看護師さんがいてこその①
私が初めて長期入院したのは昭和の終わりのほう。
入院期間も伸びに伸びてすっかり「病院の子」になりつつあったあの頃、テレビからは「今日の天皇陛下の体温」が連日聞こえてきていた。私は当時おそらく、自分の体温よりも天皇陛下の体温変化に詳しかったと思う。そして多くの日本人がそうだった気がする。
それはさておき、当時の看護師さんの話をしたいと思う。
昭和と平成の間で
当時、看護師さんは「看護婦さん」と呼ばれており、女性ばかりが従事していた。
今では不衛生だと見かけることのないナースキャップを頭に被り、私がいた病院の看護婦さんの白衣はワンピースでスカートは膝丈だった。
私にとっての看護婦さんの「正装」は長らくこのイメージだった。
今はすっかり「看護師さん」で定着しているので、看護婦さんと書くと私の中で違和感がある。ということで、ここから先は看護師さんと表記する。
今思うと、よくあのスカート丈であんなに動き回っていたなぁと思う。
ベッドで寝ている患者と目線を合わせるためにしゃがんだ姿勢を取る看護師さんも多かったけど、膝丈のスカートではしゃがみにくかったのではないかな。
☆
当時私は11歳。
看護師さんたちがとても大人のお姉さんに見えた。
実際、看護師さんたちはお姉さんでありお母さんであり、優しく見守ってくれていた。
おそらく厳しいことを言われたこともあるはずなのだけれど、記憶の中ではみんな優しかった。
-----------------------
当時の検温時間は今と少し違っていた。
血圧測定は腕に巻いたカフ(と呼ぶらしい)をシュポシュポ手動で空気を入れて膨らませて、聴診器で音を聞くタイプだった(説明通じます?)。
心疾患の子たち、音がとても小さいとか聞き取りにくい子が多いそうで、「うーむ」と唸りながら何度も測り直していた。
Spo2(酸素飽和度)の計測はなかった。
当時パルスオキシメーターは手軽なものではなかったから、よほどのことがない限り出て来ない。というか、私はあの頃自分のSpo2がどのくらいだったかよく知らないし、気にも留めていなかった。
歩けば息切れするのは仕方ないし、唇や顔色が赤黒くなれば心臓に負担がかかっているから休憩しましょう…というよりも休憩しないと苦しい、という認識だった。
その代わり、看護師さんたちが必ず聴診器で胸の音を聴いていた。
軽くぽんぽんとするのではなく、胸は数か所、背中の音も聴いていた。
あれでどの程度変化がわかるのかは私にはわからないものの、とにかく看護師さんは皆聴診器を持っていた。そしてお洒落な看護師さんは赤色やピンクの聴診器を首にくるりと引っ掛けていて、それがとても格好良かった。
また、今のようにパソコンや看護師さん一人ひとりに端末が配られているわけではないので、記録は当然手書きで行われていた。
端末やパソコン入力も手間がかかるし、目がとても疲れると教えてくれた看護師さんがいたので、どちらがより労力を使うのかはわからない。
ただ、一旦書き留めたものをナースステーションに戻ってから、時間をかけて患者のカルテに記入していた背中を覚えている。
ゴルゴと呼ばれた人
なぜか、「ゴルゴ」とひそやかに子どもたちの間で命名されていた看護師さんがいた。
おそらくあの頃彼女は30歳にもなっていなかったはずだ。
今思えばどえらいひどい名前だ。
なんでゴルゴだったのかと言えば、彼女はものすごく凛々しい眉毛をしていて、かつ力持ちだったからだ。
そういえば彼女、関西弁ではなかった。話し方が標準語に近かったのも、なんとなく影響していたのかもしれない。
それにしても、たかだか10歳、11歳の子たちがつけた名前にしては、渋すぎやしないかと今思い返しても思う(というか、そんな年齢のときにゴルゴ13読めるのかしら…)。
☆
ゴルゴは子どもたちから愛されていた。
