は重症と言われる部類なのだ。
体調不良はいつも不意にやってくる。
そんな状態の私と、自身も心疾患の人が恋愛関係を築けるとはとても思えなかった。
それに相手も体調を崩してしまったら?
夫婦だとして、その生活はたちまち立ち行かなくなるだろう。
そんな冒険、私にはとてもできないと思っていた。
でも現実にそんな冒険をしたのだから、世の中わからない。
2.
ところで、夫が「私と同じ先天性心疾患である」ことを伝えると、中には「なるほど」とか「だからか」といった反応が見受けられる。
そこには暗に「ああ、先天性心疾患の人だからぱきらさんと結婚することができたんですね」というニュアンスが含まれていた。
いわゆる健康な人ならば、わざわざ私を妻に選ぶことはしないだろう、と。
もちろん、「同じような疾患だから分かり合えるところがあって良いですね」という肯定的な「なるほど」もある。
だから上記の言葉が=地雷ワード、などとは思わないで欲しいし、口に出すのを躊躇ったりもしなくて良い。
ただ、やはりいるのだ。
そういう「醸し出す雰囲気で嫌なこと言ってくる人」が。
別に気にしない。
そう思うのならばそう思えば良い。
でも、私の夫に対してなんて失礼なことを言うのだろうという憤りはある。
夫と付き合うことになってわかったことがあった。
相手がいわゆる健康な人だとか、先天性心疾患だから選んだのではない。
私が選び、夫が選んだ相手が、結果的に先天性心疾患だったというだけなのだと。
だって、他の先天性心疾患の人が(ありがたいことに)私に好意を寄せてくれたこともあったのに、そのとき私の心は動かなかった。
夫だから一緒にいたいと思った。
この純粋な思いは、いわゆる健康な人と付き合ったときと同じで、だから先天性心疾患があるとかないとかは関係ないんだなとしみじみ感じた。
「先天性心疾患同士の恋愛とか、ないわ」と思っていた頃の私は本当に間抜けだったと思う。
夫は自分で私を選んだ。
それは「同じ疾患持ち同士の方が気が楽だから」とかの妥協をしたわけじゃないし、手近で済ませたわけでもない。夫の意思だ。
その意思を踏み躙るようなことは言われたくない。
3.
結婚へ至ったのは、自然の流れだった。
ただ私は結婚というものに必ずしもこだわる必要はないと思っている。
世の中には事実婚の人もいるし、それは人ぞれぞれだろう。
夫も私も最初から結婚を意識していたわけではなかった。
付き合い始めた頃に夫は「結婚までは今は考えてない」と正直に言ったし、私も当然だろうと思っていた。
私たちは、好きだから結婚しよう!なんて甘いことを考えるような年齢じゃなかった。
でも状況的に結婚へと進むことになった。
私たちは遠距離恋愛だったので、頻繁に会うことができないでいた。
デートのときの夫の負担は半端ない。
夫が私の家まで車で3時間ほどかけて来る
→私を拾う
→遊びに行く
→私を家に送り届ける
→夫、再び3時間かけて自宅へ帰る(帰り着くのはいつも真夜中だった)
頑張ってたねぇとたまにあの頃の話をすると夫は
「今は無理。若かったから(と言っても当時も若者というほどの若さはなかったぞ)できたこと」と言っている。
本当に。勢いって大事よね。
なかなか会えないし、夫の負担は大きいし、一緒に過ごすほうが楽だなと感じるようになった。
では同棲?
互いに大人なのだから、それでも構いはしない。
とは言え私は黙って同棲生活を始められるような状況にないし、双方の親の許しは必要となるだろう。
また、病院どうする?住むとこどうする?と言うとても現実的な課題が出てくる。
加えて、例えば私が何事かでICU(集中治療室)にでも入ったとして、夫が彼氏のままだと入室はできない(「婚約者」としてなら入室できる病院もある)。
住まいを変えて福祉サービスを受けるにしても、婚姻関係がはっきりしているほうが良い。
結婚するほうがいろいろと丸く収まるのだ。
あと、私は親元からきちんと離れたいと思っていた。
小さな頃から親と一緒の生活。
それが嫌なわけではないが、長く続けばいろいろとしんどいことは出てくる。
(そしてそれは、親としてもそうだったろう)
もう一つ、純粋にウエディングドレスが着てみたかった。
ということで、一緒にいたいなの延長戦が結婚だったのだ。
4.
