ムスメ(3歳)と半日かけて全力でむきあった「おもちゃだいじにできないならすてるよ!」バトル譚
3歳になって、ムスメがいろいろなことをおぼえてきました。うれしいことも、すこし困ることも。そんななかでおきた、一生わすれないであろうムスメとのバトルについて書きます。
少しまえから、「ムスメちゃん、このおもちゃいらない〜」という発言が増えてきて、ちょっと困っていたんです。
ものは大切にしてほしいし、私たち両親や、じいじ、ばぁば、その他のムスメを愛するひとたちからの、想いのこもったプレゼントのおもちゃならなおさら。
どう対応すべきだろうか、とおもっていたところ、私とムスメの2人ですごしているときに、また「ムスメちゃんこのおもちゃいらないもん!」がはじまってしまいました。
一度どこかのタイミングで、しっかり向き合わないとな、とおもっていたので、いっちょとことん向き合ってみることにしました。
以下、その日の10時から18時までのバトル譚。
「ムスメちゃん、一回おもちゃお片付けするよ!なくなっちゃうよ!」
「やだー、ムスメちゃん、このおもちゃもういらないもん」
「…おもちゃいらないの?」
「いらなーい」
「じゃあポイする?」
「うん、ポイする!」
「ばぁばがくれたおもちゃだよ?ポイしたらばぁば悲しいよ?」
「だってムスメちゃんもういらないんだー」
「そっか、もうおもちゃいらないんだね、じゃあぜんぶポイしようね」
「?」
「大事にできないなら、おもちゃぜんぶいらないよね?」
「いらなーい」
「わかった、じゃあぜんぶゴミ収集車さんに持っていってもらうね」
家にあるムスメのおもちゃというおもちゃをすべて段ボールや収納ボックスにつめこむ。パズルも画用紙もクレヨンも、おもちゃのギターも人形も赤ちゃんの時にお気に入りだったハンドパペットも、クリスマスにもらったおままごとセットも、誕生日にもらったバイキンマンもぜんぶ、箱につめて家の外に運び出す。
ムスメはというと、はじめはあっけにとられた表情をしていたけど、なぜか自分から積極的におもちゃを箱につめだす。
「パパ、これもあったよ」
「ありがとう、パパ忘れてたや。これもポイしようね」
ムスメの謎の協力もあり、30分くらいの作業で、すべてのおもちゃを家の外に運び出すことができた。
その後、おもちゃのなくなった家の中で、なにもすることがなくなったムスメ。なにか遊びたいけど、おもちゃをすてることに反対もしなかったし、という矛盾のなかで揺れ動いているのかな、という、なんとも複雑な表情をしていた。
この時間が、なんとも切なかった。ムスメが本気で「おもちゃいらない!」と言っている訳ではないことは、わかっている。おもちゃで遊びたいに決まっている。でも、家の中からおもちゃが消え去ってしまった。どうしよう、どうしたらいいんだろう、と、ぐるぐる考えているのかもしれない。ムスメがうまれて、こんなにも切なく、胸が苦しくて、泣きそうになる感情が押し寄せてきたのははじめてだった。
しばらくすると、半分ひとりごとのように
「ムスメちゃん、おもちゃであそびたくなっちゃった」
とつぶやいた。3歳児がせいいっぱい考えて、絞り出したことばだったんだろうけど、折れてはいけない、と感じた。ここで
「じゃあおもちゃ取りに行こうか。もういらないらなんて言っちゃダメだよ」
なんてこっちが妥協してしまうのは、ムスメにとっても、おもちゃにとっても、おもちゃを買ってくれた人にたいしても失礼だと思った。今日はとことん向き合うのだ。うまれてはじめて、心を鬼にした。
「でも、おもちゃもうポイしたよ?」
「やだ、おもちゃであそびたいもん!」
「ムスメちゃん、さっきおもちゃいらないって言ってたでしょ?いらないからポイしたんだよ」
「…」
泣くでもなく、怒るでもなく、落ち込むでもなく、複雑な表情で突っ伏すムスメ。それをみて泣きそうになる父。これはもうバトルだ。意地の張り合いになってはいけないが、折れてはいけない。ここで折れるんなら、はじめからバトルを申し込んではいけないとさえ思う。
