「檀一雄の従軍日記を読む」を読む
「檀一雄の従軍日記を読む」(新潮社 図書編集室)は、今年七月に発売された。著者の山城千惠子さんは「石神井公園ふるさと文化館」で、檀一雄、五味康祐ら、練馬区ゆかりの芸術家の資料調査をされた学芸員の方だ。
檀一雄は、1944年7月から翌1945年5月の帰国まで、陸軍報道班員として中国大陸に渡っている。檀の従軍は中国大陸を南北に縦断する大規模の作戦について、その戦果を広める記事を書くのが目的だったらしい。日記そのものは彼が生まれた山梨の県立文学館に収蔵されていた。
帰国時の雑嚢には日記ノートが五、六冊入っていたそうだが、現在遺されているのは7月から10月までの間、B5判のノートに書かれた二冊だけである。「檀一雄の従軍日記を読む」では、日記本文に筆者が注釈をつける形で、従軍中の檀の足取りを追っていく。
戦争中のことゆえ、軍の機密に触れるところ、例えば、隊の目的のような情報は日記でもぼかされている。兵士たちの日常についても、戦争の悲惨さを克明に表現するような箇所は見受けられない。厳しい軍隊生活の描写が全体を占めると思うと肩透かしにあう。
一方、「従軍日記」の貴重なところは、その後の檀一雄の作品との関わりのところだ。彼の代表作の一つである「リツ子・その愛」と読み比べると、ほぼそのままのところもある。
出発前、師・佐藤春夫のところに挨拶に行った檀は、一篇の詩を贈られるが、「旅先の日記を欠かさぬようにするのが大切だよ、後で覚えていると思っても、記憶という奴はあてにならないからね。後かたもなく消え失せる」(「リツ子・その愛」)と諭された。
観察を旨とした日記の形式であっても、日常の事件からの取捨選択は当然施されるだろし、事実をベースにした小説においても脚色されていくわけだが、小説にあわせて日記を読むと、答え合わせのようで興味深い。
それと、日記では頻繁に俳句や短歌が登場する。昨今の小説家では見られないことだろう。
結核に倒れた妻との日々をつづった「リツ子・その愛/その死」では、もっぱら敗戦後の困窮を描いているが、通奏低音としては直前の戦争体験が流れているように思う。
壮絶な、圧倒される作品であることは疑いもないが、戦争、闘病、愛と死をメインテーマにすえた内容が、はたして今の読書人の共感を得られるのか、これは好みが分かれる気がする。
「リツ子・その愛/その死」は、現在、文庫の形で書店に並んでいないはずだ(電子書籍では読める)。このあたりはおおむね同じ時代を生きた太宰治とは大差がついていると言わざるを得ない。
なお、「石神井公園ふるさと文化館 別館」では、檀一雄の紹介があり、書斎が再現されている。
妻の律子(小説ではリツ子)が亡くなったのが1946年。最後の日々は石神井から離れた福岡県で迎えた。
歴史研究家で作家の葛城明彦氏の資料によると、1945年8月8日、高性能1トン爆弾2発が石神井公園駅ボート池付近に投下されたそうだ。石神井が集中的に爆撃されたのは、軍の重要拠点であったからという。
今は「野外ステージ」としてイベント利用されている池畔のなだらかな観覧席と舞台は、この時の爆撃跡を利用して造成されたものだという。戦争体験の風化、伝承不足と言えばそれまでだが、ボートが行き交う現在ののんびりした公園からは、その時の様子はまるで想像もつかない。