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石神井で「灯篭流し」

 今年の夏も記録的な暑さが続いている。気温が体温より高い日は珍しくない。各地でオーバーツーリズムが問題になっているが、こんな日本に「よくぞ来てくれた」と感心してしまうほどだ。
「石神井松の風文化公園」の敷地内に、アメダス練馬観測所(練馬地域気象観測所)がある。空高く伸びるプロペラの風見鶏が特徴だが、連日の暑さに風見鶏もうんざりしているのではないか。昔から練馬区は涼しい海風が流れにくい。今の都心は建物の建設ラッシュで、この傾向はますます進むからして、練馬区長は他の区に苦情のひとつも言って欲しい。

「緑のカーテン」が欲しくなる

 酷暑が続く中、石神井では今年も「納涼 灯篭流しの夕べ」が開催された。これは毎年八月の第一土曜日に行われる。一時、コロナで取りやめていたのが昨年から復活した。
「灯篭流し」は日本の伝統行事の一つだが、意味合いは最近まで知らなかった。一般的にはお盆の送り火の一種のことだろう。海や川に流す形が多いが、石神井では石神井池(ボート池)が会場だ。
 石神井で灯篭流しは始まったのは1950年。今年で74回を迎え、同じく石神井の恒例行事「照姫まつり」よりも歴史が古い。終戦後、五年目を迎える時期にあたるが、特別な思いがあったのだろうか。今は缶ビール片手に参加する人も多いけれど、昔は戒名が書かれた灯篭もあったと聞いた。

少し前から、のぼりが立つ

 石神井池のことを少し書くと、これは1934年に三宝寺池からの流れを堰き止めた人工のボート池である。中の島の以西は、1930年に造られた釣り堀だったらしい。
 ボート乗り場の近くにばしゃばしゃと水が落ちるところがあるが、この水は現在、近くの石神井川へとつながらず、下水へとつながるそうだ。あったはずの川筋のいくつかは緑道などになり、もともとの水の流れをとらえるのは容易ではない。水源の三宝寺池も湧水が枯渇し、どちらの池も深井戸からの揚水でまかなっている。通り過ぎるだけでは分からないことが多い。いずれにせよ、池の周りはだいぶ人の手が入っている。

 石神井を代表する作家・檀一雄が直木賞を受賞したのが1950年。まさに灯篭流しが始まった年にあたる。彼が太宰治や坂口安吾との交遊をまとめた「太宰と安吾」によると、直木賞が決定した日、東京は何十年かぶりの大雪だった。
 仕事で徹夜明けの檀は、宿からタクシーで石神井に向かったが、「蛙の詩人」草野心平が仮住まいをしていた御嶽神社の辺りで溝に落ちる。吹雪の中、檀と妻は家に戻ろうとするのだが、「せいぜい二キロ」と見積もった道中で遭難しかかってしまう。「ようやく石神井池らしいものにたどりついて、助かったのだ(以下略)」と書かれている。
 なんだか大げさな気がするが、七十年前は畑ばかりで、停電のためか灯りを失った人家は今よりずっとまばらだったろう。どんな写真よりも当時の石神井の景色が目に浮かぶため、私はこのくだりが好きだ。今でもこんな感じであったらな、とも思う。

イメージ。雪の石神井

 灯篭流しの灯篭は当日の会場でも買えるが、事前に購入出来る店もあり、私はなじみのある「友野屋酒店」で手にいれた。灯篭にはマジックなどで祈りを書く。
 願いごとは健康や家内安全のような言葉が多い。パリではオリンピックが開催された一方、各地で紛争が絶えない。今年はやはり「世界平和」という文字が思い浮かぶ。
 預けた灯篭はまとめて流され、速やかに回収されていく。優し気な光を放ち、水面を漂うのはつかの間のことなのだ。海や川に流すわけでもない。ある意味、環境には優しい。

「照姫」の灯篭も

 夏の日がゆっくりと暮れる頃、今年も結構な人が出た。池畔なこともあるが、風が出るとそれなりに過ごしやすい。浴衣を着た人もいる。うちわの代わりの今はハンディファンだ。もう何十年かすれば「当時、ハンディファンが流行ったよね」となるかもしれない。
 昨今は急な雷雨が多く、今年も無事、灯篭流しが行えたことが喜ばしい。

夜風が優しい


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