結婚の話が出始めた頃、私には不安があった。
夫のご家族(ご両親)がどう思うか、という点だった。
先天性心疾患の息子がいるのだ。
一般的な親御さんに比べれば先天性心疾患に対する理解は深いに違いない。
とはいえ、息子の結婚相手として認められるかといえば、それは別問題だ。
ご両親は、とりわけお義母さんは息子がきちんと成長できるだろうか、大人になれるだろうかと心配して過ごしてきたのだ。
いわゆる健康な人と遜色なく暮らす息子の元には、五体満足、健康な女性と結婚して欲しかったに違いない。
「え?体調悪いの?入院したの?」と心配事の尽きない者をすんなりと嫁に迎えることができるとは思えなかった。
その昔、結婚をと考えてくれた人もいた。
その人はいわゆる健康な男性。
けれどその人の母は猛反対だったそうだ。
結婚云々抜きにしても、付き合っていること自体が許せなかったようだ。
反対されればやはり精神的ダメージがある。
その人は「無視すれば良い」と言っていたけれど、そういうわけにもいかない。
それに強行突破して結婚するような体力も経済力も私にはなかった(誰にも頼らず生きていくためには、それなりに金銭的余裕がないとダメだと私は思っている)。
別にそれが直接的な原因で別れたわけではないけれど、周囲に味方が少ないのは自分たちにとってプラスにはならないと身に沁みていた。
だから夫との結婚話になったとき、夫の両親に反対されたらもう別れよう、そう決めていた。
2人の意思が強いからといって結婚できるわけじゃない。
とりわけ、私は常になんらかの助けを借りて生きているのだ。
力を貸してくださいと言ったときにそっぽを向かれる関係性ではダメなのだ。
けれどもその考えは杞憂となった。
先方が認めてくれたのだ。しかもかなりあっさりと。
とてもとてもとても、嬉しかった。
5.
と言うことで、結婚へと進んだ私たち。
とはいえ私がきちんと(?)この人と結婚しても大丈夫だなと思ったのは、付き合っている段階で私がカテーテルアブレーション治療のために入院したときのことだ。
先程書いたように夫と私は遠距離恋愛だったので、入院期間中、夫が私を見舞えたのは一度きりだった。
その一度きりが、私がアブレーションを受けた数日後だった。
クリスマスが近かったと思う。
夫はにこにこしながら現れた。
こちとらすっぴん、アブレーションが長引いたために数日経過していても体がだるい状態。
当然シャワーを浴びてないから髪の毛もコテコテで、ドラマに出てくる綺麗な入院患者とは大違いだった。
そういう姿にびっくりしなかった。
彼は手術の際の入院経験がある。だから平気だったのかもしれないけど、それにしてもにこやかだった。
彼は私を見て「どう?体は落ち着いた?」とかいうよりも先に「会えて嬉しい」と言ったのだ。
ほぅ…君はこんなにヨレヨレの彼女を見てもそんなふうに思えるのかね…と思ったし、いやそれより不整脈は大丈夫?とか聞くのが最初でしょうよとも感じた。
そして彼は、クリスマスが近いということで、ケーキを数個持ってきた。
…なんでや。
食事制限はなかったとはいえ、病院。
そして1個や2個じゃなく数個。
食欲はないし、とてもじゃないが食べ切れるわけがない。
なんかピントがずれていた。
でもなんだか安心した。
難しい顔をしたり腫れ物に触れるような反応よりは、私にはよっぽど良かった。
結婚して共に生きるようになったとしても、おそらく私はそこそこの頻度で入院するだろうと思っていた(そしてその通りになっている、とほほ)。
そのときにやたらめったら心配されるよりは、にこにこしてくれるほうが私は嬉しい。
あと、多少小汚くなってる私を見ても「かわいい、好き」とか言っちゃうあたり、これはかなり惚れられているぞ、たとえ私がオムツを装着しても割といろいろ大丈夫な気がする、と思った。
☆
で、実際。
結婚して以降何度か入院しているが、夫は付き合っていた頃よりも心配するようになっている。
まあ、家族になったのだからそれは当然なのかもしれない。私も夫の体調の変化には付き合っていた頃より過敏になった。
私の代わりに処置に関する同意書にサインするようなことも出てきており、ハラハラ具合が格段に上がったのだろう。
「何しようか」「背中でもさする?」などと私のしんどさをなんとか緩和しようとしてくれるのだけれど、正直夫に何かしてもらうことで緩和されるようなものはない。
そんな夫を鬱陶しいと思ったり、なんとなくイライラしてしまって夫に当たることもある。
でも夫はずっとそばにいてくれる。
それがとても安心する。
だから私はこの人を選んで・この人に選ばれて間違いなかったと思っている。
ああでも、一つだけ夫に注文したいことがある。
…いやほんとは2つ3つ4つくらいあるけれど、まあ、ね。
「私の入院中に体調崩さないでね」
これだけは願っている。
共倒れはなんとか避けたい。
⒍
「結婚して良かった?」と聞かれることがある。
答えは「うん、良かったよ」かな。
私が結婚するとき、友だち数名から
「あかんなと思ったら戻ってきたら良いやん。いつでも待ってるで」
という、お祝いの言葉としては不適切なことを言われた。
「そうか、あかんかったら帰ってきたら良いのか」
