泣いて笑って、乾杯して
私は、いわゆるアラサーの頃にはすでに「自分は結婚できないだろう」と思っていた。
もちろん世の中結婚する人が偉いわけでも、結婚が人生のゴールというわけでもない。今どきは事実婚もあるので「結婚」という形にとらわれる必要もないだろう。
それでも誰かと一緒になって結婚することに、私は憧れていた。
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私は先天性心疾患(生まれたときから心臓病)だ。
心臓病と聞くと皆さんはどんなイメージを持つだろうか。
中高年の病気かな?という印象があるかもしれない。
けれど先天性心疾患はいわゆる生活習慣病の一つである心臓病とは違い、心臓の形や血管に異常がある状態で産まれてくる。
異常があれば当然のことながら正常な心臓のはたらきができない。
車で言えばエンジン部分が初期不良なのだ。うまく走行はできないだろう。
それと同じように、先天性心疾患の子たちはそのままの状態では生きながらえることができない。
だからたいてい小さなうちに心臓外科手術を受けたり、投薬治療を開始する。そうして異常のある心臓を、正常な心臓のはたらきに近づけてやるのだ。
それらの治療は大人になってからも継続される場合がほとんどだ。
手術をすれば治るといった簡単なものではなくて、心疾患とは一生付き合わなければいけない。
そうした子どもたちは成人を迎えることが難しい時代もあったが、医療技術の進歩や生活水準の向上に伴って長生きすることが可能となってきた。
私は、そんな一人だ。
ちなみに、先天性心疾患で生まれる子どもの割合は100人に一人と言われている。結構な確率で生まれてくると思う。
だから案外、あなたの周りにはそこそこ先天性心疾患の人がいるかもしれない。見た目は元気でも、そういった人がいるんだな~と知っておいてもらえたら私は嬉しい。
で、私はその先天性心疾患の中でも重症の部類である。
見た目は元気そのもので「あらお元気そうね」などと言われることが多い。けれどその実態はかなりの運動制限を伴い、薬をたんまり飲みつつ月に一度の検診を受けてその体調の維持に努めている状況が長く続いている。
たくさん歩くと苦しくなるから、距離のある移動には車いすを使うこともある。
そんな状態の私、誰かとお付き合いすることはあっても結婚に至ることはなかった。
互いの性格なども要因には違いないだろうが、体のことがあるとやはり好きようふふという気持ちだけでは難しい。
そして冒頭の「自分は結婚できないだろう」という考えに行きついていた。
☆
そんな私はとある人と出会いお付き合い、なんと結婚へと話が進んだ。
私に疾患があることや子どもを持てないことは彼やそのご家族には伝えていた。
将来的に体調を崩すであろうこともわかっていたので、彼のご家族の了承を得られなかった場合は結婚は諦めよう、そう思っていた。やはり、好きというエネルギーだけで結婚はできない。
ところが割とすんなり話が運んで、私はめでたく彼と結婚することになった。
そして私は今現在もその彼…夫と結婚生活を継続している。
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結婚式は双方の家族(親、きょうだいとその家族)+私の祖母だけの小さなものとなった。
真っ白なウエディングドレスに身を包んだ私、なかなかイケていた(自分で言うタイプ)。
結婚式の内容はごくありふれたものだった。
特に信仰心があるわけでもなかったけど、「やってみたい」それだけで教会で挙式した。
チャペルの扉が開き、父と私が入場。
父は「大丈夫か?」と私の体調を気遣ってくれていたけど、私はそれどころじゃなくて、途中でひっくり返るまい、それだけを考えていた。
でも父とバージンロードを歩いていると、なんだか感慨深いものがあった。
私は父とめちゃくちゃ仲良しだったわけじゃない。
いろいろな出来事があって父との関係がギクシャクしたときもあった。嫌いだと思っていた時期だってある。
そんな父は、私が外出するときに車いすを押してくれることが多かった。
車いすは、車いすに乗っている人(私)と押している人(父)が顔を合わせたり横に並んだりすることがない。前後の関係だ。
そんな「前後」にいることが当たり前の父が横にいて、腕を取って、一緒にこうして歩いているのがとても不思議で、嬉しかった。
