「しもしゃく祭り」と千川上水橋梁
西武池袋線・東長崎駅の周りには商店街が広がっている。中でも北口から椎名町駅方面に向かう通りでは、何十年も前は青果店、鮮魚店から「いらっしゃい、いらっしゃい」と威勢のよい掛け声があがったものだ。
平成になって商店街の先に「東急ストア」がオープンした頃、これで個人商店は壊滅だろうと考えたが、ずっと並走し続けてきた。今は豊島区の「まちづくり」の一環で店が立ち退き、付近はがらがらになっている。
古い木造住宅が多かったし、道路も狭い。防災性の向上と居住環境の改善を目指すようだが、昭和色の濃かった街の様子を知っている者にとっては無残な景色だし、生まれ育った者は故郷を失ったような思いだろう。
もう何年かすると、ここがどんな場所だったか分からなくなるはずだ。後継者問題も少なからずあったろうが、商店街の掛け声はずいぶん前に止んでしまった。
西武新宿線の上井草駅は杉並区だが、千川通りを渡って練馬区に入ったところから、「下石神井商店街」がのびている。ここも昔ながらの商店街だが、先日の金曜土曜と、通りでは「しもしゃく祭り」が行われた。
「開催」と呼ぶにはささやかな規模だが、普段どこにいるのかと思うほど、地元の子どもや親たちが参加する。サンバパレードは今年もなかった。かわりに大道芸や踊り、地元の井草高校の吹奏楽演奏など、大人はビールと唐揚げがあれば満足しているところもある。
会場の一角のファミリーマートは、昨年閉店して一年経ってからもそのままだ。閉まったままのところは他にもある。最近、上井草駅の近くにスーパーがオープンし、買い物に困ることはないわけだが、人気のない店が付近の印象を寂しいものにしてしまうのは残念だ。
一方、この二十年ほどの間には、いくつか新しい店も開いている。もとは上石神井や大泉学園にあったそうで、沿線からの移転組は多いのではないか。個人商店と保護樹林が減って、大手スーパーが乗り出し、住宅はさらに増えた。こうした状況を踏まえれば、さびれたということではない。
下石神井商店街の中には、前の東京オリンピックの時からやられている店がある。その頃の話を聞くと、最近開いたばかりのスーパーのそばでも、今は暗渠になった「千川上水」が流れていたそうだ。
千川上水は玉川上水を水源とし、古くは江戸への飲料水供給のため、その後は灌漑や工業にと目的を変えて、1970年の頭には役割を終えた。
「昔は近くに桜並木があって、蛍もいた」という。のどかないい時代のように感じられるけれど、付近の川は現在のように整備されていないし、大雨の時は、店の中まで水が入ってくるなど、苦労もあったようである。
1989年、千川上水は東京都の「清流復活事業」に伴い、一部で流水が復活したのだが、今は大半が暗渠のままだ。ところが、上井草駅西側の線路上にかかる「千川上水橋梁」ところは開渠となっていて、珍しい。
古い鉄橋の周りは、夏草で覆われ荒れている。のぞき込むものの、水の存在は確認出来なかった。この辺りは交通違反取締りのパトカーが停まっているのが常だったが、長い間、見ていない。まさに捨て置かれた感じだが、一度は復活させた流れの扱いは、この先もどうにかならないのか。ここは練馬区と杉並区の境なので、行政がうまく機能しないのかもしれない。
変化を期待出来そうなのは、この度の西武新宿線の高架化事業だ。すでに計画が進みそうな案内が出ている。跨線橋すらない上井草駅。ホームが短く電車がはみ出るこの駅の周りには、「ちひろ美術館」、ガンダムのブロンズ像、早稲田大学のラグビー場と、他にはない見どころがある。駅の周りの南北の商店街も、高架化を機に盛り上がって欲しい。
一方、千川上水橋梁は、ひっそりと撤去される気がする。この橋は1927年、西武新宿線開業の前年に竣工されたものらしいが、高架となれば必要はあるまい。それまでの間、やぶ蚊の出そうな茂みを刈って、ベンチでも置いてみてはどうか。水がなければ蛍までは望めないが、往時のせせらぎを偲べそうなものだが、どうだろう。
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