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三たび、石神井で「銭湯」を

 石神井で「豊宏湯」、「たつの湯」に行ってから、三たびの銭湯であった。突然、銭湯に凝り始めたわけではなく、ファンである作家・開高健のことで、自分は思い違いをしていたのではないか、気になったからだ。

 開高健の「ずばり東京」は、来るオリンピックに沸き立つ1960年代前半の東京を取材したルポルタージュだが、その中の一篇「練馬のお百姓大尽」に、「富士見湯」という銭湯について触れた一節があった。
 開高が「駐車場つきのすごい銭湯が練馬にある」と知り、行ってみると、「なるほど畑のなかに鉄筋コンクリ造りの御殿『富士見湯』は、堂々、冬の風と空を制して、すごいものであった。」。そう書いている。
 開高は当時「杉並のはずれ」である井荻に住んでいて、そこは石神井のすぐ南であり、自分は銭湯の名前だけを見て、かつて石神井台三丁目にあった富士見湯のことだと考えていた。
 富士見湯は昭和36年(1961年)に開業。建物・諸設備の老朽化もあり、平成21年(2009年)に閉業したらしい。最近、この辺りを歩くことがあったが、「ずばり東京」で書かれた銭湯は本当にこの銭湯であったのか、疑問がわいたのだった。

開高健が訪れたという井荻「喜久家」

 富士見湯は、UR住宅「パークサイド石神井」の先、いくつか店が集まっている界隈にあったようだ。街は懐かしさを感じる部分も残っているものの、全体的には整然とした印象があり、開高健が描いた畑の中の堂々たる建物が思い浮かばない。六十年近い前だから、まるごと風景が変わってしまっただけかもしれないが。

 そばに「古本喫茶 マルゼン46」というカフェがあった。外から見ると古書店にしか見えないのだけれど、奥に入るとカフェになっている。
 マルゼン46は今年、十七年目を迎えたとのこと。表に雑誌「男の隠れ家」に取り上げられた際の記事が貼られている。「46」はシロウと読み、店主の名前だ。「マルゼン」は近くで父親が経営していたスーパーの名前にちなむことが分かった。人通りがあった当時の当時の往来を取り戻すため、もともと駄菓子店だったところを改装したそうである。
 居心地はすこぶるいい。六十年代、七十年代のコミックが読める。自分の他にも客の姿があって、狙いは成功しているようだ。その日、店のスタッフは若い女性で、いきなり銭湯や開高健の話は出せなかった。質問するのは、もう少し店に通ってからだろう。

「マルゼン46」にて

 一方、富士見湯ではなく「富士の湯」があるのは、石神井公園駅を北に進んだ三原台だ。その先の東大泉には東映の撮影所がある。
 最近発売された「散歩の達人」(交通新聞社)によると、富士の湯は、1962年、先祖代々の農地を手放し、建築費にあてたという。行ってみると、宮造りの堂々とした建物で、脱衣所の脇の小さな庭園では鯉が泳ぎ、旅館のようだ。ここも開業は東京オリンピックの少し前だし、井荻からは真北にあたるし、「ずばり東京」にある描写を思わせなくもない。
 中はペンキ絵ではなく、タイル絵が使われ、木立のような模様が描かれていた。私のような一見客は、こんな時いつも居心地の悪さを感じるが、常連さんは一向他人を気にするでもなく、髭など剃っている。
 洗い場のカランの下にガラスがはめられ、中からも錦鯉が泳ぐ様子が見え、驚いた。開業したばかりの頃は、こうした仕掛けが話題になったのではないか。
 脱衣所では「はぐれ刑事純情派」の藤田まことや、「相棒」の水谷豊のサインを見つけた。東映が近かったせいか。ここ最近をめぐった銭湯では、往年のプロ野球やプロレス関係の写真が飾ってあった。これで開高健の記事でも貼ってあれば、「ここだ!」とは思うが。
 ルポルタージュで「湯」と「の」は間違えないかもしれないが、いつかはっきりさせたい。

「富士の湯」。手前はランドリー

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