☆
披露宴もとてもこぢんまりしたものだった。
誰かに芸を披露してもらうこともない、静かな、それでいてとてもゆったりとした良い時間だったと思っている。
乾杯の挨拶は私の父に頼んだ。
はっきり言って、何を話してくれたか覚えてない(ひどいぞ娘)。
ただ一つだけ印象的だったのは、
「自分が花嫁の父になれるとは思ってもいませんでした。今日のこの日がとても嬉しい」
そういうことを言いながら、にこにこと「乾杯!」とグラスを掲げたことだった。
そうか、父は私と同じように、私が結婚できないと思っていたのかもしれないな。
そんなこと口に出したことも態度に出したこともないけれど、きっと娘の行く末を案じていたに違いない。
そしてそれは母も同じだっただろう。
父母は結婚することが女性の幸せだ、全てだという考え方はしていない。
それでもどこかで、娘が誰かの元に嫁ぐことを夢見ていたのだろうと思う。
これまでの人生、いっぱい心配かけたなぁと思ったし、体のことがある以上、結婚以降も大いに心配させることになるだろう。
たぶん、父母の心配は尽きることがない。
でもこのひととき、こうして人生最高に美しい娘の姿(自分でいくらでも言うタイプ)を見せることができて良かった。
嬉しそうな顔を見ることができて良かった。
そんな風に乾杯しながら思ったことを、今でも忘れられない。
身内だけの結婚式といえども、準備はなかなか大変だった。
でもできて良かった。
祖母はずっと嬉しそうに笑って、そして油断すると泣いていた。
泣いて笑って、とても豊かな時間を持てたことが嬉しかった。
私にとって大切な一日になった。
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私と夫は遠距離恋愛だった。
結婚を機に私が引っ越したので、両親とは簡単には会えなくなった。
帰省は年に2回、夫と一緒に春と秋。いつの頃からか、そういうペースができていた。
帰省すると両親は嬉しそうに迎えてくれる。
そして帰省するたび、父は夫とビールで乾杯している。
と言っても、グラスを互いにコチンと合わせる程度の小さな乾杯だ。
私はお酒を飲むことができないので、夫と一緒にお酒を飲んだことがない。
誰かとお酒を飲むというのは楽しいのだろう、夫も父も、嬉しそうに飲んでいる。
私はそれを見ながら、飲み過ぎないか心配しつつも嬉しくなる。
年に2回の帰省、年に2回の乾杯。
これがあと何度繰り返すことができるかはわからないけれど、続くと良いな、そんな風に思っている。
☆
今年も春に帰省するはずだった。
でも、例の新型のアイツの影響で延期となった。
基礎疾患のある私が感染する、それはすなわち重症化を意味している(それだけでは済まない可能性も高い)。
極力リスクは避けたい。だから延期した。
それでもそのときは「秋には帰れるだろう」と考えていた。
でも現実はなかなか厳しそうだ。
現在の感染者数の増加傾向などを考えると、秋に帰ることは土台無理だろうと感じている。いや、秋だけではなく来年になっても帰省は難しい状況が続くかもしれない。
帰省うんぬん以前に、これから冬になるとこれまで以上に外出することそのものが難しくなるのではとさえ感じている。
基礎疾患がある私や、おそらくそうした人たちとその家族にとっては、新型だけでなくインフルエンザだって怖い。
だからそういうものが流行する季節はただでさえ神経を使う。
そこにこの新型の登場だ。しかも重症化リスクが高いと言われていて、それは世間一般の人たちが思うよりもかなり身に迫った危機として受け止めている。
この目に見えぬものとの戦いはいつまで続くのかはわからない。
ワクチンが安全に世界中に浸透するまでは、安心して外出することができないかもしれない。
両親に会えるのはいつになるのだろう。
でもこうして「会いたい人に会えない状況」にいるのは私だけではない。
いろんな人が会いに行きたいな、遊びに行きたいな、外出したいなという想いをぐっと堪えて日々の生活を送っているのだろうと思う。
(経済を回すためには動くことも必要で、だから外出する人たちを一方的に非難するつもりはない)
みんなが、会いたい人とにこにこ会うことができればいい。
早くそうなれば良いと願っている。
父と夫が乾杯して、楽しそうにお酒を飲む。
そのときがなるべく早く戻ってくることを願っている。