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石神井と郷土文化館

 この週末から「石神井公園 ふるさと文化館」では、企画展「石神井ものがたり」が開催される。今年三月で開館して15年になることを記念するもので、あらためて月日の早さに驚く。
 ふるさと文化館は石神井公園の石神井池側と三宝寺池側の間、井草通り沿いにある。夏の間しか使えないが、「石神井プール」が併設されている。プールの建築の方が古いので、文化館が新設されたと言うべきかもしれない。

 ふるさと文化館では、練馬におけるかつての生活の模様が常設されている。石神井ゆかりの作家などの企画なども適宜行われているが、昨年の特別展「大漫会の漫画家たち―石神井公園の桜の木の下で―」は面白かった。これは、石神井公園でのお花見会、通称「大漫会」に参加してきた漫画家、アシスタントらの交友を取り上げたものだ。
 1984年に始まった大漫会は、最盛期には、最大100人を超すときもあったというからすごい。すでに終了しているので詳細は割愛するが、レジェンド、ビッグネームの展示が集まり、練馬の漫画家陣の層の厚さを見せつける内容となっていた。

「大漫会の漫画家たち―石神井公園の桜の木の下で―」

 こうした地元の文化館はどの地域にもあるのだろうか。1月26日に終了してしまうため、急いで書くが、「杉並区立郷土博物館 分館」では、企画展「荻外荘と近衛文麿」が開催中だ。
 荻窪の「荻外荘」とは、政治家・近衛文麿が1937年の第一次内閣期から、1945年十二月に自決するまで居住した館である。昨年、復元整備され、一般公開されたことから、あらためて展示会が催されたようである。
 学芸員の方の説明によると、今回紹介されているのは、レプリカではなく実物が多く、貴重なもののようだ。直筆のメモなど見ると、写真などとは違って、実際の人物に触れたような気になってくる。

 私が杉並区立郷土博物館分館を知ったのは、noteで記事を読んだことがきっかけで、いつか行こうと考えていた。杉並区は隣の区だが、分館があるのは荻窪駅よりも石神井に近いぐらいで、衛生病院、天沼教会あたりには、それなりに土地勘がある。太宰治が檀一雄と酒を酌み交わしていた時分には、すたすたと歩いて、十分行き来できたのではないか。もっとも分館の建物は住宅街の公園の中にあって、少し迷う。

「杉並区立郷土博物館分館」

 荻窪に長く住んだ井伏鱒二の随筆「荻窪風土記」では、関東大震災から第二次戦争後までの荻窪界隈の様子が描かれている。資料的にもかなり貴重なものだが、大正の頃の天沼キリスト協会の話として、「洗礼を受ける者は、善福寺川の薪屋の堰というドンドンで水を浴びるので、ここの土地っ子は善福寺川をヨルダン川と言っていたという」文章がある。
 私はその「薪屋の堰」について知りたかったのだが、分館で買い求めた「井伏鱒二追悼特別展」のパンフレット(編集・発行 杉並区立博物館)で、解説図を見ることができた。田んぼや水遊びをする子(?)らと聖職者らが描かれていて、その光景をそのままヨルダン川と重ね合わせられるかはともかく、何とものどかであった。
 分館の方の説明によると、「薪屋の堰」は、善福寺川と今の環状八号線が交差するあたりにあったという。善福寺川は暴れ川としての歴史を持つが、今はきっちりと固められている。「荻窪風土記」によると、井伏鱒二が荻窪に住み始めた頃は清流のような姿を保っていたらしいが、都市においては氾濫対策がもっぱらだろうから、今さら当時の様子を期待する方が難しい。

 文化館にしても、地域の図書館にしても、おっと思うような魅力的な展示や講演会が行われている。時間や興味がなければそれまでだけれど、知識を得ることで、たとえば、車が行きかう現在の環八も違って見えるはずだ。おおむね入場料や参加費は無料のことが多いし、資料も揃っているので、利用しない手はないと思う。

今の「善福寺川」

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