私も好きだった。
なんというか、嘘がない人だったのだ。
「これってどういうこと?」と質問すると、
「それは私、知らないわ。先生に聞いておこうか?」と、子どもを子ども扱いせず、何かを誤魔化すことをしなかったし、さっぱりしていた。
そういえば私、ゴルゴに
「ぱきらちゃんは見た目は子ども、中身はおばちゃんよ」
と言われたことがある。
某見かけは子どもの探偵さんと違って、高校生ではなくおばちゃんだったのが私っぽい。
そしてそう言われて本来怒らなくちゃいけないのかもしれない、でも私はなんだか大人になれた気がして、嬉しかった。
ゴルゴのさっぱりした部分が受け付けない人もいたかもしれないが、彼女は付き添い入院中のお母さんたちにも人気があった。
お母さんたちの、病児を育てる上での悩みはおそらく簡単に答えが出るものではなかったはずだ。
ゴルゴはただ「そうね。お母さん、そうだよね」とお母さんたちの話を聞いていた。
あの忙しい中、一人一人にかける時間が長く、ゴルゴはいつ昼ごはんを食べていたのだろうかと思う。
そしてそういう看護師さんは多かった。
昔も今も、その点は一緒だ。
繋がりたい…心電図で
長期入院で病棟にいることにすっかり馴染んでしまっていた私。
病棟にいる看護師さんたちほとんど全員、名前と顔がわかるようになっていた。
そんなある日、一人の看護師さん…Kさんが、私にこう言った。
「私、前々からやってみたいことがあったの。ぱきらちゃんでなきゃ頼めないのよ…。お願いしても良いかしら」
はてさて、何だろうと思いながら私はその看護師さんと一緒にナースステーションのモニター心電図画面の前へ(私は入院のたびにモニター心電図を装着して過ごしていた)。
私の波形が映っているモニターを見ながら、Kさんは言った。
「モニター心電図の電極を、ぱきらちゃんと私で分けてつけると波形はどんな形になるかなと思って。試させてくれない?」
つまり、私の胸に貼ってある電極3つ(赤、黄、緑)のうちの一つをKさんの胸の正しい位置に装着するとどんな波形になるか見てみたい、ということ。
何それ面白そう、と思った私はほいほい電極の一つを渡した(確か赤)。
するとKさんは自分の白衣のボタンを一つ二つ外し、上からグイっと電極を突っ込んで自分に張り付けた。
…当然のことながら、なんか妙というよりも、電極外れのときのような波形になった。
でもKさんはへこたれない。
「あ、じゃあ手を繋ぎましょう。もうちょっと近い距離にいる方が良いのかも」
そう言いながら私の手をがっちり握りしめ、私とKさんはひっついた。
11歳の患児と看護師が手と手を強く握りしめ、しかも手の繋ぎ方は「恋人つなぎ」で見つめ合っていたのだから、何も知らずにナースステーションに戻ってきた他の看護師さんは怪訝そうにしていた。
で、結果は誰が考えてもうまく行くはずもなく。
「残念だわ…」
Kさんは本当に残念そうだった。
今これを書きながら、もしやKさんはそういう面白いことをして、私の心を和ませようとしてくれていたのだろうか?と考えている。
ただ、Kさんのそれまでの雰囲気から、あれは本気でやってみたかっただけのように思うし、その方が楽しい。
看護師さんがいてこその
そんなこんなで、私はそりゃしんどいことはあるけれど、悲しくて泣いて過ごすということはなく、まずまず楽しい?入院生活を過ごしていた。
そしてそれは付き添い入院をしていた母にとっても良かったのではないかと思う。
母は私と一緒にずっと病院にいて随分と疲れていたけれど、少なくとも娘が精神的に塞ぎ込んでいるようなことはなくて、それだけでも安心だったのではないかと思う。
-----------------------
長期に入院すれば、それだけ関わってくれる看護師さんは多くなる。
もちろん私も看護師さんも人間なのだから、