静かな攻防はつづくが、お昼ごはんの時間はやってくる。お昼ごはんは楽しくおいしく食べたい。おもちゃバトルとお昼ごはんは別物だ。
ムスメと手をつないで、近くのスーパーに行き、ムスメのリクエストどおりにうどんを買った。ムスメはさいきん、わかめうどんにハマっている。
買い物に行くときと帰ってきたときに、玄関の横に山積みしたおもちゃたちが目に入る。一瞬おもちゃに近づこうとするムスメの手をそっと引き、そこにはなにもないかのように通り過ぎるようにした。
わかめうどんを楽しく平らげたあとも、ムスメと父のバトルはつづいた。少しこちらから歩みよってみた。
「ムスメちゃん」
「?」
「パパはね、怒ってるんじゃないんだよ。悲しいんだよ。ムスメちゃんのおもちゃは、パパとかママとか、じいじとかばぁばとか、サンタさんにもらったらでしょ?」
「(ムスメうなずく)」
「みんな、『ムスメちゃんが楽しく遊んだらうれしいなー』っておもって、プレゼントしてくれたんだよ」
「…」
「だから、おもちゃいらないって言ったら、パパはものすごく悲しかったよ」
「…だってムスメちゃんだいじにできないもん」
「だいじにできないの?」
「…」
「じゃあおもちゃいらないね。大事にできるんなら、いっしょにおもちゃ取りにいこうと思ってたんだけど、いらないね。悲しいよパパは」
「…」
そんなやりとりを何回かしながら、「怒っている」と思われないように気をつけることにした。「パパが怒るからおもちゃを大事にする」「パパに怒られたくないからいうことを聞く」になってしまったら、このバトルは台無しだ。
3歳児には、すこし酷な課題かな、とも何度も考えた。でも、3歳児とはいえムスメもひとりの人間。ナメるのも失礼だ、信じよう。というところに落ち着いた。
その後は、同じようなやりとりをしながらも、膠着状態がつづいた。
ついに、18時になった。夕食の準備をしながら、ママの帰りをまつ。
そんな時、とつぜん勝負は決した。
「…パパ」
ムスメが真顔でつぶやくように言った。
「なぁに?どうしたの?」
できるだけ思いを発しやすいように、目線を同じ高さにして話をきく。
「ムスメちゃん、おもちゃ、だいじにできる」
「…大事にできるの?」
「(ムスメうなずく)」
「お片づけもできる?」
「お片づけする」
「もう『おもちゃいらない』って言わないでね?」
「(ムスメうなずく)」
ここで父の感情が爆発!!
「えらいよ〜!!!よくいえたねー!!!大事にしようね!おもちゃ大事にしようねー!!!」
ムスメを抱きしめてわしゃわしゃしながら、たぶん泣いていたと思う。ムスメの成長を感じるうれしさと同時に、辛い気持ちにさせたことへの罪悪感やその他もろもろの感情が押し寄せてきた。
それからは、2人でおもちゃを元の場所にもどした。片付けはたいへんで、途中で体力が尽きそうになっていたけど、お気に入りの小魚のおやつを食べて体力を回復させ、最後までやりきった。
自分から「だいじにできる」なんて、3歳の時の自分なら言えただろうか。いや、絶対にいえない。この半日で、ものすごく成長してくれたように感じた。父とのバトルに、ムスメは自力で勝利したのだ。それも大勝利だ。すごい。
それからというものの、ムスメはおもちゃで遊んだあとの片づけを(わりと)するようになった。ときどき、片づけをしなかったり、「これいらない」と口走ることがあるものの、「あー…」とこっちが悲しそうにいうと、「ちがうちがう!ジョーク!」みたいな顔で片づけをはじめる。おもしろい。
ムスメとこんな形で全力で向き合うのははじめてで、とても疲れたけど、向き合ってよかったとおもう。そして、一生忘れないだろう。
ムスメの結婚式で新婦の父親のスピーチがあれば、この日の思い出を泣きながら話そう。そんなことを思った、ムスメとの半日だった。