![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/101188287/rectangle_large_type_2_e7ccb085acf6ae2c7f0786d1ff3b1d27.png?width=1200)
【備忘録】ベンゾ減薬記録21(終)
この記事は、あくまで一個人の体験記録です。「私の身にこんなことが起こりました」という情報にすぎず、医学的・薬学的なアドバイスをするものではありません。
ベンゾジアゼピン減薬の進捗を記録してきました。
私のベンゾに関連する体験と、今までの減薬記録はマガジンにあります。
ジアゼパムを断薬をしてから1か月以上経過。
断薬からの体調変化(断薬日から3週間目~約4週間目)
夜のお祭りは少し落ち着きを見せました。原因が夜間低血糖なのか、離脱症状なのか、その他なのか、あいかわらず分かりません。
腹痛、じんましん、吐き気、歯の噛みしめ、歯茎の違和感がありました。断薬の余韻なのか、それともストレスが増えたからか。原因は分かりませんが、いなしながら過ごしました。
【ひとりごとのコーナー(モチベーションを保つ)】
モチベーションを保つ「これでやる気が出る」「気持ちが下がらない」方法って、人によって違う。私の場合はどうだったのかな。考えてみました。
・減薬の過程が科学実験に似ていた
プロフィールにも書いたように、私は実験器具を用いた測定検査・管理業務を学生時代からずっとやってきた人間です。細々とした作業を1人で黙々とするのが好きなタイプなので、減薬の過程も似たような感じだったのかも。減薬進捗をグラフや表で「見える化」して確認していたので、ちょっとでも前進したときにはモチベが上がりました。
・目標が小さかった
成功体験を積むことでモチベーションが上がるのなら。目標をすごく小さく細かくすれば、いいのではないか。ということで、1日の目標は「ご飯を食べられたか」とか「歩けたか」とか。いつまでにこれだけ減薬するぞというような大きな目標は作りませんでした。状況によって変化する体調に対して、遠い未来の大きな目標は遠ざかっていく気がするばかりでしたから。
・情報との距離の取り方
前向きに減薬に取り組める情報は取り入れ、ネガティブな情報は避けました。気を揉むことに自ら首をつっこまないように。ストレスになる情報には近づかないように。特にテレビは点けてたら勝手にネガティブが入って来るので消してました。SNSでは、ネガティブワードはブロック設定。心に良い情報と付き合い、気持ちを下げないようにしました。
・協力し合う人たちがいた
私のことを大切に扱ってくれてるなと思う人たちに支えられました。現主治医(減薬に理解がある←ココ重要)との関係は良好だったと思います。私主体の減薬に協力してくれていました。減薬がうまくいったと報告すると褒めてくれました。嬉しかったですよ(単純)
薬剤師さんも減薬をいつも応援してくれました。メンタルクリニック横の薬局だから、患者への対応を研修とかで勉強してるんだろうな。「がんばってますね」「無理しないようにね」そのたった一言が私の背中を押してくれていましたよ。
さて、ここからは、私の今までの減薬記録の総まとめです。
【グラフで減薬経過を見る】
1つ目のグラフは、本格的なジアゼパム減薬を開始してからのものです。減らしてステイの階段状。
幸い、私は再服薬することなく減薬することができました。
![](https://assets.st-note.com/img/1663730879802-8E7lrqnAIZ.png?width=1200)
ベンゾショック時から、ステイ、ジアゼパム置換の期間を含めると、グラフはこんな感じに。
![](https://assets.st-note.com/img/1663730812239-PRn5mSucBY.png?width=1200)
以下、時系列で簡単に、何が起きたのかまとめてみます。
2019年 夏