「あの看護師さんはなんか苦手」と思うときがあったし、
「あの子やりにくい」と思われていたかもしれない。
それでも私は看護師さんたちに感謝している。
医師が担当する患者は少なくない。
一人ひとりの細かな変化を医師だけで把握するのは難しい。
だから患者自身やその家族が「自分(家族)の体調の変化」を訴えるのだけれど、それがうまく通じないことはままあることだ。この頃の私の場合は「何がしんどいのか、それがわからない」状態なのだから、なおさらだった。
看護師さんから見て「あら?」と感じる私の小さな変化を主治医に伝えてくれることで、「今日は〇〇なの?」と主治医が様子を見に来てくれることだってある。
あるいは患者側が、医師には言いにくい(聞きにくい)ことを、看護師さんなら躊躇わず聞ける場合だってある。
看護師さんを挟んでのやり取りで医師とのコミュニケーションが取れることもあるのだ。
医師がその力をいかんなく発揮できるのは、その影に看護師さんがいてこそだと私は思っている。
(もちろん看護助手さんや薬剤師さん、技師さんとか、いろんな人たちもいるけれど、ね)
☆
ところで、今回の新型のアイツのせいで、看護師さんたちがいわれなき差別や偏見を受けているとのこと。
私はとてもとても腹立たしい。
医療従事者は、いつだって、そして今は特に感染症に気をつけているはずだ。なぜなら自分たちの身が危険になるのはもちろん、患者の身も危険にさらすことに繋がるからだ。
「命を救いたい」「助けたい」
そう思っている人たちだからこそ、患者にとって不利益になることは避けたいと考えているだろう。
そうしたプロたちが気をつけていても感染してしまう可能性がある、そういう怖い病気であるのだ、だから我々も一層身を引き締めなければ…そんな風に思うことなく「看護師がそばに寄るとうつる」などと、本当にもう、なんと言えば良いのかわからないほど怒りを覚える。
看護師をないがしろにしていると、今にひどい目にあうぞ。
そんな風に思う。
私は30年超が経過してもなお、当時の看護師さん数人のことを覚えている。
そして高校の頃に入院したときも、20代前半に入院したときも、そのあと数々入院するたび、必ず印象深い看護師さんと出会うし、忘れることはない。
けれどそうして出会った看護師さんとは、おそらくその後再会しない方が良いのだ。
私は「再会しないこと=入院しないこと」が元気である証拠で、看護師さんへの恩返しに繋がるのだと考えている。
看護師さんたちとの関わりはほんの僅かの期間だ(僅かにならないときもあるのだけれど、それでも多くは一時的なものだろう)。
仕事とはいえ、そんな短い期間しか関わることのない第三者に対してあれほど親身になってくれる人たち。
自分で選んだ職業なのだから当然?
そんなことは決してない。
看護師という職業は、ドラマで見かけるほどキラキラ華やいではないし、男前の医師と結婚できるわけでもないし(ごくたまにそういうケースも見かけはするが)、ネイルはできないし、夜勤が続くとお肌が荒れるし(と、看護師さんが教えてくれた)、友だちと休みが合わずに遊びにも行けない。とんでもなく厄介な患者だっているだろう。
簡単にできる仕事ではない。
尊敬しかない仕事だと私は思っている。
私は今だから拍手を送りたいのではなく、いやもちろん今もだけど、いつも、いつだって全力でありがとうの拍手を心の中でしている。なんならスタンディングオベーションだ。
そしてそんな患者は山盛りいる。
どうかどうか、ご自身の体調も気をつけて。
そしてどうか頑張り過ぎて燃え尽きることなくいてください。
今日も本当にありがとう。
感謝しています。
-------------------------
看護師さんについてはまだまだ書きたいことがある。
ということで、来週もつづきます。