とすんなり思って、途端に結婚が気楽に思えた私も私かもしれない。
でも本当に、「ダメだったらダメで良いんだな」と感じた。
兄は兄で「なるようになるんちゃう?」と言ってきたし、結婚に対する気負いのようなものはなかった。
だから全体的にふんわりと結婚生活が始まった。
始まってしまうとこれがなかなか面白い。
もちろん苦労することはあるし、体力面できついと感じることも少なくない。
夫に対して大層腹が立つことだってある。
だけど、基本的に夫との生活は面白い。
ときどき今生活しているのが全部夢で、本当の私は目が覚めると病院のベッドの上にいるんじゃないかと思うときさえある(だいぶ落ち着いてきたものの、今でもたまにそういう感覚に包まれることがある)。
今のところ夢ではないらしい。
結婚以降、体調面はともかくとしても、私は随分と穏やかな日常を手に入れたと感じている。
☆
付き合っている頃からだろうか、夫は私に「我慢しなくて良い、我儘を言っても良い」というようなことを伝えてくれた。
私に限らず、なんらか疾患のある人に言えることだと思うのだが、皆「我慢強くて割と聞き分けが良い」のではないだろうか。
自分で言うのは恥ずかしいけれど、私、ずっとそんな感じだった。
例えばテレビの旅番組で比較的近い距離の場所が素敵だと紹介されたとしよう。
私はそれを見ていて「あ、ここに行ってみたいな」と思う。
でも思うだけだ。
「行ってみたいね」と言うことはほとんどない。
母が言えば「そうだね」と同意するけれど、私が行きたいと言うことはしない。
正直言ったところで、行けるわけじゃないのだ。
行けそうだとしても、家族の都合を考えるとそうそう気軽には言えなかった。
私が行きたいと言うのは我儘だと思っている節があった。
また、治療等で嫌なこと・辛いことがあって泣きたくなっても極力我慢した。
いや、結局最終的には泣くことも多かったけれど、できれば家族に心配かけたくなくて、にこにこしてようと努めた。
特に母はすごく心配性で、私が落ち込むのを見せたくなかった。
これくらい楽勝楽勝、という風に装っておきたかった。
装えないことのほうが多かったとは思うけどね。
そんな私に夫が私に言ってくれたのが先程の言葉だ。
今ではテレビを見ていて「あ、ここ行きたい」と言うことが増えた。
本当に行けるかどうかではなく、願望を口にできるようになったのだ。
夫は「ああそうだねぇ」と言うだけで、実際に連れて行ってくれるのは稀だし、どう考えても行けない場所(海外とか)だったりもするので、本当に願望だけだ。
また、薬を飲む前に「あー、めんどくさい。毎日毎日こんな薬飲みたくないよ」とかも言っちゃうようになった。
もちろん、飲む。
夫は「はいはい、飲もうねー」と言うだけ。
治療方針が決まって、先生たちの前ではにこにこするのだけれど、夫と2人になったら「ヤダヤダ嫌だ」と泣くこともある。
夫は困ったように「うんうん」と言うだけで何か素晴らしい慰めの言葉をかけてくれるわけじゃない。
それに私も言うだけで、結局きちんと治療受けるし。
果たしてこれが我慢をしていない、我儘を言っていることになるのかはわからない。でも言葉にするだけで、私はほんの少し自由になれる。
夫は私を「聞き分けの良い人であろうとする」ことから解放してくれた。
甘えさせてくれるようになった。
…と、思う。
7.
ここまで書いてると、なんだかとっても夫が「できた人」っぽい。
だけど夫はすっとこどっこいだ。
それは断言しておこう。
あと一つ。
先天性心疾患同士の結婚は厳しい現実もある。
私の周りには先天性心疾患同士の夫婦がそこそこいる。
女性側の体調が安定している場合はお子さんを設けているケースもある。
(とはいえ大抵は夫婦2人かな)
一方で、夫(妻)が亡くなることも…やはりある。
みんな、見送るには、そして見送られるには早すぎる年齢だ。
残った側となった彼女たちは、自分もいろいろと体調の心配はあるだろうに、喪主としての勤めを果たすのだ。
そうした姿を見て、夫や私はこんな風にできるだろうかと考えたりもする。
そしてどうか体調に気をつけながら、今後穏やかなことが多めの人生を歩んで欲しいと願っている。
このように、残念ではあるけれど先天性心疾患同士の夫婦は一般的な夫婦に比べればそういう可能性がかなり高いことを理解しておく必要がある。
とはいえ…理解していたところで辛いものは辛いし、そう容易く受け入れられるものではないのだけどね。
☆
夫との結婚が決まったとき、患者会のあるお母さんからかけられた言葉が忘れない。
すごく言葉を選びながら、
「ぱきらさんは重症なのに…結婚できるなんて凄いなって思って。うちの子が将来どうなるかはわからないけど、なんだかとても感激しました。おめでとう」
みたいなことを言ってもらった。
結婚することが誰かの勇気に繋がるとは思わず、いえいえこちらこそありがとうございます、とかなんとか言った気がする。
そして密かに(これは別れたらガッカリされるな…)とも考えたのだった。
あれからそろそろ10年が経とうとしている。
今のところ別れる気配はない。
良かった良かった。
とりあえず、次は5年先を目標に夫と生活できればと思っている。