ブロマゼパム急減薬&フルトプラゼパム一気断薬してしまう(医師の処方通り)
激しい離脱症状が続いて仕事を休む
アシュトンマニュアルにたどり着き、断薬を決意
絶対増薬したくないと思って再服薬はしない選択をしてしまった
胃薬(多剤)でなんとかご飯を食べられる状態
怒りの感情がMAX
2019年 秋~冬
1人での生活は無理だと実感して、実家にヘルプ
肉体的、精神的に底(特にアカシジアが出ている時)
薬がないと動けない、これが身体依存なのだと意識した
苦しいステイ
喜び・感動の感情が湧かない、抑うつ状態
2020年 春
退職で仕事のストレス減
転院
疑心暗鬼・粘着する感情が強く、家族にやたら攻撃的になっていることを自覚
食事改善スタート。胃薬を徐々に減らす
ジアゼパムへ置換開始。遷延性離脱症状はだんだん楽になった
2020年 夏(急減薬から1年後)
ジアゼパムへ置換完了
ステイ
2020年 冬
ジアゼパム減薬スタート
減薬すると、離脱症状が出た
夜中の不快な症状が出てきた
2021年 夏(急減薬から2年後)
減薬50%
不眠が辛い
2021年 冬
体が動くようになってきた
やる気が出てきた
興味関心、喜び感動の感情が戻ってきた
2022年 春
減薬ラストフェーズ
減薬ペースを落とした
ますます体が動くようになった
疑心暗鬼・怒りが落ち着いてきた
2022年 秋(急減薬から3年後)
断薬
経過観察中(現在)
これで、私のベンゾ減薬記録はとりあえず終了です。
衣食住を支えてくれた家族、減薬に協力してくれた方々、心配してくれた方々に感謝します。
私の断薬までの道のりは、毎日の小さな積み重ねの結果に見えるかもしれませんが・・・本音を言えば、自分は幸運なだけだったのかもしれないと思います。なんとかここに立てているのは、巡り合わせ。運が良かったんだ、と。
ベンゾでどうにかなってしまった脳に対して私ができることは、心身共に安定させてあげるように環境を整えることや、規則正しい生活を送ること、決して無理をしないこと、淡々と日常を過ごすことくらい。
そういった私の意志とは無関係の、自分の力ではどうにもならない部分が、私の気力体力を根こそぎ持って行ってしまう瞬間があって。どうにかしたいのに、どうにもならない。なぜ? どうして? と、感情が暴れる日もありました。
とにかく、人間の体はわけがわからない。自分の減薬記録を振り返ってみても、やっぱりわけがわからないままです。これに再現性はあるのだろうか? と、眉間に皺を寄せています。そして、そもそもなのですが、手法が妥当なのかもわかりませんでした。つまり、ベンゾの減薬はこうすればいいのだと私には言えないということです。
だから、ベンゾを取り巻く世界には「いい加減にしてくれないか」と、今後いちいち書くことはしなくとも、私は一生忌々しく思い、苦虫を噛み続けるでしょう。
でも。
わからない=まったく希望がないではなく、
わからない=まだ可能性はある だと思っていて。
何が起こるかわからない人生、しぶとく不器用に、無様な姿で、世界の隅っこで歯を食いしばって、希望は捨てずに息を吸っていきたい。
以前にも書きましたが、私の目的は生活の質を維持することです。ベンゾジアゼピンの断薬自体がゴールではなくて、ある程度支障がなく安定した状態で日常を送れるようにしたい。この生活まあまあよねって思える状態を維持したい。断薬はその手段の中の1つでした。それを今回手放したことになります。
現在の体調はまあまあで、健康でも不健康でもない、未病の状態です。不定愁訴とはうまく付き合っています。これからも日々いろいろあるでしょう。病気もすると思います。私にとって楽な生き方とその手段を模索しつつ、今日1日生かされている、恵まれていることに感謝しながら、地に足つけて淡々と暮らしたいと思います。今日も、ご飯が美味しかった。
さてさて。新しい私の誕生です。病気前の健康な私に戻るのではなく、今ここからまた、赤ちゃんのようにハイハイを始めます。
(了)