
粋〈すい〉ななぁ
今日の夕食は鱧の湯引き。
関西の夏の風物詩。
鱧を湯がき、梅肉だれにする梅をまな板の上で叩きながら、ふと浮かんだのが「粋〈すい〉ななぁ」と言葉。
現代の関西弁の「粋〈いき〉やなぁ」でも、ましてや関東、江戸の「粋〈いき〉だね」でもない。
私の記憶が確かなら、随分前にTVで、今は亡き桂米朝師匠が語っていた。
「上方では粋〈いき〉ではなく、粋〈すい〉ななぁ、と言うんです」と。
「~ななぁ」という語尾は、今は関西でもほとんど聞かない。
ぎりぎり大正生まれの祖母が使ってるのを聞いたことがある、というくらい。
それがまた、風流というか、はんなりした語感につながるように思う。
〈いき〉と〈すい〉は違うのか。
気になって、調べてみた。
〈いき〉は息、特に吐く息に通じ、
〈すい〉は吸う息に通じる。
〈いき〉は、排出し削ぎ落とす、引き算。
〈すい〉は、取り入れ重ねる、足し算。
だから、
〈いき〉にはすっきりしている、さっぱりしている、という印象がある。
〈すい〉は、はんなりした印象。
着物で言えば、
渋くてシックな江戸小紋と、
華やかでゴージャスな京友禅、
という比較も見かけた。
また、元々文化や芸術、時には花柳界のことまで深い造詣があることが土台である〈すい〉には、突き詰めるというところがあり、〈粋〉より〈通〉に近いものらしい。
もっと細かいニュアンスの違いなどは割愛するけど、何しろ、東西の美意識の違いがよく分かる。
余分なものを削ぎ落としつつ、〈意気〉にも通じる芯の強さと色気まで含む〈いき〉も嫌いじゃない。
でもやはり、大阪で生まれ育ったせいか、積み重ねた知識や経験を自らの血肉として消化して表現する、〈すい〉の方が馴染みやすいな、と感じる。
それを突き詰めたところで「粋ななぁ」と、はんなりした上方ことばで誉めてくれる人は、いないかもしれないけれど。